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ライムグリーンの夢を見る

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「ね、今週末の旅行、婚前旅行? 新婚旅行?」

 隣の席の佐崎が声を潜めて問いかけてくるのを、俺は呆れた気分で聞き流す。
 何が! 婚前だ! 新婚だ!
 俺が地元に帰るだけだっつーの!

「え? とうとうそんな話になったんですか?! やっぱり、ライバルの出現に梶山先生、覚悟を決めたんですね」

 弾んだ声を出したのは、俺の反対側の席にいる水田だ。佐崎の声聞こえてたのか!

 あー。確かに定時は過ぎてるから、何の話をしててもいいけどなー。
 お前ら二人、どっか別のところでその話してくれないかなー。俺と無関係なところで!
 俺は水田も無視して、カチカチとパソコンに打ち込んでいく。

「ね、村尾。どっちなの?」
「入籍はいつですか」

 こいつら!

「用事がないならもう帰れば」

 顔は画面に固定したまま、俺は極めて冷静な声を出した。淡々と、これ大事。感情的になったら最後、佐崎のおもちゃにしかならないと、ようやくわかったからだ。

「あー。マリッジブルーってやつね。わかるわかる」
「ああ。これがマリッジブルーってやつなんですね。村尾先輩でも、結婚を前にするとブルーにもなるんですね」

 佐崎、何言ってんだよ。俺に結婚の予定なんてないってーの!
 おい水田。何気に俺をディスってるだろ! 何が俺でもだよ! 
 でも俺は頭の中で文句を言っただけで、佐崎にも水田に顔を向けることなく画面に顔を固定したままパソコンを打つ作業に没頭する。
 こいつらに巻き込まれたら最後、カオスにしかならない。

「プロポーズはどっちからしたの?」

 おい佐崎。何で旅行の話からそんな話になったんだよ!

「佐崎先輩。それはもちろん、村尾先輩からですよ! 何たって攻めですからね!」

 何が攻めだよ! そんな事実なんてないから!

「えー。でも、いつもは梶山先生の方がイニシアチブ取ってそうじゃない」
「それは、日常の話ですよね? まあ、立場としてはドクターですし梶山先生が上ですから、いつもはそうですけど、2人きりになったら逆転するんですよ」

 水田、何が楽しいんだ。声が跳ねたけど?

「えー。私はどう考えても、村尾がプロポーズするとは思えないけど。水田さんだってさっき、梶山先生覚悟決めたんだって言ってたじゃない」
「いえいえ。それは、村尾先輩のプロポーズを受ける覚悟ってことですよ! 梶山先生も、一応ドクターとして立場のある人じゃないですか。だからきっと、こういう仲間内ではオープンにできても、公にオープンにするとか覚悟がいると思うんです」

 ちょっと待て。何で俺がプロポーズしたことになるんだよ! 俺には覚悟いらないのかよ! って言うか、公にオープンとか、どいう言うことだよ! 既にこの病院内では俺と梶山先生のカップル勝手に出来上がってるじゃねーかよ!

「えー。私は梶山先生から逆プロポーズって感じだと思うんだけど。だって、村尾あんな感じで煮え切らなかったでしょ? だから、ライバルの出現に村尾を取られたくないって思った梶山先生が、覚悟を決めて村尾にプロポーズした。ね、村尾違う?」

 何の事実も伴ってねー。頷くところが何もねー!

「えー。私は絶対村尾先輩がプロポーズしたと思うんです」
「いやいや、梶山先生だって! ね、村尾!」

 うるせー!

「技師長!」

 俺は2人を無視して、部屋の隅で談笑していた技師長に声を掛ける。

「何だ?」

 3人ほどのスタッフの間から顔を出した技師長が、俺に問いかける。

「席替えしましょう! 俺、静かな席に座りたいです」
「あー」

 技師長はどうやら俺が2人に囲まれているのを見て、何が起こったのか理解してくれたらしく、苦笑している。

「駄目よ、村尾君。席替えはしません」

 なのに、横から口を出してきた井上先輩に却下される。
 この部署の実質のボスは、この井上先輩だ。

「この2人がうるさいんです」
「村尾君が答えてあげたら静かになるから。って言うか、答えてあげてくれる? ちょっとうるさくなってきたわよ」

 俺を諭すようにそう言うと、井上先輩は自分のパソコンに向かった。どうやら一方的に話は終了したらしい。

「らしいから、席はそのままな」

 苦笑したままの技師長の言葉が、虚しさを増す。……って言うか、最近二人に色々言われると、冗談抜きで頭の中に想像が生まれたりして……本当に嫌なんだけど。

「ほら、村尾答えて!」

 佐崎の言葉に、水田がうんうんと頷いている。

「俺と梶山先生は付き合ってない」

 声を荒げることなくきっぱりとそう言ったのに、佐崎と水田が大きなため息をついた。

「マリッジブルーって、やっかいね」
「本当ですね」

 どうしてそうなる!? ……本当にない……んだって!

