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「立夏の名前には意味があるのか」
泣き止むまで私を抱きかかえてくれていたマシュー様が、ふいに質問してきた。
「……一応、私の国の言葉では、夏の初め、という意味です」
この世界にも一応四季はあって、夏という言葉は通じる。一応、というのは、ものすごく気候が穏やかで、あの暑い日差しを感じることがほとんどないからだ。
「夏の初めに生まれたのか」
普通はそう思うよね。
「いいえ。秋の始まりの立秋という日に生まれたそうです」
「……秋の始まり? 9月、か」
「いいえ。8月の始め、7日なんです。……この世界に召喚されたのも8月7日でしたけど、誕生日プレゼントにしては破天荒なプレゼントでしたね」
なぜあの日だったのか、それはいまだにわからない。
「8月?」
怪訝そうなマシュー様の声に、そう思うよね、と思う。
「ええ。8月なんです。……私にもどうして立秋に生まれたのに立夏って名付けたのか、由来はわからなくて」
父が決めてくれていたら、父に聞くことは可能だっただろう。だけど、名付けたのは母で、名づけの由来など教えてくれるわけもなかった。……父も知らないようだったから、他に聞くすべはなかった。
「何で立夏、なんでしょうね」
名前の由来を教えてくれる人は誰もいなかった。それが、私を望んでくれた人は本当は誰もいなかったのだと言われている気がして、哀しかった。
そして、名前の由来を私に教えられる人はもう誰もいない。私が名前の由来を知ることは永遠にないのだ。
「……家族が欲しい」
私の、一番の、そして叶わない願いが漏れる。もうなくしてしまった、二度と手にはいることのないものの。
人間は無い物ねだりをしてしまうのだと、いつか自分で言った気がするけど、手に入らないとわかっているから、欲しくて欲しくて、たまらなくなるのだと思う。
「私がいる」
マシュー様の腕に力が入る。
この気持ちにすがってしまっていいだろうか。今この時だけ、甘えてしまっていいだろうか。この世界の王がくれた、最後の二人の時間を、私の我が儘に使ってしまっていいだろうか。
「私が立夏の家族になろう」
「私は元の世界に帰るつもりですよ」
マシュー様を見上げる。
NOと言って欲しいわけではない。この刹那的な願いを叶える、後押しが欲しかっただけだ。
「帰れなければ、私のとなりにいればいいだけだろう。……死ぬことは許さん」
帰れなければ。……死ぬことは許さん。
……これは、私が元の世界に戻っても構わないということだ。
それが、私にとって都合のいい話であることは間違いない。
今刹那的な私の感情を満足させて、マシュー様の前から消える。
ひどい女だ。恋愛に溺れて父や私や弟を悲しませた母とどこが違う?
「一人は、寂しいですよ」
母のことを思い出して、気持ちにブレーキがかかる。……もうすでに、マシュー様にとって酷なことをしているというのに。
「今だけでもいい。立夏を感じさせてくれ」
耳元にマシュー様の熱を感じる。
「……マシュー様が“ないものねだり”したものは何ですか」
私の言葉にマシュー様が、は、とおかしそうに笑う。
「笑ってないで、教えてください」
「それで、私の気をそらそうと思っているのか」
まさにその通りで、私は黙り込むしかない。
「知りたいか」
「教えてくださるのであれば」
マシュー様を見ると、マシュー様の顔が近づいてくる。
「お前だ立夏。私の理想の女性を“ないものねだり”していたのだ」
顎を抑えられて、一瞬唇が触れ合う。
「ご冗談を」
マシュー様と距離を取ろうとして、逆に腰を抱かれて距離を詰められる。
「冗談ではない」
「私がお母様の姿を見たから、手元に置きたかったんでしたよね?」
「ああ、それは間違いはない」
「結婚を迫られるのが煩わしくて、私を娶ることにしたんでしたよね?」
「ああ、それもあったな」
……ならば。
「さっきのは嘘ですよね?」
「いや。“ふくよか”なのには触手が伸びん。だから、ずっと結婚する気が起きずにいた」
……マシュー様が独身だった理由って、そんな理由だったの?
