65 / 72
第一章 はじまり
#61
しおりを挟むあまねく大地を照らす陽光は既に無く、辺りが薄らと闇に沈み始めた頃。
護は不思議と高揚し、どこか解放されるような感覚に満たされていた。
危機に在った冒険者達を助け、たった一人で街から遠く引き離し、誰も見ていない所で孤独に戦い続ける。
――それはまるで、絵に描いたような英雄の姿ではないか。
本当ならこのような強大な存在を前にすれば、挑もうとも思えないはずだった。
しかし、様々なものを守るため、必死に戦い、渡り合って行くうちに護の中に芽生えるものがあった――もはや自分には残っていないと思っていた"自信"だ。
いや、あるいはそれは、始めから砕けてなどいなかったのかもしれない。
"『永遠なる影炎を駆る漆黒の貴公子』ならば信用される"という事は、裏を返せば"彼自分には信用されるに足る実力がある"という事を認めているからに他ならない。
砕けてしまったはずの自信は、所詮は頭の中で捏ね繰り回していた"言葉"に過ぎないのだ。
"それ"は護の根底に根付き、自然と言葉や行動の中に顕れている。
そして、高揚する心、芽生えた自信、纏った仮面――誰も見ていない状況というほんの少しのスパイス、そして密やかな英雄願望が混然一体となり、そっと、いやぐいぐいと護を後押しした。
憎き怨敵を圧殺せしめたと誤認識していたドレイクだが、それに満足した様子は無く、獲物を捜すように血走った目で周囲を見回している。
放っておけば、いずれまたどこぞの山を登り、その圧倒的な巨体と致死の灰塵であらゆる命を蹂躙し尽くすのだろう。
あらぬ方向を見る怪物に、近付く影が一つ。
その姿は夕闇と散見する魔獣の屍骸に紛れ、容易に捉える事が出来ない。
しかしもし捉える事が出来たなら、むしろ何故それまで気付けなかったのかと、風景にぽっかりと穴が空いたような暗く深い"黒"に、飲み込まれそうな感覚を覚えるだろう。
影――護は疾駆する。
破裂音を置き去りにしながら瞬く間に空を駆け上り、ドレイクが音に反応して振り向いた時には既にその姿を頭上へと移していた。
引き絞る片腕には黒き影炎の輝き。
「――貫け!『黒裂穿牙』っ!!」
その全てを一点へと集束された強烈な爆発の衝撃が、ドレイクの頭頂部へと叩きつけられた。
黒き牙となって打ち込まれた爆炎は堅い頭部の外殻すら深く穿ち、亀裂を走らせる。
だがそれだけでは終わらない。
護は空を蹴り、苦悶の声を漏らしながら大きく弾かれたドレイクの頭を追って跳ぶ。
「『穿牙黒裂華』!」
――黒い華が咲いた。
ドレイクの頭頂部を穿っていた影炎に更なる影炎が注がれ、外殻の内部より弾けたのだ。
その攻撃は遂に外殻を打ち崩し、埋もれていた鱗ごと引き剥がす。
露出した頭部には瞬く間に影炎が燃え移り、かつてない熱さ、痛みをドレイクにもたらした。
「グル゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ォ゛ォ゛ォ゛ッ!!」
未だ口腔を焼こうとする顔面を覆う炎の事も忘れ、ドレイクは絶叫する。
「……ッチ。煩いな」
至近距離からの音の爆弾に、護は堪らず距離を取った。
引き際に洩らした苛立ち交じりの呟きからは、声の主である彼の不遜な態度が窺えた。
もし普段の彼を知る者が今の彼の態度を見たなら、きっと息を呑み、驚く事だろう。
……いや、どうだろう、純粋に賞賛するかもしれないし、頭の具合を心配されるかもしれない。
あるいは苦笑いをしてそっと見ないフリをされるかもしれない。
今でこそ大分改善されたが、まだどこか態度や言動の端々から自信の無さが伺えた彼の心境に、どのような変化が起こったのか――。
肉を焼き焦がす熱さに悶え苦しむドレイクに、闇の中から護は静かに語りかける。
「痛いだろう、熱いだろう?
