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一話 裸の約束

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 命からがら難を逃れて辿り着いた村は最高だった。何が最高って村の名前だ。

「ここはエンジェル村と呼ばれております」

 黄金色の髪を揺らして申し訳なさそうに微笑む少女…マリスは美しかった。どこかの貴族か、もしくは一国の姫でもおかしくない程に。いやそれは置いといて。

「ようするにだ。ここは姥捨て村ってとこか?」

 見ず知らずの俺を献身的に介護するマリスは、やっぱり申し訳なさそうに笑っていた。

「いやー最高だぜ。世界最高峰の冒険者パーティをクビになって辿り着いたのが廃村どころか死に場所だったとは笑っちまうよ」

「…フラン様は〈グランドフッド〉に所属していたとか」

「ちょっと前まではな。今じゃただの冒険者だ。いや冒険者ですらねえか」

「…」

 マリスは口に手を当てて空中を眺めていた。何か考えているようだったが、俺の視線に気がついたのか元の申し訳なさそうな笑顔に戻った。

「みな必死に生きております。フラン様も回復がめざましいですよ。あれから三日と経たずにお話ができるまでになりましたから」

「ふん。温泉がいいんじゃねえのか?」

 燃える岩が直撃した穴から温泉が湧き出ていた。俺にとっては命を脅かす燃える岩だったが、幸運となった村人にとっては温泉を掘り当てた奇跡の大岩だ。しかしそれはただの温泉でしかない。
 回復が早いのは理由がある。幸運になった村人たちにとって俺はさらなる幸運をもたらす存在だ。さっさと治ってあくせく悪運を吸い取ってもらった方がみんなにとって都合がいい。だから俺はみんなの幸運のせいで傷の治りが異常に早い。毒まで無かったみたいに綺麗さっぱりだ。〈ラックリング〉はこういう悪運と幸運の連鎖があり、そのどれもが俺の想像を軽く超えてくる。

「ツイてねえ事に俺は回復力だけはやべーのよ」

「ツイてない…?」

 マリスはきょとんとした顔で俺を見た。その顔は場違いに整っていた。凛とした表情に品を感じる。肩まである黄金色の髪が風に揺れ、その隙間から緋色の耳飾りが輝いていた。
 控えめではあるが存在感がある装飾を施した蒼色の胸部鎧を身に着けており、その下に着ている純白のワンピースが風でなびいていた。

「…あー。何だろうな。聞いていいのか解らねえが、あんたは何でここにいるんだ?」

 奇跡の大岩が生んだ温泉に浸かっている村人は男女問わず余すところなく老人だ。だというのにマリスはどうだ。あまりに場違いで彼女だけが完全に浮いている。

「…そ、その事でお話があるのですが…」

 マリスは視線を切って俯いた。何か言い出せずにもじもじした挙句、深夜に温泉で待ち合わせをお願いしたいと言ってきた。


※ ※ ※


「ふー…」

 危うく死ぬところだった凶石を踏みつけて温泉に浸かっていると、程よい温もりにまどろみついつい昔を思い出してしまった。

「あー…俺。本当に終わっちまったんだな」

 世界最高峰の冒険者パーティ〈グランドフッド〉をクビになってしまった。笑える。〈グランドフッド〉の創設メンバーは三人でその内の一人は俺なのに。〈グランドフッド〉は俺とディオン、そしてもう一人の三人だけのものだった。ガキの頃に作ったパーティで、主な活動は近くの山の冒険だ。鍋を頭に被り、枝を剣に見立てて山をみんなで掛け回った。ディオンなんか全然弱くていつもおどおどしていたもんだ。
 魚釣りも、木の実集めも、いつも俺が一番だった。野生豚なんかも一人で狩った事があるくらいだ。枯れ枝や石で作ったアジトで山ぶどうをすりつぶした汁をワイン代わりに飲んだりもした。酸っぱくて飲めたもんじゃなかったがな。毎日がワクワクの大冒険で本当に大切な時間だった。いつかこのパーティを世界で一番にしてやるって燃えていた。
 そこから十数年。今や〈グランドフッド〉は百余名となり世界でも例を見ない最強パーティへと成長していた。だがしかし俺はそこから追い出されてしまった。