「……嘘ですよね?」
「……半分は本当だ。……私が子をなしていいのか迷っていた。何せ、必要とされない王弟の子供になってしまうからな」
「……だから、私と致す必要がなかったんですね」
「ああ」
「致すこともない相手が太っていようがいまいが、どうでもよくありませんか」
「どうせなら理想の相手がいいだろう」
……クスリと笑うマシュー様に、まだ信ぴょう性が薄いと思ってしまう。
「致さないと約束してくださいませんでしたか」
「子作りはしないとは言った覚えがある。致さないとは言っていない」
……うーん、そうだったっけ? 私は全般致さないってつもりで言った気がするけど……。
「信頼できない相手は、必要なくないですか」
たとえ理想と思った相手だったとしても。
「……お前の目は気に入っていた」
「えーっと、誰も信じてない目だと言われた記憶はありますが」
「ああ。あの意思を持つ目を見て、そばに置きたいと思った」
「私のことをものすごく警戒してましたよね?」
最初は殺気漏れてたし、あの鎖拘束はなかなか衝撃だったよ?
「警戒するのと好みか好みじゃないかは別の問題だろう?好みであれば警戒を解くとかどこの阿呆だ」
……確かに。すごく正論。この世界にはその阿呆がいそうだけど。
「一緒に眠ることはないって言いましたよね?」
「一緒に眠らなくてもできるだろう」
マシュー様の言葉に想像してしまい、一瞬で顔が赤くなるのがわかる。したことはなくても知識はある。二次元の。
いやいやいやいや。
「そ、そもそも致さないって言ってましたよね?」
さっきも言ったけれど、再度問う。
「世継ぎの理由ではな」
そんな話だった?
「いえ、そうではなかった気がします」
よね?
泣き止むまで私を抱きかかえてくれていたマシュー様が、ふいに質問してきた。
「……一応、私の国の言葉では、夏の初め、という意味です」
この世界にも一応四季はあって、夏という言葉は通じる。一応、というのは、ものすごく気候が穏やかで、あの暑い日差しを感じることがほとんどないからだ。
「夏の初めに生まれたのか」
普通はそう思うよね。
「いいえ。秋の始まりの立秋という日に生まれたそうです」
「……秋の始まり? 9月、か」
「いいえ。8月の始め、7日なんです。……この世界に召喚されたのも8月7日でしたけど、誕生日プレゼントにしては破天荒なプレゼントでしたね」
なぜあの日だったのか、それはいまだにわからない。
「8月?」
怪訝そうなマシュー様の声に、そう思うよね、と思う。
「ええ。8月なんです。……私にもどうして立秋に生まれたのに立夏って名付けたのか、由来はわからなくて」
父が決めてくれていたら、父に聞くことは可能だっただろう。だけど、名付けたのは母で、名づけの由来など教えてくれるわけもなかった。……父も知らないようだったから、他に聞くすべはなかった。
「何で立夏、なんでしょうね」
名前の由来を教えてくれる人は誰もいなかった。それが、私を望んでくれた人は本当は誰もいなかったのだと言われている気がして、哀しかった。
そして、名前の由来を私に教えられる人はもう誰もいない。私が名前の由来を知ることは永遠にないのだ。
「……家族が欲しい」
私の、一番の、そして叶わない願いが漏れる。もうなくしてしまった、二度と手にはいることのないものの。
人間は無い物ねだりをしてしまうのだと、いつか自分で言った気がするけど、手に入らないとわかっているから、欲しくて欲しくて、たまらなくなるのだと思う。
「私がいる」
マシュー様の腕に力が入る。
この気持ちにすがってしまっていいだろうか。今この時だけ、甘えてしまっていいだろうか。この世界の王がくれた、最後の二人の時間を、私の我が儘に使ってしまっていいだろうか。
「私が立夏の家族になろう」
「私は元の世界に帰るつもりですよ」
マシュー様を見上げる。
NOと言って欲しいわけではない。この刹那的な願いを叶える、後押しが欲しかっただけだ。
「帰れなければ、私のとなりにいればいいだけだろう。……死ぬことは許さん」
帰れなければ。……死ぬことは許さん。
……これは、私が元の世界に戻っても構わないということだ。
それが、私にとって都合のいい話であることは間違いない。
今刹那的な私の感情を満足させて、マシュー様の前から消える。
ひどい女だ。恋愛に溺れて父や私や弟を悲しませた母とどこが違う?
