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2章 近からず、遠からず
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二月初めの日曜日、瑞希は市立図書館に出かけていた。珍しく雪の降る日で、屋内に入ると暖房の温かさに身体がとろけるようだった。弛緩しきらないうちに検索機に向かい、キーボードで「誘拐事件」と画面に打ち込んで検索をかけた。
五百を超える結果が表示され、上から下に並ぶタイトルを順に目で追っていく。ほとんどが小説で、ミステリからライトノベルまで幅広い。だが今日は小説ではなく、実際にあった事件の内容や犯罪心理を調べに来たのだ。「事件概要」「犯罪心理」などキーワードを変えて更に検索をかけ、貸出可能なものをいくつか抽出してメモ用紙に書き留める。はたから見れば異様な光景だなと他人事のように思う。
流石に書庫資料の貸出を依頼する時は、他人事ではいられなかった。小説のためとはいえ、「人を攫う心理――誘拐殺人犯の記録」を頼むのは恥ずかしかったが、ベテランの風格を持つ女性職員は笑顔を崩さなかった。
無事に五冊の本を借り、ついでにパソコンコーナーに向かう。予報ではこれから雪が止むと言っていたから、それを待ちながらパソコンに向かう。
略取誘拐は殺人や放火と同じ、重要犯罪の枠組みに入る。重要犯罪自体の件数は近年減少しているが、略取誘拐においては微増の傾向にある。誘拐といえば身代金という想像もあったが、多くは親権を剥奪された元親による子どもの誘拐らしい。その心理を思うと複雑だが、犯罪には違いない。
調べるうちに、どんどんと気分が重くなってきた。過去の誘拐殺人事件が一覧となっているページを見つけてしまった。上から順に事件名を辿っているだけで陰鬱とした気持ちになる。ひと目でわかるが被害者は子どもが多く、犯人の卑劣さに憤りも沸いてくるが、一歩間違えれば自分もこの中の一人になっていたかもしれない。そう思うと戦慄する。
マウスをスクロールする指がはたと止まった。「延山小一男児誘拐殺人事件」。延山とは地名だろうが、どこかで聞いたような気がする。訪れた記憶はないし、大まかな位置も分からないが、「のべやま」という言葉に覚えがある。不思議に思い、マウスでクリックしてリンク先に飛んだ。
事件の大まかな概要が表示される。小学一年生の男の子「高宮朋」くんが誘拐の後殺害された。行方不明となった翌日、雑木林に遺棄されているのが近隣住民により発見された。胸には刃物で切り裂かれた傷があり、出血による死亡と断定。犯人の男(38)とは面識がなく、無差別的犯行とされている。
食い入るように画面を見つめ、瑞希は思い出した。
夏の川原で佑が言っていた、死んだ弟の名前。そして、当時住んでいた町の名前。「朋」と「延山町」。死亡した年齢も一致している。佑は母親が再婚したと言っていたから、当時は現在の結城という苗字と異なっていたはずだ。間違いない、この高宮朋という子どもは、亡くなった佑の弟だ。
気付けば、随分長い時間固まっていた。心臓が激しく脈打ち、背中を汗の粒が流れ落ちるのを感じる。
佑の弟は、誘拐された末に殺された。
逡巡の時間は短かった。何かが間違いであってほしいと、瑞希は無意識のうちに願っていた。この残忍な事件が彼の過去である可能性を潰したかった。一つでも齟齬を見つけたいと思ったし、真実であれば知りたいとも望んでいた。これは、決して彼に問うわけにはいかない事件、彼を歪めてしまった過去を知る手がかりだった。
