8 / 16
8
しおりを挟む
「……カボチャと鶏肉のグラタンを作ります」
「どうして」
突然ライに宣言されたことに、アリーナは戸惑う。
「21番は私の料理だと信じてないんでしょ」
「信じるもなにも……」
アリーナは料理を作る男性など見たこともない。普通の家庭は母親が料理を作るものだし、貴族でも料理番は女性だ。外食をしたとしても、コックは女性だ。
男性が料理をするなど……聞いたこともない。
「待っていてください」
待っていろも何も、アリーナはここにいる義務も何もないわけなのだが、アリーナは大人しく待つことにした。
家に帰ってから両親にどう苦情を言おうか考えることにしたからだ。
「アリーナ嬢」
ライの声でアリーナの意識が浮上する。何通りかの報復をぼんやりと考えているうちに、眠ってしまったらしい。
人のうちで眠るなどあまりにも気を抜きすぎだし、女性としても危機感が無さすぎる。貴族の令嬢としても、はしたないと言えるだろう。
でもアリーナは覗き込んでくるライの顔をぼんやりと見ていても、焦ることはない。
何よりアリーナとライの間に艶やかなことにつながる欠片の一片も存在しないとアリーナは納得しているからだ。
何よりも、料理の腕が悲惨、ということだけで、そういう対象にならないことは重々承知している。
だからこそ、今の今までアリーナには婚約者と言える存在がないのであり、一人で暮らしていけるようにと今の仕事を選んだのだ。
「ごめんなさい。寝てしまったみたいね」
そう言ったあと、鼻に届いた匂いに、ぼんやりとしていた意識が完全に浮上する。
「いい匂い」
アリーナが今まででかいだ匂いの中で一番美味しそうな匂いだと鼻をクンクンと動かすと、クスリと笑われて、そこにライがいることを思い出す。
「どうぞ、ご賞味ください」
いつのまにか、ライの手には、湯気をさかんに出す黄金色を濃くしたような焦げ目が美しい 食べ物の載った皿がある。
「……本当に作ったの」
「確かオーブンに入れるまえは起きてたんじゃなかったかな?」
確かにアリーナは、オーブンに入れる前、手早く作られるソースやリズミカルな包丁の音を聞いていたのは間違いなくて、そして料理をしていたのが間違いなくライだったことを見ている。
「そうね」
あそこまで見せられて、この料理がライの作ったものではないと言えるほど、アリーナはひねくれてはいない。
「頂きます」
小さな皿とスプーンを受けとると、アリーナはパリパリとした表面にスプーンを入れる。
ザクッと小さな音の間から、新しく湯気が漏れ出す。
その湯気ごとスプーンですくいとると、スプーンを追いかけるようにチーズが追いかけてくる。
「熱いから気を付けてください」
ライに言われなくてもそうするつもりでいたけれど、アリーナは湯気を吹き飛ばすように息を何度か吹き掛ける。
でも、鼻をくすぐる匂いに、アリーナは我慢ができなくなる。熱いのを熱いまま食べるのもまた美味しいのだと、冷めるのを待ちきれなくて口を開く。
パクリと口に含めば、やはりまだ冷めているわけもなく、しばらく熱さに身悶える。
口の中で耐えて耐えて、ようやく噛み始めた頃には、口の中はじんじんしていた。でも、ベシャメルソースの美味しさも、カボチャの甘さもホクホクさも、その痺れでは損なわれることはなかった。
「おいしい!」
アリーナはコクリと飲み込むと、それ以外の言葉を選ぶ必要はなかった。
純粋においしいのだ。
「そう、良かった」
「……確かに21番のベシャメルソースは、あなたが作ったみたいね。……こんな味が出せる人がそうそういるとは思えないし」
そうは言いながらも、信じられない気持ちでライを見る。
「……嫌悪するわけじゃないんですね」
「どうしてこんなおいしいもの作れる人を嫌悪しないといけないわけ」
アリーナがライに向ける視線は、尊敬の気持ちが乗っている。信じられなくはあるが、こんなおいしいものを作る人間をアリーナが尊敬しないわけがない。自分ができないから尚更。
「男が料理をできるって点で見下してくる令嬢もいますよ」
ライが肩をすくめる様子から、既にそれを体験はしてきているようだ。
「……ふつうじゃないから。でも、同じように頭があって手があって口があって味覚もあるなら、男性が出来てもおかしくはないのよね。……私が出来ないのと同じように、男性でも女性でも料理をできる人もできない人もいる。……当たり前のことなのに、何で考えてもみなかったんだろう?」
「……女性しかできないと思ってるから」
「そうね。その思い込みは撤廃すべきね」
「どうして」
