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大分長いこと話し込んでいたから、私が眠りについたのは、日付をまたいでしまっていた。
ベッドに横になって、目を閉じる。
どこか興奮した意識が、眠りを呼ばない。
周りに誰も心を許せる人がいない中で、自分に信頼を向けてくれる人がいたら、それだけでも気持ちは救われる。
それが、嫌悪感など感じない、むしろ目の保養になると思える異性で、毎日顔を会わせていたら?
自分が弱っているところを、気遣ってくれたら?
傾かせまいと頑張っていた気持ちが、傾くのなんてすぐなんだと、初めて気付く。
今まで誰にも傾かなかった……傾こうとしても戒めて何とかなっていた感情が、気付かないようにしていた感情が、重さを持ってしまったのは、私とマシュー様の周りにいる騎士や侍女たちが勘違いしている私たちの関係をコウシャク令嬢に教えられた時だ。
あのときまでは確かに、私はあの感情に気付いてなかった。あのときに気付いた気持ちは、まだ押し込められると思っていた。
なのに、マシュー様のお母様にリハビリをしながら、マシュー様がいることに居心地の良さを感じている私は、もう気持ちが膨らんでいたのだと思う。
マシュー様を好きなんだと思う。
これが、ハッピーエンドの話なんだとしたら、もしかしたら、マシュー様も私のことを好きで、私もマシュー様のことを好きで、めでたしめでたし、なんだろう。
だけど、そのめでたしめでたし、は、高野さんを犠牲にした上に成り立っている。好きでもない愛されもしないかもしれない相手と結婚しなくてはならない高野さんを犠牲にして。
“平和と幸福”を維持するために何の努力もしていないように見える大半の王族と貴族のために、私は高野さんを犠牲にできるかと言えば、絶対にしたくない。
たとえそれが、恋しいと感じた相手の生活をめちゃくちゃにしてしまうとしても、この世界の在り方を私は許容できないのだから。
それならば、私のつまらない恋心なんて、捨ててしまっていいのだ。
そうでなければ、この世界に対して非情なことはできない。
呪われてしまった私の恋など、捨ててしまう方がいい。
私はすがるように耳に付けているラピスラズリのピアスに触れる。そう、恋はしないと決めていたのだから。
*
ハッとして目が覚めて、もう見慣れた天井にほっと息をつく。
毎日毎日、飽きもせず、私はうなされている。だから、この流れも、いつものことだ。
ベッドや部屋や天井が変わっただけで、うなされる内容もうなされることも変わらない。
「お前は、何にうなされているんだ」
唐突な声に、びくりとはするものの、聞きなれた声に、またかと思う。
「マシュー様。寝ている部屋に忍び込むなど悪趣味です」
横を向いたまま寝返りをうつと、ベッドに腰掛けていたマシュー様と目が合う。どこにいるかはすぐにわかっていたけど、近づきすぎだと思う。ため息とともに起き上がれば、マシュー様が心外そうな顔になる。
「心配なだけだ」
「ありがとうございます。ですが、心配は無用です」
「妻を心配して何が悪い?」
「我々は……形ばかりの夫婦のはずです」
マシュー様に、余計に私の心を乱すことをしてほしくはなかった。
だから、私は、たとえ私の気持ちが漏れていてマシュー様に気づかれていたとしても、マシュー様と距離を保とうと決めていた。
「……だが、夫婦だ」
「……それでどうして、今日はこちらに?」
埒があきそうにないので、マシュー様の言葉はスルーすることにした。
「先ほども言ったではないか。お前を心配して来たと」
「……ありがとうございます。もう準備をいたしますので、部屋から出てくださいますか」
「分かったよ。また来る」
マシュー様は私の取り付く島もない様子に苦笑しながら部屋を出て行った。
その朝のお迎えは騎士で、マシュー様が時間を縫ってさっき部屋に来たのだとわかると、その気持ちが嬉しくもあり…迷惑でもあった。これ以上、私の気持ちを揺らさないでほしいから。
*
「おい!」
声に意識を浮上させると、それは見慣れた天井で、目の前にはマシュー様の顔がある。
「え?! ……また寝坊ですか」
起こされたであろうことに混乱して起き上がれば、窓の外は暗かった。
「まだ日付も変わる前だ」
……日付も変わる前……。ああ、道理でマシュー様の姿が光にぼんやりと浮いているように見えるのか。
良かった、とほっと息をついてベッドに体を戻して目を閉じて、ようやくおかしいことに気づく。
「……どうしてマシュー様が?」
日付が変わる前に?
