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3章 一年後に君はいない
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通されたフローリング敷きの六畳間で一人になり、ようやく人心地ついた気分になる。
綺麗に整ったベッドと、学習机。整頓された机には、ノートパソコンがぽつんと載っている。そしてドア側を除いた三面の壁際には本棚があった。窓とクローゼットのある箇所はかろうじて免れているが、腰の辺りから見上げるほどの高さに至るまで、サイズの異なるいくつもの本棚が部屋を包んでいた。
一つ一つに近寄って、ほぼ満杯まで詰まったその中身を見る。小説はきちんと著者別に並べられている。それだけでなく、国語辞典から大判の絵本や図鑑、多種多様な専門誌に洋書まで、種類は千差万別だ。まるで小さな図書館のような光景に、瑞希は圧倒された。
「よくこんなに読んだね」
うっかり話しかけてしまう。それほどでも、なんて笑う声が聞こえる気がする。
机のペン立てに挿さっていたはさみで封筒の封を切り、椅子に浅く腰を下ろした。封筒の中には、白い二枚の便箋がそれぞれ折りたたまれていた。一枚を開く。
先輩がこれを読んでいるということは、僕の自殺は成功したんですね。手紙は、そんな言葉で始まっていた。
「たくさん迷惑をかけてごめんなさい。僕の無茶に付き合わせて、先輩には恥ずかしい思いや、面倒な思いをさせてしまいました。いつも付き合ってくれて、本当に嬉しかったです」
手紙の中で、佑は幾度も謝罪と感謝を繰り返している。彼は決して、無作法な頭の悪い少年ではない。やり過ぎたと後悔したり、嫌われたのではと心配したり、不安に思うことも少なくなかった。
「延山でも言った通り、僕は朋になったつもりでした。正しくは、朋の性格に。いつも笑っていて人懐こくて、明るく元気な朋になり切ろうとしました。一年だけなら、出来る気がしたんです。すると、本当に彼がそばにいる気がして、勇気が出ました。思ったことを口にして、心に素直に生きるのは、大人らしくはないでしょう。けれど失ったものを取り戻せた気がして、楽しかった。それに先輩を巻き込んでしまったことは、申し訳なく思っています」
謝らないでよ。瑞希は呟く。私は平気だから、もっともっと迷惑かけてよ。わがまま言って、私を振り回して笑ってよ。
「僕がなり切ったのは、あくまで朋の性格です。口にしたことは、結城佑の本心です。先輩に伝えた全ての言葉は、偽物ではありません。嘘まみれの僕だけど、信じられないかもしれないけど、気持ちだけは嘘ではありません」
じわじわと胸が熱くなる。それが上って、目の奥から込み上げてくる。拭ってもぼやける視界で、必死に手紙を読む。
「先輩、大好きです。先輩は僕が鬱陶しくて嫌いだと思うけど、いつでも真っ直ぐに頑張っている先輩が、僕は大好きです。作家になる姿を見られないのが、唯一の心残りです」
片手で口元を抑えれば、ぽろぽろと零れる涙を拭うこともできない。
「七年前のあの日から、僕はまがいものの命を生きてきました。生きているのに死んでいるのと変わらない、なにか化け物のように思っていました。だけど最後の一年、ようやく人間の姿になれた気がします」
最後の行にはそう書かれている。もう一枚の紙を開いた。真ん中に、たった一文だけ。
「僕は、ひとまがいでした」
呆然として、瑞希は瞳を濡らしたままその言葉を見つめる。あれほどひとまがいを嫌っていた佑が、ひとまがいだった?