突然ライに宣言されたことに、アリーナは戸惑う。
「21番は私の料理だと信じてないんでしょ」
「信じるもなにも……」
アリーナは料理を作る男性など見たこともない。普通の家庭は母親が料理を作るものだし、貴族でも料理番は女性だ。外食をしたとしても、コックは女性だ。
男性が料理をするなど……聞いたこともない。
「待っていてください」
待っていろも何も、アリーナはここにいる義務も何もないわけなのだが、アリーナは大人しく待つことにした。
家に帰ってから両親にどう苦情を言おうか考えることにしたからだ。
「アリーナ嬢」
ライの声でアリーナの意識が浮上する。何通りかの報復をぼんやりと考えているうちに、眠ってしまったらしい。
人のうちで眠るなどあまりにも気を抜きすぎだし、女性としても危機感が無さすぎる。貴族の令嬢としても、はしたないと言えるだろう。
でもアリーナは覗き込んでくるライの顔をぼんやりと見ていても、焦ることはない。
何よりアリーナとライの間に艶やかなことにつながる欠片の一片も存在しないとアリーナは納得しているからだ。
何よりも、料理の腕が悲惨、ということだけで、そういう対象にならないことは重々承知している。
だからこそ、今の今までアリーナには婚約者と言える存在がないのであり、一人で暮らしていけるようにと今の仕事を選んだのだ。
「ごめんなさい。寝てしまったみたいね」
そう言ったあと、鼻に届いた匂いに、ぼんやりとしていた意識が完全に浮上する。
「いい匂い」
アリーナが今まででかいだ匂いの中で一番美味しそうな匂いだと鼻をクンクンと動かすと、クスリと笑われて、そこにライがいることを思い出す。
「どうぞ、ご賞味ください」
いつのまにか、ライの手には、湯気をさかんに出す黄金色を濃くしたような焦げ目が美しい 食べ物の載った皿がある。
「……本当に作ったの」
「確かオーブンに入れるまえは起きてたんじゃなかったかな?」
確かにアリーナは、オーブンに入れる前、手早く作られるソースやリズミカルな包丁の音を聞いていたのは間違いなくて、そして料理をしていたのが間違いなくライだったことを見ている。
「そうね」
あそこまで見せられて、この料理がライの作ったものではないと言えるほど、アリーナはひねくれてはいない。
「頂きます」
小さな皿とスプーンを受けとると、アリーナはパリパリとした表面にスプーンを入れる。
ザクッと小さな音の間から、新しく湯気が漏れ出す。
その湯気ごとスプーンですくいとると、スプーンを追いかけるようにチーズが追いかけてくる。
「熱いから気を付けてください」
ライに言われなくてもそうするつもりでいたけれど、アリーナは湯気を吹き飛ばすように息を何度か吹き掛ける。
でも、鼻をくすぐる匂いに、アリーナは我慢ができなくなる。熱いのを熱いまま食べるのもまた美味しいのだと、冷めるのを待ちきれなくて口を開く。
パクリと口に含めば、やはりまだ冷めているわけもなく、しばらく熱さに身悶える。
口の中で耐えて耐えて、ようやく噛み始めた頃には、口の中はじんじんしていた。でも、ベシャメルソースの美味しさも、カボチャの甘さもホクホクさも、その痺れでは損なわれることはなかった。
「おいしい!」
アリーナはコクリと飲み込むと、それ以外の言葉を選ぶ必要はなかった。
純粋においしいのだ。
「そう、良かった」
「……確かに21番のベシャメルソースは、あなたが作ったみたいね。……こんな味が出せる人がそうそういるとは思えないし」
そうは言いながらも、信じられない気持ちでライを見る。
「……嫌悪するわけじゃないんですね」
「どうしてこんなおいしいもの作れる人を嫌悪しないといけないわけ」
アリーナがライに向ける視線は、尊敬の気持ちが乗っている。信じられなくはあるが、こんなおいしいものを作る人間をアリーナが尊敬しないわけがない。自分ができないから尚更。
「男が料理をできるって点で見下してくる令嬢もいますよ」
ライが肩をすくめる様子から、既にそれを体験はしてきているようだ。
「……ふつうじゃないから。でも、同じように頭があって手があって口があって味覚もあるなら、男性が出来てもおかしくはないのよね。……私が出来ないのと同じように、男性でも女性でも料理をできる人もできない人もいる。……当たり前のことなのに、何で考えてもみなかったんだろう?」
「……女性しかできないと思ってるから」
「そうね。その思い込みは撤廃すべきね」
20
お気に入りに追加
88
あなたにおすすめの小説
離縁してくださいと言ったら、大騒ぎになったのですが?