「…余生を過ごせってか…」

 これからもずっとずっと冒険をするものだと思っていた。

「確かに…夢はもう叶っちまったからな…」

 ディオンの言う通りなのかもしれない。いつまでも野山で駆け回ったガキではいられない。そんな事は解っている。しかしそれはまだもう少し後だと思っていた。

「ふ、フラン様…」

 震える声に現実に引き戻された。前を見るが何もいない。少し経過して後ろに下がると背中に柔らかい感触を覚えた。

「…お、おい。マリス!? お、お前、まさか…後ろにいるのか?」

「…はい」

 あまりの事態に混乱した。てっきり温泉となった大穴の周辺にいるのかと思い、早めにひとっ風呂あびて準備しようと思っていたのに。

「ちょ、すまん! 知らなかったんだ! 今上がるから…」

「待ってください!」

 マリスの腕が俺を包み込み、完全に密着されてしまった。

「マリス、お前確か若かったよな?」

「…十六です」

 あまりの混乱に見当違いの質問をしてしまい、その結果さらなる混乱を招いてしまった。

「解った! よく解らねーが解った! 何でも聞くから取りあえず離れてくれ!」

 俺の懇願を聞いてくれたのか、俺の背中にあった柔らかいものは影も形も無くなった。

「…フラン様、どうか私の願いを聞いて頂けませんでしょうか?」

 声が震えていた。今にも泣き崩れそうな声に困惑したが、事情があるのは想像するに難しくない。

「それは温泉を出た後じゃ駄目なのか?」

「…」

 沈黙で理解した。これは脅迫なのだ。なりふり構わず俺に強制させるためにこの場所を選んだのだ。

「モンスター討伐をお願いできませんか…!?」

 今まで以上に声を震わせてマリスは口を開いた。

「どういう事だ?」

「私は当主様にこの森のモンスター討伐を仰せつかりました。しかし迷ってしまい、困り果てたところ偶然にもこの村を見つけてお世話になっているのです」

 エンジェル村に命からがら辿り着いたのは俺だけじゃなかったようだ。

「〈グランドフッド〉の名声はこの地にも広まっております。フラン様はその一員。であればモンスターの討伐など難しくないのではありませんか?」

「簡単に言うんじゃねえよ。モンスターによるし俺は非戦闘員だ。主に悪運を吸って幸運に…まあつまり後方支援要員なんだよ」

〈グランドフッド〉のみんなは俺の能力を理解していない。そいつに起こった幸運を「俺のおかげだぜ!?」って言われて納得するはずがない。だから陰でこそこそ使っていた。ディオンでさえ知らない。たった一人を除いて俺の能力を理解する人間なんていやしない。

「ですが、ですが! わ、私はどうしても討伐しなくてはならないのです!」

「いや…だがなあ…」

 ちゃぱ、と音が鳴った。恐らく。恐らくだが、俺の後ろにいる絶世の美少女であるマリスは直立しているのだろう。

「協力をして頂けるのなら…こんな事しか見返りはできませんが…」

「おい! そ、それ以上言ったら協力しねえぞ!」

 馬鹿野郎が。言ったマリスも言わせた俺もクソったれだ。ああ畜生。

「…いいか。とりあえず肩まで湯に浸かれ。浸かったか? もし肩が見えたらもうこの話は終わりだからな! 一人で勝手にやれ! 俺には何も関係ねえし知ったこっちゃねえ」

 十分な間を空けて言葉を続けた。

「協力してやる。ただし取引だ。俺に何か得がある事を提示してくれ」

 厳しいようだが俺も生きるのに必死なのだ。幸運の人間に囲まれていなければすぐに死ぬかもしれない俺の人生に甘えは無い。マリスはしばらく沈黙していたが温泉をひとつ波立たせて息を吸った。

「…ライデン石の精製法レシピで如何でしょうか?」

 ライデン石とは炭や魔晶石に次ぐ新たな資源だ。いつでもどこでも雷魔法を抽出できる石は画期的で汎用性も申し分ない。それを精製できる人間は限られている。

「ははは! 大きく出たな。マリスがそれを知っている根拠はあるのか?」

「私の名前はマリス・フルグライトです。ライデン石を発明したフルグライト家の直系の血を引いております」

「おいおい。さっそく辻褄が合わねえぞ。何でそんな御方がこんなとこにいるんだよ?」

「…フルグライト家は魔法使いの血筋です。私は魔法が使えません。ですから…」

 何となく合点がいった。こんな小娘一人がモンスター討伐に出されるわけだ。

「魔法の才能の無い落ちこぼれがおもてを立てたいならそれくらいしろってか?」

「…」

 マリスからの返答は無い。

「解った。怪我の介抱をしてくれた見返りに信じてやるよ」

「…」
 
マリスの言う事は突拍子が無く根拠が無い。しかし一つだけ信じざるを得ないものが彼女の体に宿っていた。

「…おい何とか言えよ」

 あまりにも無言のマリスに違和感を覚えてゆっくりと後ろを向くと、俺の言いつけ通り肩まで浸かったマリスの顔が真っ赤になって沈みかけていた。

「おいおいおいー!」

 目を回したマリスを温泉のふちに寝かせて上から俺の黒いローブをかけた。その刹那に見てしまった。マリスの体を這い回る黒いムカデのようなものを。

「確かに悪運を吸ったと思ったんだがなぁ」

 人には持って生まれた〈厄〉がある。運が良いなら白く光り、運が悪いなら黒く濁る。他人の悪運を吸い取れるせいか俺にはその〈厄〉を見分ける事ができた。

「こんな悪運は見た事がねえぞ…」

 マリスの〈厄〉は黒く濁り全身に及んでムカデのように体を侵していた。こんなものを見せられたらただ事じゃないと考えるのは難しくない。

「神様よー。俺ぁ余生を過ごさせてくれるんじゃねえのかよー?」

 きらめく星々を見ながら天に愚痴る。天は俺の言葉を受けても輝きを一切失わず、太古からの光を優しく俺に浴びせた。

「これが最後の冒険かな…」

 人生最後の旅も簡単ではないだろう。しかしそれでも俺の心はどこかで踊ってしまっていた。
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