受付に引き返し、先ほどの職員に新聞の閲覧を申請する。残念ながら延山町を含む地方紙は保存されていなかったので、七年前の四月の記事が掲載された全国紙を持ってきてくれるよう頼んだ。ネットの情報によれば遺体の見つかった日が四月一日だから、新聞に掲載されるとすれば翌日の二日以降だろう。今度は些か不思議そうな表情をしつつも、職員は四冊の分厚い冊子を持ってきてくれた。指定した日付の記事を含む縮小版だった。
空いている座席に運び、一冊のページをめくる。念のため四月一日の記事から目を通すが、予想通りそれらしい内容はない。
ページを繰り、二日の記事を目を皿のようにして見ていく。一面とはいかないが、高宮朋の事件はしっかりと掲載されていた。全ての新聞に記事があり、二冊は数日後にも追加情報を載せている。
特定された犯人のモノクロ写真。それを目にした瑞希の喉から、掠れた息が漏れた。
その顔を、瑞希は知っていた。
存在しない、あの日に目にした誘拐犯。七年経っても、忘れるわけがなかった。
記事のコピーを取って読み込んだ中身を合わせると、詳細はこうだった。
小学一年生の高宮朋は、春休み中の三月三十一日、二つ年上の兄と遊んでいた。しかし兄がほんのわずか目を離した隙にその姿は消えていた。夕方には母親が警察に通報したが、発見には至らなかった。そして翌日の四月一日午前八時頃、失踪地点からおよそ五百メートル離れた草むらで遺体が発見された。
犯人は三十八歳の男で、誰でもいいから殺してみたかったと供述。被害者を自宅に監禁し、四月二日未明に刃物で胸を刺して殺害。遺体を雑木林に捨てた。犯人は以前から犯行の機会をうかがっており、前日にも出張先で児童の誘拐・殺害を企てていた。しかし児童に逃げられたため一旦は諦めたが衝動を抑えきれず、翌日に被害者を見かけ誘拐し、殺害した。
七年前の三月三十日、車で自分を攫い、山中で殺そうとした犯人。それは高宮朋を殺した誘拐殺人犯。
現実に高宮朋を誘拐し、刺し殺したのは、この男で間違いない。
だが、一つの仮説が浮上する。
もし、茜瑞希が時間を戻さず、当初の運命通り三月三十日に殺されていれば――。
高宮朋は、今も生きていたのだ。
五百を超える結果が表示され、上から下に並ぶタイトルを順に目で追っていく。ほとんどが小説で、ミステリからライトノベルまで幅広い。だが今日は小説ではなく、実際にあった事件の内容や犯罪心理を調べに来たのだ。「事件概要」「犯罪心理」などキーワードを変えて更に検索をかけ、貸出可能なものをいくつか抽出してメモ用紙に書き留める。はたから見れば異様な光景だなと他人事のように思う。
流石に書庫資料の貸出を依頼する時は、他人事ではいられなかった。小説のためとはいえ、「人を攫う心理――誘拐殺人犯の記録」を頼むのは恥ずかしかったが、ベテランの風格を持つ女性職員は笑顔を崩さなかった。
無事に五冊の本を借り、ついでにパソコンコーナーに向かう。予報ではこれから雪が止むと言っていたから、それを待ちながらパソコンに向かう。
略取誘拐は殺人や放火と同じ、重要犯罪の枠組みに入る。重要犯罪自体の件数は近年減少しているが、略取誘拐においては微増の傾向にある。誘拐といえば身代金という想像もあったが、多くは親権を剥奪された元親による子どもの誘拐らしい。その心理を思うと複雑だが、犯罪には違いない。
調べるうちに、どんどんと気分が重くなってきた。過去の誘拐殺人事件が一覧となっているページを見つけてしまった。上から順に事件名を辿っているだけで陰鬱とした気持ちになる。ひと目でわかるが被害者は子どもが多く、犯人の卑劣さに憤りも沸いてくるが、一歩間違えれば自分もこの中の一人になっていたかもしれない。そう思うと戦慄する。