「誰が、マリッジブルーなんだ?」

 聞こえてきた声にドキリとする。何でこのタイミングで来るんだよ! この2人が喜ぶだけじゃねーかよ! って言うか、俺もドキリとかするなよ! ギクリだろ、普通!

「あー。いえ、先生。村尾でもマリッジブルーになるんだなーって話です」
「違うだろ」
「あー。そういうこと」

 俺が否定したって言うのに同意する梶山先生に、は?! となる。

「やっぱり最近、おかしいですか」

 水田の声は、心配をしているというよりは、好奇心に満ちている。

「そうだな」
「梶山先生何言ってるんですか」

 なぜか俺の心臓がドキドキし始める。やめろ、俺の心臓! バカじゃないのか!?

「まあまあ、村尾。夫婦に喧嘩はつきものだから気にしない。それで、今週末仲直りの旅行なんですね」

 どこに夫婦がいるんだよ! 佐崎ウキウキすんな! もう本気でからかうのやめてくれ……。

「実はな、最初は一人で行くとか言い出してな」

 梶山先生、何言っちゃってるわけ?! 当たり前だろ!

「地元で合コン行くから」

 俺は一人で地元に帰る! 俺は、ノーマルなんだって!
 俺の言葉に、佐崎と水田の口から非難の悲鳴が沸く。

「何言ってんの! マリッジブルーの最たるものじゃない! この相手と結婚していいのかって不安になったからって、軽々しく合コンとか言うんじゃないわよ!」
「そうですよ! 村尾先輩ひどいです! マリッジブルーになるのは勝手ですけど、梶山先生を悲しませるようなことしないでください」

 俺、非難されるようなこと、してないよな……。俺だって……。いや、何もない!

「そもそも俺は彼女が欲しいの。だから合コンに行くんだって」

 俺はノーマル! 自分に言い聞かせる。

「…そうね、そもそも村尾は、その自分の姿が受け入れられなくて、梶山先生の気持ち、ないがしろにしてたんだもんね」

 佐崎の言葉にドキッとする。

「…でも、梶山先生の気持ちは、どうなるんですか」

 泣きそうな声の水田に言いたい。そんなもの存在しねーよ! ……そうなんだよ。梶山先生は、俺をからかってるだけなんだよ……。

「2人とも、心配してくれてありがとう。その話は解決して、2人で旅行に行くことになったから」

 ニッコリと笑う梶山先生が、俺には悪魔にしか見えない。……俺の気持ちも知らないくせに……。いや、いや、梶山先生はからかってるだけだ。それに、俺はノーマルだ!
 何が2人で旅行だよ! そんな話してねーし!

「梶山先生、そんな約束してないですよ」
「何だ、やっぱり婚前旅行ね」
「え? 新婚旅行じゃないんですか」

 どうして誰も俺の言葉を拾わねーんだよ!

「それで村尾。その旅行の話なんだけど」
「話すことはありません」

 そもそも一人で帰るって言ったよな!? 俺を惑わすのやめてくれ!

「あー。村尾、照れてる!」
「へー。村尾先輩は照れるとムッとするんですね」

 お前ら、普通にムッとしてるんだよ! 曲解するな! たとえ真実が僅かに混ざってるかもしれないけどな!

「ちょっと梶山先生、外で話しましょう」

 コイツらいると、カオスになるだけだ!

「村尾、ここ職場だからね?」

 …何で俺、佐崎に忠告されてるんだろう…。何もなるわけないのに。
 何だか泣きたい気分で席を立つと、俺はスタッフルームを出る。
 スタッフルームのドアが閉じると、途端に梶山先生がクククと笑い出す。

「佐崎と水田が揃うと、ますますすごいな」
「わかっててかき回すの辞めてもらえません? 俺の仕事が進まなくて困るんですけど」
「あー。悪かったな」

 全然悪いと思っていなさそうなその声に、俺はムッとなる。

「悪いと思うなら、これ以上誤解されるような言動は慎んでください! 本当にあいつらがめんどくさいんですって!」

 俺の気持ちもかき乱すの辞めて欲しい!