目を開ければ、マシュー様がおかしそうにクスリと笑うのが見えた。
「寝ぼけているな。怒られるかと思っていたが」
……そうか怒っていいところだったかと、寝ぼけてぼんやりした頭で思う。
「そうですね。次は怒ることにします。それで、私はどうして起こされたんでしょうか」
「いつも以上にうなされていたから、起こした」
そう言われて胸元に手をやれば、夜着はしっとりと濡れていた。
「そうですか」
いつものことだし、とくには放っておいていいだろうと、また目をつぶる。
「少しは私と話をしようとか思わないのか」
「……今まで眠っておりましたし、眠いですので」
もちろん目はつぶったままだ。
「今日は特に話すべきことはないが、あったら起こすぞ」
「……お好きにどうぞ」
どうしても聞かなければいけない話であれば、目は覚めるだろう。今日は特に何もないということだし、眠って大丈夫だ。
「家族に何かあったのか」
「……何かあったというか、もうおりませんので」
「……家族がいない」
「ええ。事故で……」
そこまで言って、マシュー様に聞き返された言葉を頭の中で反芻する。
しまった。言うつもりのないことだったのに、と焦って目を開ければ、静かな光をたたえたマシュー様と目が合う。
「家族はもういないのか」
「……ええ。言う必要はないかと思っていましたので」
ゆっくりと起き上がりながら、この嘘は特にばれても問題はないことだと算段する。私の家族がいようといまいと、マシュー様には関係のないことだ。
「言う必要がない、か」
マシュー様の目が傷ついたように見えて、少し動揺する。……いや、距離をとると決めたから。
「ええ」
マシュー様を傷つけて、それでマシュー様の気持ちが離れるなら、その方がいい。
その方が、非情なことだって、簡単にできそうな気がするから。
ベッドに横になって、目を閉じる。
どこか興奮した意識が、眠りを呼ばない。
周りに誰も心を許せる人がいない中で、自分に信頼を向けてくれる人がいたら、それだけでも気持ちは救われる。
それが、嫌悪感など感じない、むしろ目の保養になると思える異性で、毎日顔を会わせていたら?
自分が弱っているところを、気遣ってくれたら?
傾かせまいと頑張っていた気持ちが、傾くのなんてすぐなんだと、初めて気付く。
今まで誰にも傾かなかった……傾こうとしても戒めて何とかなっていた感情が、気付かないようにしていた感情が、重さを持ってしまったのは、私とマシュー様の周りにいる騎士や侍女たちが勘違いしている私たちの関係をコウシャク令嬢に教えられた時だ。
あのときまでは確かに、私はあの感情に気付いてなかった。あのときに気付いた気持ちは、まだ押し込められると思っていた。
なのに、マシュー様のお母様にリハビリをしながら、マシュー様がいることに居心地の良さを感じている私は、もう気持ちが膨らんでいたのだと思う。
マシュー様を好きなんだと思う。
これが、ハッピーエンドの話なんだとしたら、もしかしたら、マシュー様も私のことを好きで、私もマシュー様のことを好きで、めでたしめでたし、なんだろう。
だけど、そのめでたしめでたし、は、高野さんを犠牲にした上に成り立っている。好きでもない愛されもしないかもしれない相手と結婚しなくてはならない高野さんを犠牲にして。
“平和と幸福”を維持するために何の努力もしていないように見える大半の王族と貴族のために、私は高野さんを犠牲にできるかと言えば、絶対にしたくない。
たとえそれが、恋しいと感じた相手の生活をめちゃくちゃにしてしまうとしても、この世界の在り方を私は許容できないのだから。
それならば、私のつまらない恋心なんて、捨ててしまっていいのだ。
そうでなければ、この世界に対して非情なことはできない。
呪われてしまった私の恋など、捨ててしまう方がいい。
私はすがるように耳に付けているラピスラズリのピアスに触れる。そう、恋はしないと決めていたのだから。
*
ハッとして目が覚めて、もう見慣れた天井にほっと息をつく。
毎日毎日、飽きもせず、私はうなされている。だから、この流れも、いつものことだ。
