王妃のおまけ

三谷朱花

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 たとえ行ったとしても、何かが起こるわけではないとわかっているのに。
 事実を確認することだけが怖いだけだ。
 10年間、目をそらし続けていたから、10年もの間、私は夢にうなされ続けたのだと言えるのだけど。
 どうして父と母と弟は死んでしまったのか。その答えも、もう誰にももらえはしないとわかっているから。
 それでも、私の中のわだかまりは、一つも小さくはならなかった。それが、目をそらし続けたせいなんだとは思うけど。
 受け入れるには、辛すぎたから。

 滲んできた涙をそっとぬぐう。
 今だから受け入れられるか、と言われれば、それは簡単ではないとは思うけど。
 でも、3人が死んだという事実を、この目で確認して、受け入れないと、私はもっと先に進めないとも思うのだ。
 この子が無事に生まれてきてくれたら、私は母として強くありたいから。
 10年前に囚われたままではいけないと、そう思えるから。

 そう思えるようになったのが、この世界ではたった二日の間にあった出来事なのだと思うと、不思議でしかない。
 いや、実際には、4か月近い出来事が挟まれてはいるのだけど。そう、あの4か月がなければ、マシュー様との関りがなければ、魔女の記憶が思い出されなければ、私は今ここにいないかもしれない。
 “王妃のおまけ”としてあの世界に召喚されたのは、魔女だったからに違いないけれど、あの世界に召喚されたことで、立夏は救われたのかもしれない。
 ずっと目を逸らし続けていた現実と向き合うためには、あの世界で過ごした時間はなくてはならなかっただろう。
 人を愛することを教えてもらったから。

 *

 放置されて荒れているかと思っていたけど、想像していたよりもずっときれいで、花が活けてあることにも、驚きがある。
 誰かが、この墓を参ってくれているんだと、不思議な思いと、感謝の気持ちが湧き出る。
 私は手に持っていた花と桶を下に置くと、手を合わせた。
 色んな気持ちがごちゃ混ぜで、自分の頭の中なのに自分で整理もできなくて、頭の中でも言葉にできない。
 涙が滲んだ目を上げると、さっき汲んできた水を墓にかける。もっと汚れているだろうと思って途中で買ってきたタオルの出番はなさそうだ。
 墓の横に立って、水をかける。
 父と母と弟の名前があって、10年前の昨日の日付が刻まれている。
 
 どうして、8月7日だったんだろう。

 朝起きてきた弟に、誕生日プレゼントと渡された絵を見てほっこりして、今日はいい一日になりそうだと思えたのに。
 その日の午後には、絶望を感じているなんて、あの朝には思えなかったのに。
 それがどうして私の誕生日に起こったのかなんて、考えたくなくても、私は囚われた。
 いい一日になりそうだと思えた誕生日が、忌まわしい日になるのには十分な出来事だった。
 私が“災い”を起こすからだと、母の呪いの言葉の通りに受け取るには、十分な理由だった。
 もう進もうと思えた今でさえ、同じことがまた起こったら、きっと同じ思いに囚われてしまうんじゃないかと思う。
 それぐらいのショックと衝撃があった。
 通夜も告別式も、記憶は曖昧で、いつの間にか私は喪服で一人、家の中に座っていた。
 誰の気配もない家の中に。
 ああ、私は一人っきりになってしまったのだと、実感するのに十分な静けさの中に。
 25年も住んでいた家からも、拒絶されているような気持ちになる静けさだった。
 私の居場所はここにはどこにもなかったのに、どうしてここに残っているんだと、何も言うはずのない住処からも、拒絶を突きつけられているような気持ちになって、ここにはいられないと思った。
 今となれば、単なる被害妄想でしかないのだと、言えてしまうけれど。あの時の私には、その静けささえも、マイナスに捉えるには十分だった。

 この家にはもういられないと思ったのがきっかけだった。
 私が“災い”であるのなら、友達たちとの付き合いも疎遠にせざるを得ないと思い込んだ。
 どうせ怒られてばかりで誰の役にも立てていないんだからと、私には言語聴覚士は向いていないんだと、仕事を辞めると決めて。
 そうなれば、誰も知り合いがいない場所に移り住んで過ごそうと思った。

 言語聴覚士として働かないのであれば、他に仕事も必要だろうと、仕事がたくさんありそうな関東に行くことに決めて。
 遺産の整理や家の売買やその他もろもろで、少し時間はかかったけど、半年後には関東に移り住んで、新しい生活を始めた。

 それでも、結局言語聴覚士を続けることにしたのは、ある店での出来事が理由だ。
 私が商品を選んでレジの近くに居るときに、右麻痺の影響でびっこを引いた人が目に入った。何の気なしにその人を見ていたら、その人は言葉にならない声を上げて、店員さんを呼んで、一枚のメモを差し出したのだ。
 そのメモを見た店員さんが「これが入荷したらここに連絡すればいいんだね?」と問いかけて、その人は強く頷くと、びっこをひいているにも関わらず、つえをついて颯爽と去ったのだ。
 私にこの出来事は衝撃だった。

 何が、と言われれば、失語症があるにも関わらず、積極的に外に出て自分で用事を済ましている姿が、と言わざるを得ない。
 普通の人には、それが何? と思われるかもしれないけど、我々のリハビリの世界には「訓練室効果」という言葉が存在して、本当はできるはずのことなのに、実際の生活ではしない人にそれを当てはめる。
 どういうことかと言えば、失語症と言っても症状は様々だけど、それこそ検査上では“問題なし”と評価される人が訓練室では普通にしゃべっているのに実際の生活ではしゃべろうとしなかったり、構音障害の人が単語くらいであれば伝わるはずなのに頑として口を閉ざしていたり。この差に、リハビリのスタッフたちは悩まされる。

 患者さんたちは、杖をつかなければ歩けなくなった姿や、言葉がうまくしゃべれないことを人に隠したいと思う気持ちが強い。それも人それぞれだけど、できるのにしないと言う人は、その傾向が強いと思う。
 だから、失語症で、杖をついてもなお、自分の足で出かけて用事を済ませているその姿に感銘を受けたし、そういう人を増やしたいと思った。
 だから、私は言語聴覚士の仕事にもう一度つこうと思えた。
 だから、私には、仕事しか希望が残されていなかった。
 何もかもを捨てざるを得ないと思い込んだ私には、仕事だけが希望だった。
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