「わかったわかった。で、今週末、何時に出発するんだ?」

 で、じゃ、ねーよ。

「…出発は何時でもいいじゃないですか。俺は一人で帰ります!」
「俺もお前の地元で働いてたんだし、知り合いに会いに行きたいから、一緒に行けばいいだろ」
「俺、今回電車で帰ろうかと思ってたんですけど」
「今週末、いい天気らしいぞ。海風切って走るの、気持ちいいぞ」

 その誘い文句に、グググ、と唸る。俺の地元に戻るなら、その道は海沿いになるだろう。だけど!

「地元まで結構距離ありますし。親がその距離移動するの心配するんで」

 そう言い訳を述べれば、梶山先生が呆れた顔をする。

「お前、マザコンか」
「違いますよ」
「じゃ、ツーリングな」
「…俺、こっちに帰って来るの、月曜日にしてますけど」

 帰りは一緒に帰りませんよアピールだ。

「あ、佐崎に確認して知ってる。俺も休みだから大丈夫」

 大丈夫って何だよ! 佐崎の新婚旅行説がどこから湧いて来たか、ようやく理解する。

「俺、絶対合コン行きますから!」
「ま、それは行けばいいんじゃない」

 ニヤニヤ笑う梶山先生に、俺は戦果を見せてやることに決める。
 ……俺は梶山先生のことを好きなわけじゃないって、証明してやる。


 *****


「くっそ、いい走りするよなー」

 俺は梶山先生の背中を追いかけるメットの中で、憧れと自分に足りないものを見せつけられたような複雑な気分でぼそりと呟く。高速道路を走っていてそう感じるってことは、それだけ差があるってことだろう。マシンの差だけとも言えないその何かは、確実に俺と梶山先生の間に横たわっている。
 やっぱり、梶山先生の走りは、俺とは一味違う。それは経験の差だけでもマシンの差だけでも説明できるわけじゃないと思うのだ。言うなればセンス。生まれ持っている何か、だと思う。
 悔しいけど、梶山先生の走りに勝てそうな気はしない。勝ち負けがあるわけじゃないけど、俺の走りじゃ、梶山先生を唸らせることはできないだろう。悔しいけど、俺は梶山先生の背中を追っていくことしかできなさそうだ。
 前を走るマシンがウィンカーを出したのを見て、俺もウィンカーを出す。
 何もなければこのサービスエリアで休憩しようと走り出す前に決めていた。ちょっと休憩には早すぎる気はするけど、ベテランの梶山先生が言うのだから、それに従った方がいいだろうと異は唱えなかった。

「大丈夫そうか」

 メットを取ると、強くなってきた日差しが俺を刺す。まぶしくて目を細めていると、梶山先生が影を作った。何だよ、ヤローにこんな優しさ見せるなよ……。

「まだ走り始めたばっかりなのに、音を上げてたら家にたどり着かないですよね?」

 心配そうな様子に苦笑すれば、梶山先生が肩をすくめる。

「それもそうだけどな」
「次、どこで止まります?」

 俺の問いに、梶山先生がちょっと逡巡して、口を開く。

「この先に寄りたいところがあるんだけど、寄ってもいいか」
「えーっと、下道に降りるってことですか」
「ああ。このペースで行くなら、昼過ぎにはお前の地元にはたどり着くだろうし、行けるな、と思ったんだけど。お前が昼前にたどり着きたいって言うなら、急ぐけど」

 特に今日の用事は夜の合コンくらいのもので、俺には他に用事もなかったから、同意の意味で首を振った。

「特に何もないんでいいですよ」
「わりーな。行くつもりなかったんだけど、お前と走ってたら行きたくなって」

 妙に神妙な梶山先生に俺は首をかしげる。

「一体どこに行くんですか」
「ダチの所」
「ダチ、ですか。えーっと、こんな時間ですけど」

 まだ朝の8時を過ぎたところだ。起きててもおかしくはないけど、常識的に訪ねるような時間じゃまだないはずだ。しかも、初対面の俺を伴って。

「大丈夫。生きてるわけじゃない」

 大丈夫、と言われたことと、生きてるわけじゃない、と言われたことが結び付かなくて少し戸惑う。でも出た答えは一つしかない。

「お墓、ってことですか」
「そ。トイレとか行くか」
「行きます」

 今は詳しく話してくれそうにない雰囲気に、俺は言われるままトイレに向かう。
 何でこんなところに? とか、俺と走ってて会いたくなる友達って? とか疑問がいくつかは沸いて来たけど、答える気があれば答えてくれるだろうし、答える気がなければ答えてくれないだろうと、当たり前すぎるところにたどり着いて、それ以上は考えるのを辞めた。
 梶山先生だって感傷的な気分になることだってあるってことだ。