ベッドや部屋や天井が変わっただけで、うなされる内容もうなされることも変わらない。
「お前は、何にうなされているんだ」
唐突な声に、びくりとはするものの、聞きなれた声に、またかと思う。
「マシュー様。寝ている部屋に忍び込むなど悪趣味です」
横を向いたまま寝返りをうつと、ベッドに腰掛けていたマシュー様と目が合う。どこにいるかはすぐにわかっていたけど、近づきすぎだと思う。ため息とともに起き上がれば、マシュー様が心外そうな顔になる。
「心配なだけだ」
「ありがとうございます。ですが、心配は無用です」
「妻を心配して何が悪い?」
「我々は……形ばかりの夫婦のはずです」
マシュー様に、余計に私の心を乱すことをしてほしくはなかった。
だから、私は、たとえ私の気持ちが漏れていてマシュー様に気づかれていたとしても、マシュー様と距離を保とうと決めていた。
「……だが、夫婦だ」
「……それでどうして、今日はこちらに?」
埒があきそうにないので、マシュー様の言葉はスルーすることにした。
「先ほども言ったではないか。お前を心配して来たと」
「……ありがとうございます。もう準備をいたしますので、部屋から出てくださいますか」
「分かったよ。また来る」
マシュー様は私の取り付く島もない様子に苦笑しながら部屋を出て行った。
その朝のお迎えは騎士で、マシュー様が時間を縫ってさっき部屋に来たのだとわかると、その気持ちが嬉しくもあり…迷惑でもあった。これ以上、私の気持ちを揺らさないでほしいから。
*
「おい!」
声に意識を浮上させると、それは見慣れた天井で、目の前にはマシュー様の顔がある。
「え?! ……また寝坊ですか」
起こされたであろうことに混乱して起き上がれば、窓の外は暗かった。
「まだ日付も変わる前だ」
……日付も変わる前……。ああ、道理でマシュー様の姿が光にぼんやりと浮いているように見えるのか。
良かった、とほっと息をついてベッドに体を戻して目を閉じて、ようやくおかしいことに気づく。
「……どうしてマシュー様が?」
日付が変わる前に?
目を開ければ、マシュー様がおかしそうにクスリと笑うのが見えた。
「寝ぼけているな。怒られるかと思っていたが」
……そうか怒っていいところだったかと、寝ぼけてぼんやりした頭で思う。
「そうですね。次は怒ることにします。それで、私はどうして起こされたんでしょうか」
「いつも以上にうなされていたから、起こした」
そう言われて胸元に手をやれば、夜着はしっとりと濡れていた。
「そうですか」
いつものことだし、とくには放っておいていいだろうと、また目をつぶる。
「少しは私と話をしようとか思わないのか」
「……今まで眠っておりましたし、眠いですので」
もちろん目はつぶったままだ。
「今日は特に話すべきことはないが、あったら起こすぞ」
「……お好きにどうぞ」
どうしても聞かなければいけない話であれば、目は覚めるだろう。今日は特に何もないということだし、眠って大丈夫だ。
「家族に何かあったのか」
「……何かあったというか、もうおりませんので」
「……家族がいない」
「ええ。事故で……」
そこまで言って、マシュー様に聞き返された言葉を頭の中で反芻する。
しまった。言うつもりのないことだったのに、と焦って目を開ければ、静かな光をたたえたマシュー様と目が合う。
「家族はもういないのか」
「……ええ。言う必要はないかと思っていましたので」
ゆっくりと起き上がりながら、この嘘は特にばれても問題はないことだと算段する。私の家族がいようといまいと、マシュー様には関係のないことだ。
「言う必要がない、か」
マシュー様の目が傷ついたように見えて、少し動揺する。……いや、距離をとると決めたから。
「ええ」
マシュー様を傷つけて、それでマシュー様の気持ちが離れるなら、その方がいい。
その方が、非情なことだって、簡単にできそうな気がするから。
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