一文の下には、水色の付箋が貼ってあった。そこには「fake」の四文字。
天板の上で、触れられるのを待っているかのようなノートパソコンが目に入る。操られるが如く、それを開いて電源ボタンを押す。音もたてずに起動した画面の青い壁紙は、初期設定のままだ。画面にあるのはゴミ箱と一つのフォルダ、そしてインターネットのアイコンだけ。
インターネットを立ち上げ、お気に入りの一覧を開く。「HP」とだけ書かれたサイトが一つだけ登録されていたので、迷わずそれを選んだ。ポップアップが表示され、パスワードが求められる。震える指先で「fake」と打ち込むと、画面が遷移した。
表れた画面は左右に分割されている。右半分は瑞希もスマートフォンで見たことのある、ひとまがいのホームページだ。そして左半分には多数のタグが付いたHTMLの編集画面。ここにコードを打ち込めば、右側のページを書き換えることができる。つまりこのページで、ひとまがいを直接編集することができる。
もう疑う余地もないが、瑞希はデスクトップ上に残されたフォルダも開いてみた。中には更に九つのフォルダが格納されていて、それぞれひとまがいの作品名がついている。試しに開いた「哭、一刻」の中には、本文のテキストファイルに加え、資料と思しき論文のPDFや、記事のスキャン画像、参考文献のメモ等が詰まっていた。
間違いない。結城佑は、ひとまがいだ。彼はこの部屋で、自身の孤独や後悔を浮き彫りにした作品を生み出し、多くの賞賛を得るようになっていった。しかし彼は、「ひとまがい」の生まれた理由が、弟を死なせた兄の懺悔であることを知っていた。ひとまがいを抜け出そうとした彼だからこそ、ひとまがいをあれだけ嫌っていたのだ。
それでも彼は書き手の一人だから、作品の続きを待つ人々を永遠に放置しておくことに気が引けたのだろう。四月二日に最終話が更新されるよう設定し、腕時計を四月一日の午後十時で壊して入水時間を明らかにした。永久にひとまがいと結城佑を切り離したのだ。
まがいものとして七年間を生き、ひとまがいとして絶賛された佑。最後に一年の期限を定め、亡くした弟に成り代わり、ひとまがいを脱した結城佑。
彼の死をかき乱す行為は、彼がようやく手にした幸せを壊す行為かもしれない。
一瞬浮かんだ思いを、懸命に瑞希は振り払った。
君は、勘違いをしている。私も、君が好きだ。大好きだ。君の性格が偽物だったとしても、そんなことは些細な問題にも成り得ない。私は、結城佑という存在そのものが好きなのだから。
全てを乗り越えて、生きたまま幸せを掴むべきだ。これは彼の勇気を無視したエゴかもしれない。けれど、そのためならなんだってする。出来ることを全てつぎ込んで、彼にもう一度呼吸をさせる。希望を見せる。笑顔の未来を掴ませる。
「佑、待ってて」
返事は聞こえてこない。
瑞希は瞼を閉じた。
綺麗に整ったベッドと、学習机。整頓された机には、ノートパソコンがぽつんと載っている。そしてドア側を除いた三面の壁際には本棚があった。窓とクローゼットのある箇所はかろうじて免れているが、腰の辺りから見上げるほどの高さに至るまで、サイズの異なるいくつもの本棚が部屋を包んでいた。
一つ一つに近寄って、ほぼ満杯まで詰まったその中身を見る。小説はきちんと著者別に並べられている。それだけでなく、国語辞典から大判の絵本や図鑑、多種多様な専門誌に洋書まで、種類は千差万別だ。まるで小さな図書館のような光景に、瑞希は圧倒された。
「よくこんなに読んだね」
うっかり話しかけてしまう。それほどでも、なんて笑う声が聞こえる気がする。
机のペン立てに挿さっていたはさみで封筒の封を切り、椅子に浅く腰を下ろした。封筒の中には、白い二枚の便箋がそれぞれ折りたたまれていた。一枚を開く。
先輩がこれを読んでいるということは、僕の自殺は成功したんですね。手紙は、そんな言葉で始まっていた。
「たくさん迷惑をかけてごめんなさい。僕の無茶に付き合わせて、先輩には恥ずかしい思いや、面倒な思いをさせてしまいました。いつも付き合ってくれて、本当に嬉しかったです」
手紙の中で、佑は幾度も謝罪と感謝を繰り返している。彼は決して、無作法な頭の悪い少年ではない。やり過ぎたと後悔したり、嫌われたのではと心配したり、不安に思うことも少なくなかった。