 たどり着いた霊園は、高台の静かな場所だった。
 バイクを置いた駐車場から、下に広がる街の景色が見える。

「いい眺めですね」

 メットを置いて梶山先生を見ると、梶山先生は何とも言えない表情で街を見下ろしていた。

「だな。前に来た時には気づいてなかったけど」
「何回か来てるんじゃないんですか」
「…来たかったんだけどな。怖くてな」
「怖い、ですか」

 その単語の意味がよくわからなくて、俺は首をかしげる。

「…俺が、一緒に居るとき事故ったんだよ」

 その意味するところを理解して、梶山先生が墓参りに来れなかった理由を知る。

「事故で?」
「事故ったときには、ピンピンしてたんだよ。本人もケロッとしててな」
「え? じゃあ、どうして」
「ピンピンしてるからって、頭の検査をされてなかったんだよ」

 え、と声が漏れる。

「次の日、俺があいつの部屋に行った時には、もう意識がなくてな。硬膜外血腫だったんだと思う」
「それって…医療ミスじゃないですか」
「そうだな」
「それは…たとえ梶山先生が医者だったとしても、その病院の医者じゃないんだったら、責任はありませんよ…一言、頭の検査を、って言うことはできたかもしれないですけど」

 最後の言葉は、どうしてもしりすぼみになる。医療関係者として、そこを気にしないわけがないと思うのだ。まして梶山先生は放射線科の医者だ。

「俺がその時そんな知識があったら、ごねてでも撮ってもらってただろうな」
「…その時、梶山先生はいくつだったんですか」
「十九歳だった。でも医者を目指してたわけじゃない」
「え? じゃあ、何を?」
「俺とあいつは、プロのレーサーを目指してた」

 その言葉で梶山先生のバイクのセンスの理由が分かる。プロを目指すぐらいだ。その技術に俺が叶わないと思うのも当たり前だ。

「もしかして、その事故で、目指すの辞めたんですか」

 責任を感じて。その言葉は飲み込んだ。軽々しく言えそうにはなかったからだ。

「いや。医者って結構やぶなんだなって思ったら、俺でもなれそうな気がしてさ。あんな奴でもやれるなら俺もなってやるって」
「何ですかそれ」

 予想外の理由に、俺は苦笑する。

「俺なら絶対、そんな理由で大事な奴を死なせたりしないって、そう思って」

 梶山先生が放射線科を選んだ理由が分かったような気がして、梶山先生の気持ちを思うと俺の方が涙が滲む。

「何おまえがしんみりしてんだよ。ほら、行くぞ」

 梶山先生が歩き出して、俺は慌ててそれについていく。

「場所、覚えてるんですか」

 ずっと来てないんだとしたら、その場所も不確かだと思うのだ。

「おまえと違って記憶力はいんだよ」

 確かにその足取りは迷うことはない。俺はそれに就いていくだけで良さそうだ。

「…先生は、その後バイク乗るの、怖くなかったんですか」

 梶山先生の背中に問いかける。自分が事故にあったわけではない。でも、目の前で事故った人間が亡くなってしまったのだ。俺だったら怖くて乗れなくなるかもしれない。

「怖くないって言ったら嘘になるな。けど、結局バイクが好きだからな。乗らずにはいられないんだよ」
「なら、どうしてプロ目指すのやめたんですか」

 余計なお世話だと思うけど、もったいなかったんじゃないかって、そう思ったのだ。

「結構な、限界を感じてるところだった。あいつの方がもっともっとすごくて、あいつはプロになるだろう。プロになっても勝てるだろうって、そう思ってた。俺はプロになっても、勝てたかどうか。意地で続けたとは思うけどな」

 梶山先生らしくない弱気な発言に驚く。

「梶山先生でも、そんなこと思うんですね」
「俺でもってなんだよ。俺だって人間なんだけどな」
「いえ。いつでも尊大で自信があって、怖いものなんてないんだと思ってましたよ」