「一人は、寂しいですよ」
母のことを思い出して、気持ちにブレーキがかかる。……もうすでに、マシュー様にとって酷なことをしているというのに。
「今だけでもいい。立夏を感じさせてくれ」
耳元にマシュー様の熱を感じる。
「……マシュー様が“ないものねだり”したものは何ですか」
私の言葉にマシュー様が、は、とおかしそうに笑う。
「笑ってないで、教えてください」
「それで、私の気をそらそうと思っているのか」
まさにその通りで、私は黙り込むしかない。
「知りたいか」
「教えてくださるのであれば」
マシュー様を見ると、マシュー様の顔が近づいてくる。
「お前だ立夏。私の理想の女性を“ないものねだり”していたのだ」
顎を抑えられて、一瞬唇が触れ合う。
「ご冗談を」
マシュー様と距離を取ろうとして、逆に腰を抱かれて距離を詰められる。
「冗談ではない」
「私がお母様の姿を見たから、手元に置きたかったんでしたよね?」
「ああ、それは間違いはない」
「結婚を迫られるのが煩わしくて、私を娶ることにしたんでしたよね?」
「ああ、それもあったな」
……ならば。
「さっきのは嘘ですよね?」
「いや。“ふくよか”なのには触手が伸びん。だから、ずっと結婚する気が起きずにいた」
……マシュー様が独身だった理由って、そんな理由だったの?
「……嘘ですよね?」
「……半分は本当だ。……私が子をなしていいのか迷っていた。何せ、必要とされない王弟の子供になってしまうからな」
「……だから、私と致す必要がなかったんですね」
「ああ」
「致すこともない相手が太っていようがいまいが、どうでもよくありませんか」
「どうせなら理想の相手がいいだろう」
……クスリと笑うマシュー様に、まだ信ぴょう性が薄いと思ってしまう。
「致さないと約束してくださいませんでしたか」
「子作りはしないとは言った覚えがある。致さないとは言っていない」
……うーん、そうだったっけ? 私は全般致さないってつもりで言った気がするけど……。
「信頼できない相手は、必要なくないですか」
たとえ理想と思った相手だったとしても。
「……お前の目は気に入っていた」
「えーっと、誰も信じてない目だと言われた記憶はありますが」
「ああ。あの意思を持つ目を見て、そばに置きたいと思った」
「私のことをものすごく警戒してましたよね?」
最初は殺気漏れてたし、あの鎖拘束はなかなか衝撃だったよ?
「警戒するのと好みか好みじゃないかは別の問題だろう?好みであれば警戒を解くとかどこの阿呆だ」
……確かに。すごく正論。この世界にはその阿呆がいそうだけど。
「一緒に眠ることはないって言いましたよね?」
「一緒に眠らなくてもできるだろう」
マシュー様の言葉に想像してしまい、一瞬で顔が赤くなるのがわかる。したことはなくても知識はある。二次元の。
いやいやいやいや。
「そ、そもそも致さないって言ってましたよね?」
さっきも言ったけれど、再度問う。
「世継ぎの理由ではな」
そんな話だった?
「いえ、そうではなかった気がします」
よね?
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