マウスをスクロールする指がはたと止まった。「延山小一男児誘拐殺人事件」。延山とは地名だろうが、どこかで聞いたような気がする。訪れた記憶はないし、大まかな位置も分からないが、「のべやま」という言葉に覚えがある。不思議に思い、マウスでクリックしてリンク先に飛んだ。
事件の大まかな概要が表示される。小学一年生の男の子「高宮朋」くんが誘拐の後殺害された。行方不明となった翌日、雑木林に遺棄されているのが近隣住民により発見された。胸には刃物で切り裂かれた傷があり、出血による死亡と断定。犯人の男(38)とは面識がなく、無差別的犯行とされている。
食い入るように画面を見つめ、瑞希は思い出した。
夏の川原で佑が言っていた、死んだ弟の名前。そして、当時住んでいた町の名前。「朋」と「延山町」。死亡した年齢も一致している。佑は母親が再婚したと言っていたから、当時は現在の結城という苗字と異なっていたはずだ。間違いない、この高宮朋という子どもは、亡くなった佑の弟だ。
気付けば、随分長い時間固まっていた。心臓が激しく脈打ち、背中を汗の粒が流れ落ちるのを感じる。
佑の弟は、誘拐された末に殺された。
逡巡の時間は短かった。何かが間違いであってほしいと、瑞希は無意識のうちに願っていた。この残忍な事件が彼の過去である可能性を潰したかった。一つでも齟齬を見つけたいと思ったし、真実であれば知りたいとも望んでいた。これは、決して彼に問うわけにはいかない事件、彼を歪めてしまった過去を知る手がかりだった。
受付に引き返し、先ほどの職員に新聞の閲覧を申請する。残念ながら延山町を含む地方紙は保存されていなかったので、七年前の四月の記事が掲載された全国紙を持ってきてくれるよう頼んだ。ネットの情報によれば遺体の見つかった日が四月一日だから、新聞に掲載されるとすれば翌日の二日以降だろう。今度は些か不思議そうな表情をしつつも、職員は四冊の分厚い冊子を持ってきてくれた。指定した日付の記事を含む縮小版だった。
空いている座席に運び、一冊のページをめくる。念のため四月一日の記事から目を通すが、予想通りそれらしい内容はない。
ページを繰り、二日の記事を目を皿のようにして見ていく。一面とはいかないが、高宮朋の事件はしっかりと掲載されていた。全ての新聞に記事があり、二冊は数日後にも追加情報を載せている。
特定された犯人のモノクロ写真。それを目にした瑞希の喉から、掠れた息が漏れた。
その顔を、瑞希は知っていた。
存在しない、あの日に目にした誘拐犯。七年経っても、忘れるわけがなかった。
記事のコピーを取って読み込んだ中身を合わせると、詳細はこうだった。
小学一年生の高宮朋は、春休み中の三月三十一日、二つ年上の兄と遊んでいた。しかし兄がほんのわずか目を離した隙にその姿は消えていた。夕方には母親が警察に通報したが、発見には至らなかった。そして翌日の四月一日午前八時頃、失踪地点からおよそ五百メートル離れた草むらで遺体が発見された。
犯人は三十八歳の男で、誰でもいいから殺してみたかったと供述。被害者を自宅に監禁し、四月二日未明に刃物で胸を刺して殺害。遺体を雑木林に捨てた。犯人は以前から犯行の機会をうかがっており、前日にも出張先で児童の誘拐・殺害を企てていた。しかし児童に逃げられたため一旦は諦めたが衝動を抑えきれず、翌日に被害者を見かけ誘拐し、殺害した。
七年前の三月三十日、車で自分を攫い、山中で殺そうとした犯人。それは高宮朋を殺した誘拐殺人犯。
現実に高宮朋を誘拐し、刺し殺したのは、この男で間違いない。
だが、一つの仮説が浮上する。
もし、茜瑞希が時間を戻さず、当初の運命通り三月三十日に殺されていれば――。
高宮朋は、今も生きていたのだ。
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