 俺の梶山先生のイメージは、そんな感じだ。

「ひでーな。俺だって自信がなくて怖いものだってあるよ」

 ぴたり、と梶山先生の足が止まる。

「あー。花とか何も用意してなかったわ」

 困ったように言う梶山先生に、俺はクスリと笑ってしまう。

「案外常識的なこと言うんですね」

 梶山先生がギロリと俺を睨む。

「重ね重ね、お前ひどいこと言うな。わりーな貴。こんな口悪いダチ連れて来て」
「どうとでも言ってください」

 俺が肩をすくめるのと、梶山先生が手を合わせたのは同時だった。
 俺もそれに倣うように手を合わせる。
 ダチ、と梶山先生に説明されたことが、何だかこそばゆいような感じもあったけど、嬉しさもあった。何だか、同等に扱われているみたいで。
 静寂の中に急にセミの声が聞こえてくる。さっきまで気にもしてなかった音が、耳に届いて、急にうるさく感じる。

「バイクには乗らずにはいられなかったけど、ずっと楽しいって気持ちを忘れてたんだよ」

 梶山先生の声に顔を上げると、まだ梶山先生は目をつぶって手を合わせたままだった。
 俺はその横顔を見ながら、その先の言葉を待つ。 

「村尾と初めてタンデムした日、久しぶりにバイクに乗ってて楽しいって思ったんだよ。本当に久しぶりに。ああ、バイクに乗るのって、こんなに楽しかったよなって、思い出した」

 顔を上げた梶山先生が横に立つ俺を見る。

「だから、お前には感謝してるんだ。バイクの楽しさを思い出せたから」

 いつもの意地悪な顔とは違う、何かが吹っ切れたような優しい顔に、俺は胸が詰まる。

「俺、何もしてませんよ。単にバイクに乗せてもらっただけですから」
「そうなんだよな。お前何もしてないんだよ。なのに俺に恩を売るとか、ずりーな」
「…そうやって意地の悪いこと言わなければ、尊敬できる先生なんですけどねー」

 あっという間にいつもの表情に戻った梶山先生に、残念なようなホッとするような。

「貴、俺、お前みたいなやつ、二度と出さないから」

 もう一度お墓を見た梶山先生は真面目な顔でそう言い切ると、俺の方を振り返る。

「さて、行くか」

 その顔は、いつもの梶山先生だった。

「はい」

 先を歩く梶山先生について歩きながら、俺は一度足を止めると、貴、と呼ばれていたお墓を見る。
 俺も梶山先生が見落とさないように手伝いますから、そう心の中で呟いて、梶山先生を追いかけた。
 俺は、梶山先生の隣に立ち続けたい。なぜだか、そう思ってしまった。


 *****



「連絡先、交換しよ?」

 めちゃくちゃタイプの女の子にそう言われて、俺は慌ててスマホを取り出す。間違いなく、昔ならウキウキしていた。でも、今日はタイプのはずなのに、心がウキウキしない。
 すると、タイミングを読んだようにスマホが着信を知らせる。
 画面に出ている名前は“梶山先生”だ。ドキリとする。俺の心を読んだみたいだ。
 少し迷っていると、女の子が出たら?と言ってくれたので、そのままスライドする。

「もしもし?」
『お前、どこにいる?』
「…どういう意味ですか」
『ここで飲みに行くところなんて限られてるだろ。近くに居るんだよ。家に送って行ってやるから』
「あのー。帰れますから大丈夫です」

 余計なお世話だ! 俺はノーマルだって証明するんだから! 女の子をお持ち帰りしてやる! なぜか、やけになった。

『俺の親切、断ったらどうなると思ってる?』
「…知りませんよ。電話、切りますよ」

 どうせ、俺をからかうだけなんだから……。

「いた。やっぱりな」

 電話からじゃなくて梶山先生の声がして、ドキリと心臓が跳ねる。

「何でここに…」
「女子受けしそうな飲み屋なんて少ないだろ」

 なるほど、良く知ってるわけだ。そのことにツキンと胸が痛むとか、本気で俺、どうなってるわけ。

「村尾君、誰?」

 さっきまで俺に笑顔でいた女の子が、明らかにさっきと違うテンションになる。
 あれ?

「あ、梶山と言います。彼と同じ病院で働くドクターです」

 ドクター?! と女の子たちが色めき立つ。
 あれ、何で梶山先生、そんなに医者スマイル発揮してんの?

「あの! これから飲みに行きませんか」

 …あれ? 彼女、俺と連絡先交換してくれるんじゃなかったっけ? 何だか嫉妬心が生まれる。梶山先生は、俺を連れて帰るために来たんだよ!

「ごめんね。俺バイクで来てるから、代車とか頼めるわけじゃないし」

 断る梶山先生にホッとするし、嬉しくなる。

「えー。あ! あの私、バイク乗ってみたいんです」

 …あれ? 俺がバイク乗ってるって言った時、そんな反応したっけ? …一応してたけど、こんな積極的じゃなかったんだけどなー。むかむかする気持ちが、湧いてくる。

「な、村尾。この高スペックドクター、明らかにお前の狙ってた女の子が狙ってるけど、大丈夫?」

 悪友が俺に耳打ちしてくる。そうだよな? 俺もそうじゃないかなーって思ってた。

「帰ってもらうわ」
「そうした方がいいと思うぞ。俺らが狙ってる女の子も完全に浮足立ってる。何だよこのイケメン」

 そうだ。見慣れてしまっていたけど、この男、美形だったんだった! 医者って仕事にイケメンとあらば、女の子が浮足立っても仕方ないのかもしれない!

「梶山先生、俺らこれから2次会行くんで、もう帰ってもらっても大丈夫ですよ」

 もう、女どもに梶山先生を見せたくなかった。

「えー。梶山先生も行きましょうよ! 飲まなくてもいいんで」

 俺と番号交換しようとしていた女の子が、梶山先生とさりげなく腕を組む。…何だこれ!

「いや、村尾連れて帰らなきゃいけなくて。こいつのおふくろさんから頼まれてて」

 嘘だと分かっていても、断ってくれたことが嬉しくなる。

「えー。残念! じゃあ、連絡先交換しましょう?」

 ニッコリ笑う女の子は、女豹のような顔をしている。嫌悪感が湧く。

「悪い。俺、頭の悪い女は嫌いだから」

 あ。
 本気で嬉しかった。

「早く帰れば」

 女に睨まれても、全然痛くもかゆくもなかった。寧ろ、ざまーみろ、って気分しかなかった。

「ほら、帰るぞ」

 ガシリと梶山先生に腕をつかまれて、俺は湧き出てくる喜びの表情を殺す。嫌そうな顔で、梶山先生に付いて行く。だって、俺の気持ちがばれても困る。……梶山先生は、ノーマルだから。

「あー、村尾お疲れ!」

 悪友たちが俺の気持ちを知ってか知らずか、ねぎらいの言葉を背中にかけてくれる。

「お前、見る目ないな」
「…梶山先生が来る前までは、かわいらしい女の子でしたよ。俺の好みぴったりの!」

 俺は本心を隠して嘘を告げた。合コンしてても、何も楽しくはなかった。梶山先生の顔が見たかったのだと言ったら、この人は何と言うだろうか。

「ま、医者でイケメンとなったら、そっちに靡くわな」

 それが、梶山先生なりの意地悪からくる言葉だと分かっていても、嬉しくて頬が緩む。

「断ったら、こうなるってことですか」
「だな」

 梶山先生がニヤリと笑う。その顔にときめくって、俺の頭、本気でおかしいんだと思う。

「一体どこに俺の青春を奪う権利があるって言うんですか」
「俺にバイクを乗る楽しさを思い出させたからだろうなー。お前には付き合ってもらうぞ」

 それが、バイクに限定する話だと分かっていても、俺の心は喜んでしまう。

「俺は彼女が欲しいんですって!」

 それでも、嘘をつく。だって、この人の隣にずっと立っていたいから。バイク仲間でいれば、ずっとずっとそばにいれる。

「お前に彼女できたら、ツーリング減るだろ。嫌だね」

 俺はその言葉にムッとしたふりをして、心の中で喜ぶ。

「もしかしなくても、最初から合コンぶっ壊す気でしたか」
「まー。俺ぐらいのスペックなら、ぶっ壊せるだろうなーって思ってたね」
「…当たり前じゃないですか」
「だからな、それでもお前がいいって女を探せよ」

 ククク、と笑う梶山先生は、きっとその可能性がわずかなのは理解している。だけど、梶山先生の気持ちも俺にはないってこと。仕方のないことだ。

「ひでー! せっかく見直してたのに!」

 俺は怒ってみせる。

「へー。何を見直したんだ?」
「仕事に対しての姿勢をですよ! なのに、いたいけな放射線技師をこんな風にいじめるとか」
「諦めろ。俺にバイクの楽しさを思い出させたんだからな」

 この言葉で、俺は喜びと寂しさを両方味わうなんて、思いもしなかった。
 

 完
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