「延山でも言った通り、僕は朋になったつもりでした。正しくは、朋の性格に。いつも笑っていて人懐こくて、明るく元気な朋になり切ろうとしました。一年だけなら、出来る気がしたんです。すると、本当に彼がそばにいる気がして、勇気が出ました。思ったことを口にして、心に素直に生きるのは、大人らしくはないでしょう。けれど失ったものを取り戻せた気がして、楽しかった。それに先輩を巻き込んでしまったことは、申し訳なく思っています」
謝らないでよ。瑞希は呟く。私は平気だから、もっともっと迷惑かけてよ。わがまま言って、私を振り回して笑ってよ。
「僕がなり切ったのは、あくまで朋の性格です。口にしたことは、結城佑の本心です。先輩に伝えた全ての言葉は、偽物ではありません。嘘まみれの僕だけど、信じられないかもしれないけど、気持ちだけは嘘ではありません」
じわじわと胸が熱くなる。それが上って、目の奥から込み上げてくる。拭ってもぼやける視界で、必死に手紙を読む。
「先輩、大好きです。先輩は僕が鬱陶しくて嫌いだと思うけど、いつでも真っ直ぐに頑張っている先輩が、僕は大好きです。作家になる姿を見られないのが、唯一の心残りです」
片手で口元を抑えれば、ぽろぽろと零れる涙を拭うこともできない。
「七年前のあの日から、僕はまがいものの命を生きてきました。生きているのに死んでいるのと変わらない、なにか化け物のように思っていました。だけど最後の一年、ようやく人間の姿になれた気がします」
最後の行にはそう書かれている。もう一枚の紙を開いた。真ん中に、たった一文だけ。
「僕は、ひとまがいでした」
呆然として、瑞希は瞳を濡らしたままその言葉を見つめる。あれほどひとまがいを嫌っていた佑が、ひとまがいだった?
一文の下には、水色の付箋が貼ってあった。そこには「fake」の四文字。
天板の上で、触れられるのを待っているかのようなノートパソコンが目に入る。操られるが如く、それを開いて電源ボタンを押す。音もたてずに起動した画面の青い壁紙は、初期設定のままだ。画面にあるのはゴミ箱と一つのフォルダ、そしてインターネットのアイコンだけ。
インターネットを立ち上げ、お気に入りの一覧を開く。「HP」とだけ書かれたサイトが一つだけ登録されていたので、迷わずそれを選んだ。ポップアップが表示され、パスワードが求められる。震える指先で「fake」と打ち込むと、画面が遷移した。
表れた画面は左右に分割されている。右半分は瑞希もスマートフォンで見たことのある、ひとまがいのホームページだ。そして左半分には多数のタグが付いたHTMLの編集画面。ここにコードを打ち込めば、右側のページを書き換えることができる。つまりこのページで、ひとまがいを直接編集することができる。
もう疑う余地もないが、瑞希はデスクトップ上に残されたフォルダも開いてみた。中には更に九つのフォルダが格納されていて、それぞれひとまがいの作品名がついている。試しに開いた「哭、一刻」の中には、本文のテキストファイルに加え、資料と思しき論文のPDFや、記事のスキャン画像、参考文献のメモ等が詰まっていた。
間違いない。結城佑は、ひとまがいだ。彼はこの部屋で、自身の孤独や後悔を浮き彫りにした作品を生み出し、多くの賞賛を得るようになっていった。しかし彼は、「ひとまがい」の生まれた理由が、弟を死なせた兄の懺悔であることを知っていた。ひとまがいを抜け出そうとした彼だからこそ、ひとまがいをあれだけ嫌っていたのだ。
それでも彼は書き手の一人だから、作品の続きを待つ人々を永遠に放置しておくことに気が引けたのだろう。四月二日に最終話が更新されるよう設定し、腕時計を四月一日の午後十時で壊して入水時間を明らかにした。永久にひとまがいと結城佑を切り離したのだ。
まがいものとして七年間を生き、ひとまがいとして絶賛された佑。最後に一年の期限を定め、亡くした弟に成り代わり、ひとまがいを脱した結城佑。
彼の死をかき乱す行為は、彼がようやく手にした幸せを壊す行為かもしれない。
一瞬浮かんだ思いを、懸命に瑞希は振り払った。
君は、勘違いをしている。私も、君が好きだ。大好きだ。君の性格が偽物だったとしても、そんなことは些細な問題にも成り得ない。私は、結城佑という存在そのものが好きなのだから。
全てを乗り越えて、生きたまま幸せを掴むべきだ。これは彼の勇気を無視したエゴかもしれない。けれど、そのためならなんだってする。出来ることを全てつぎ込んで、彼にもう一度呼吸をさせる。希望を見せる。笑顔の未来を掴ませる。
「佑、待ってて」
返事は聞こえてこない。
瑞希は瞼を閉じた。
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