ネコ
恋愛
子爵令嬢レイラは北の領主グレアムと政略結婚をするも、彼が愛しているのは幼い頃から世話してきた従姉妹らしい。夫婦生活らしい交流すらなく、仕事と家事を押し付けられるばかり。ある日、従姉妹とグレアムの微妙な関係を目撃し、全てを諦める。
義妹が私に毒を盛ったので、飲んだふりをして周りの反応を見て見る事にしました
新野乃花(大舟)
恋愛
義姉であるラナーと義妹であるレベッカは、ラナーの婚約者であるロッドを隔ててぎくしゃくとした関係にあった。というのも、義妹であるレベッカが一方的にラナーの事を敵対視し、関係を悪化させていたのだ。ある日、ラナーの事が気に入らないレベッカは、ラナーに渡すワインの中にちょっとした仕掛けを施した…。その結果、2人を巻き込む関係は思わぬ方向に進んでいくこととなるのだった…。
妹に傷物と言いふらされ、父に勘当された伯爵令嬢は男子寮の寮母となる~そしたら上位貴族のイケメンに囲まれた!?~
サイコちゃん
恋愛
伯爵令嬢ヴィオレットは魔女の剣によって下腹部に傷を受けた。すると妹ルージュが“姉は子供を産めない体になった”と嘘を言いふらす。その所為でヴィオレットは婚約者から婚約破棄され、父からは娼館行きを言い渡される。あまりの仕打ちに父と妹の秘密を暴露すると、彼女は勘当されてしまう。そしてヴィオレットは母から託された古い屋敷へ行くのだが、そこで出会った美貌の双子からここを男子寮とするように頼まれる。寮母となったヴィオレットが上位貴族の令息達と暮らしていると、ルージュが現れてこう言った。「私のために家柄の良い美青年を集めて下さいましたのね、お姉様?」しかし令息達が性悪妹を歓迎するはずがなかった――
願いの代償
らがまふぃん
恋愛
誰も彼もが軽視する。婚約者に家族までも。
公爵家に生まれ、王太子の婚約者となっても、誰からも認められることのないメルナーゼ・カーマイン。
唐突に思う。
どうして頑張っているのか。
どうして生きていたいのか。
もう、いいのではないだろうか。
メルナーゼが生を諦めたとき、世界の運命が決まった。
*ご都合主義です。わかりづらいなどありましたらすみません。笑って読んでくださいませ。本編15話で完結です。番外編を数話、気まぐれに投稿します。よろしくお願いいたします。
この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
このたび、あこがれ騎士さまの妻になりました。
若松だんご
恋愛
「リリー。アナタ、結婚なさい」
それは、ある日突然、おつかえする王妃さまからくだされた命令。
まるで、「そこの髪飾りと取って」とか、「窓を開けてちょうだい」みたいなノリで発せられた。
お相手は、王妃さまのかつての乳兄弟で護衛騎士、エディル・ロードリックさま。
わたしのあこがれの騎士さま。
だけど、ちょっと待って!! 結婚だなんて、いくらなんでもそれはイキナリすぎるっ!!
「アナタたちならお似合いだと思うんだけど?」
そう思うのは、王妃さまだけですよ、絶対。
「試しに、二人で暮らしなさい。これは命令です」
なーんて、王妃さまの命令で、エディルさまの妻(仮)になったわたし。
あこがれの騎士さまと一つ屋根の下だなんてっ!!
わたし、どうなっちゃうのっ!? 妻(仮)ライフ、ドキドキしすぎで心臓がもたないっ!!
離れた途端に「戻ってこい」と言われても困ります
ネコ
恋愛
田舎貴族の令嬢エミリーは名門伯爵家に嫁ぎ、必死に家を切り盛りしてきた。だが夫は領外の華やかな令嬢に夢中で「お前は暗くて重荷だ」と追い出し同然に離縁。辛さに耐えかね故郷へ帰ると、なぜかしばらくしてから「助けてくれ」「戻ってくれ」と必死の嘆願が届く。すみませんが、そちらの都合に付き合うつもりはもうありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる