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新任の先生
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「これは、ストーリー上になかった展開だな」
ハースの言葉が、グリーン・モーシャスは理解できなかった。初めてハースに会った日のことを、グリーンは忘れないだろう。
グリーンはハースのクラスの担任が病気で長期間休むことになり、代わりに雇われて赴任してきた。
ストーリー、と言われた意味もわからなかったが、何より、他の先生たちから「ハースのやることには口を出さない方がいい」と忠告されたことも理解できなかった。
そして、ハースの授業態度を見て、グリーンは他の先生の忠告の意味が理解できなかった。
ハースは黒板など見ていないのだ。
その視線の先には常に横の席のアリスがいた。
グリーンは先生として働くに当たって、これを放置するわけにはいかないだろうと思った。
授業を聞かせる。それが、先生としての役割だ。
「ハース君、前を向きたまえ」
教室はもともと静かだったが、生徒たちのペンの音が止まって、更に静まり返る。でも、グリーンの注意にハースはピクリともしなかった。
「ハース君、前を、む・き・た・ま・え!」
グリーンは、威厳があるように、そして諌めるように、再度ハースに声をかけた。それでもハースはピクリともしなかった。いや、表情は変わったのだ。
グリーンの注意でアリスがハースを向いたときに、満面の笑顔になった。
アリスはと言えば、ハースを見たあと、申し訳なさそうな表情でグリーンを見た。その瞬間、またハースの表情が変わった。
明らかに悲しい顔になった。が、またアリスがハースを向くと、笑顔になった。あまりの表情の変わりように、百面相を見ている気分になる。
それほどハースにとってアリスの存在は大切らしい。
そしてグリーンは、我にかえる。
たとえハースがアリスのことを大切だとしても、授業中の態度としてはいただけない。
「ハース君、君は、授業を聞く気がないのかい?」
「聞いていますよ、グリーン先生」
だが、その顔はアリスを向いたままだ。
グリーンはムッとした表情を出さないように、極めて冷静に対処しようとする。
「ハース君。君が黒板及び私を見ていないのは、聞いているようには思えないのだが」
ハースが初めて前を向いた。
「先生。私は授業を耳で聞いて覚えます。ですが、一度の授業で覚えられる量は決まっています。ですから、先生が必要のないことを話す度に、その情報も私の中に記憶されていき、後で話される覚えるべきことが覚えられなくなります。その結果、授業についての点数が下がってしまうことになるのです。申し訳ありませんが、授業の内容のみ話していただけないでしょうか」
ハースが前を向いたことにホッとしたグリーンだったが、その内容に沸々と怒りが沸いてくる。だが、生徒の手前、何とか怒りを飲み込む。
しかも、ハースはそれだけ言うと、またこともあろうに横を向いたのだ。
「ハース君」
怒りをにじませ、グリーンが名前を告げた。
「先生。お言葉ですが、先生の言葉をよく聞けるように、私は横を向いているのです。何しろ耳で聞いて覚えますので」
絶対違う、とグリーンはつかつかとハースの席に近寄った。
「ハース君、前を……」
グリーンの目に、ハースの机にのっている閉じられた教科書と手帳が見えた。
その手帳は何かがびっしりと書かれている。
グリーンがその手帳を手にとると、あ、とクラス中から声が漏れた。
「何だこれは。8時50分ジャスト アリスの顔が赤くなってかわいい……。ハース君、これは授業と関係ないものだ、仕舞いたまえ」
グリーンが手帳から顔をあげた瞬間、教室に奇妙な緊張感が走っているのに気付く。
ハースがニコリと笑っている。だが、その目はひどく冷ややかだ。
グリーンはなぜだか、背中を冷や汗が伝った。
「先生。それは私にとってはアリスの次に大切なものです。お返しいただけますか?」
「いや、それはできない。それに、その態度は何だね?」
「私には、初めての教師の時には、アリスを観察していいという許可があります」
「何を! どこにその証拠が?!」
「手帳の一番前の一番下を見てください」
冷静なハースの声に、グリーンが手帳をめくる。
「何だ……これは」
グリーンの手が震える。
「初めての教師の授業の時にはアリスをずっと見ていても不問に処す、と書いてありますよね?」
「な、何だこれは!」
「見ての通り、学園長の許可ですよ。アリスの反応は、つぶさに見ておきたいですからね」
アリスを始めとするクラスメイトたちが、同情の視線をグリーンに向けた。
アリスたちもこのやり取りを久しぶりに見たが、先生に同情する気持ちしか出ない。
グリーンは何とか気持ちを立て直した様子で、ハースを見た。
「だとしてもだ。この手帳は授業と関係がない。よって、没収する」
「グリーン先生。その手帳についても、授業中に所持及び記入していても不問とすと、学園長から許可をいただいています」
「……何だね、それは」
「アリスのためには、労力は惜しまないと決めています」
グリーンが、ガックリと肩を落とした。
「先生、それで授業を再開していただきたいんですが」
ハースの声に、グリーンが死んだ目でハースを見る。
「……聞く気がないのに、かね?」
「先生、私はきちんと授業を聞いていますし、授業を受けないとアリスに絶交されてしまうんです」
グリーンが無言で教壇に戻る。
今となっては、他の教師たちの忠告が身に染みた。
このハースがどの教科でも満点をとるのだという事実が、更にむなしい気分にさせた。
だから天才ってやつは嫌いなんだ、とグリーンが心の中で呟いたことを、アリスを見つめるハースは知らない。
ハースの言葉が、グリーン・モーシャスは理解できなかった。初めてハースに会った日のことを、グリーンは忘れないだろう。
グリーンはハースのクラスの担任が病気で長期間休むことになり、代わりに雇われて赴任してきた。
ストーリー、と言われた意味もわからなかったが、何より、他の先生たちから「ハースのやることには口を出さない方がいい」と忠告されたことも理解できなかった。
そして、ハースの授業態度を見て、グリーンは他の先生の忠告の意味が理解できなかった。
ハースは黒板など見ていないのだ。
その視線の先には常に横の席のアリスがいた。
グリーンは先生として働くに当たって、これを放置するわけにはいかないだろうと思った。
授業を聞かせる。それが、先生としての役割だ。
「ハース君、前を向きたまえ」
教室はもともと静かだったが、生徒たちのペンの音が止まって、更に静まり返る。でも、グリーンの注意にハースはピクリともしなかった。
「ハース君、前を、む・き・た・ま・え!」
グリーンは、威厳があるように、そして諌めるように、再度ハースに声をかけた。それでもハースはピクリともしなかった。いや、表情は変わったのだ。
グリーンの注意でアリスがハースを向いたときに、満面の笑顔になった。
アリスはと言えば、ハースを見たあと、申し訳なさそうな表情でグリーンを見た。その瞬間、またハースの表情が変わった。
明らかに悲しい顔になった。が、またアリスがハースを向くと、笑顔になった。あまりの表情の変わりように、百面相を見ている気分になる。
それほどハースにとってアリスの存在は大切らしい。
そしてグリーンは、我にかえる。
たとえハースがアリスのことを大切だとしても、授業中の態度としてはいただけない。
「ハース君、君は、授業を聞く気がないのかい?」
「聞いていますよ、グリーン先生」
だが、その顔はアリスを向いたままだ。
グリーンはムッとした表情を出さないように、極めて冷静に対処しようとする。
「ハース君。君が黒板及び私を見ていないのは、聞いているようには思えないのだが」
ハースが初めて前を向いた。
「先生。私は授業を耳で聞いて覚えます。ですが、一度の授業で覚えられる量は決まっています。ですから、先生が必要のないことを話す度に、その情報も私の中に記憶されていき、後で話される覚えるべきことが覚えられなくなります。その結果、授業についての点数が下がってしまうことになるのです。申し訳ありませんが、授業の内容のみ話していただけないでしょうか」
ハースが前を向いたことにホッとしたグリーンだったが、その内容に沸々と怒りが沸いてくる。だが、生徒の手前、何とか怒りを飲み込む。
しかも、ハースはそれだけ言うと、またこともあろうに横を向いたのだ。
「ハース君」
怒りをにじませ、グリーンが名前を告げた。
「先生。お言葉ですが、先生の言葉をよく聞けるように、私は横を向いているのです。何しろ耳で聞いて覚えますので」
絶対違う、とグリーンはつかつかとハースの席に近寄った。
「ハース君、前を……」
グリーンの目に、ハースの机にのっている閉じられた教科書と手帳が見えた。
その手帳は何かがびっしりと書かれている。
グリーンがその手帳を手にとると、あ、とクラス中から声が漏れた。
「何だこれは。8時50分ジャスト アリスの顔が赤くなってかわいい……。ハース君、これは授業と関係ないものだ、仕舞いたまえ」
グリーンが手帳から顔をあげた瞬間、教室に奇妙な緊張感が走っているのに気付く。
ハースがニコリと笑っている。だが、その目はひどく冷ややかだ。
グリーンはなぜだか、背中を冷や汗が伝った。
「先生。それは私にとってはアリスの次に大切なものです。お返しいただけますか?」
「いや、それはできない。それに、その態度は何だね?」
「私には、初めての教師の時には、アリスを観察していいという許可があります」
「何を! どこにその証拠が?!」
「手帳の一番前の一番下を見てください」
冷静なハースの声に、グリーンが手帳をめくる。
「何だ……これは」
グリーンの手が震える。
「初めての教師の授業の時にはアリスをずっと見ていても不問に処す、と書いてありますよね?」
「な、何だこれは!」
「見ての通り、学園長の許可ですよ。アリスの反応は、つぶさに見ておきたいですからね」
アリスを始めとするクラスメイトたちが、同情の視線をグリーンに向けた。
アリスたちもこのやり取りを久しぶりに見たが、先生に同情する気持ちしか出ない。
グリーンは何とか気持ちを立て直した様子で、ハースを見た。
「だとしてもだ。この手帳は授業と関係がない。よって、没収する」
「グリーン先生。その手帳についても、授業中に所持及び記入していても不問とすと、学園長から許可をいただいています」
「……何だね、それは」
「アリスのためには、労力は惜しまないと決めています」
グリーンが、ガックリと肩を落とした。
「先生、それで授業を再開していただきたいんですが」
ハースの声に、グリーンが死んだ目でハースを見る。
「……聞く気がないのに、かね?」
「先生、私はきちんと授業を聞いていますし、授業を受けないとアリスに絶交されてしまうんです」
グリーンが無言で教壇に戻る。
今となっては、他の教師たちの忠告が身に染みた。
このハースがどの教科でも満点をとるのだという事実が、更にむなしい気分にさせた。
だから天才ってやつは嫌いなんだ、とグリーンが心の中で呟いたことを、アリスを見つめるハースは知らない。
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