良かったな、それは未だ貴様が生を享受しているという証だ」
「だが、貴様に命を散らされた者達はもう何を感じることも無い――
彼らの守護者たりえなかった私に、出来る事は最早このような事しか残っていないが……」
束の間、目を閉じる護。
その目蓋の裏には、ここに到るまでに見た数々の暴虐の痕跡がくっきりと映っている。
絶望に飲まれかけた幼子の涙を、絶望に飲まれても尚、抗い続けようとした戦士達の意志の光を、護は覚えている。
次に目を開いた時、闇そのもので象ったような鎧兜の奥、隙間を埋める影炎ではない、静かな怒りの炎があった。
「命を散らされた者達の無念、残された者達の悲嘆、その命で贖って貰う。
その程度で彼らの想いを晴らせはしないだろうが、僅かばかりの慰めにはなるだろう」
「――覚悟するがいい。
この『永|遠なる影炎を駆るシャドウフレイム《》漆黒の貴公子』が、今より貴様を断罪してくれる!!」
――否、護ではなかった。
彼は芽吹いた自信を、しかし自己嫌悪が否定し、埋もれていた英雄願望を、しかし生来の引込思案が否定し、そして最終的に寸刻前纏っていた仮面に全て丸投げした。
女王蟻の件以来、街で噂されていた『永遠たる影炎を駆る漆黒の貴公子』は自信に満ち溢れた英雄だ。
そのイメージを、護は自分とはかけ離れていると思っていた。
自分では無いと否定していた。
そして今、反発する自己の矛盾。
護は無意識のうちにそれを隔て、二つに分けた。
分けられたそれ、その片割れとして――護は今こそ、復讐の代行者である『永遠たる影炎を駆る漆黒の貴公子』として覚醒したのだ。
最早その動きに迷いは無く、暴れ続けるドレイクへ向けて彼は駆け出した。
影炎の爆発を連続して轟かせ、その体を再び空の高みへと押し上げる。
破裂音に反応する事も無く、尚も滅茶苦茶に振り回されるドレイクの頭が静止する一瞬の合間。
彼は空を逆さに蹴り、影炎の燃え盛る頭部の窪みへ猛然と飛び込んだ。
「『黒裂穿牙』!」
再び叩きつけられる黒き牙。
焼け爛れた皮を容易く裂き、その勢いを持って頭蓋を噛み砕かんと激しく圧力をかける。
暗灰色の頭蓋が軋みを上げ、ドレイクに苦悶の絶叫を上げさせた。
「グゲッガッ、ゴアアアァァッッ!」
――砕けない。
堅牢な頭部の外殻をすら深く抉ったはずのその一撃は、頭蓋の表面を削り、僅かに窪ませる程度に留まった。
頭蓋と外殻、どちらがより堅いかといえば確かに頭蓋に軍配が上がるだろう。
しかし、その差はここまでのものではなく、本来であれば頭蓋を打ち砕く事が出来ていた筈だ。それを何故防ぎきられてしまったのか。
それもそのはず、影炎に肉を焼かれる激痛に対し、ドレイクは無意識的な反射で魔力をそこへと集中させていたのだ。
防衛本能に基づいて集められた魔力は局所の硬度を飛躍的に高め、結果として頭蓋の――特に頭頂部は、外殻とは一線を画する頑強さを獲得していた。
圧縮結界刀であれば、あるいは切り裂けたのかもしれない。
しかし、初めから組み込んであるのならともかく、今の彼の魔装に可変機構はついていなかった。
そして、この頑強な頭蓋に通用させられるほどの強度を持った結界刀を、今から展開するには必要と思われる魔力が多すぎるのだ。
――そう。魔力に余裕を残してあるなど、嘘だった。
魔獣の群れを防いだ強固な反射結界。ドレイクを撃ち落とそうとして不発に終わった特大の放電魔術。その後、考えなしに乱発した数々の魔術。
そして極め付けにその魔装。
乱発した魔術を除き、そのどれもがダンジョン外の魔力だけでは発動することの適わない、格の高いものばかりだった。
魔力の残量はかなり減っている。まだ四割半あるものの、肉体活性化の精度を考えれば三割以下に減らすわけにはいかない。
それに、四肢の拡張部に充填する魔力は護自身のものだ。
無論、可能な限り常に魔力の吸収効率を高めて大気から補充してはいるが、やはり消耗する魔力に追いつくほどではなく、じりじりとその残量を減らしていくだろう。
それは護が無意識のうちに選んだ、"守り"の姿勢。
その選択が間違っていたわけではない。だが、状況がそれを許さない。
こんな時、もし"護"であれば魔力の残量を気にかけて、時間を稼ぎながら徐々に回復に徹したかもしれない。
しかし厳しい状況の中、"彼"の取る選択は、
「――知ったことかっ! まだだ!!」
瞬間、下へ向かって弾かれたドレイクの頭部を追って、空を蹴る。
「『獄焔――』」
一撃。
これまで以上に魔力を込めたどす黒い爆炎の牙が突き立ち、頭蓋に小さな罅を入れた。
――まだ砕き徹すには至らない。
「っおおおおおおおおおおおおおぉっっ!!」
だが、彼の魔闘技はそこで終わりではなかった。
重ねて弾かれ、地面に触れそうなほどに下がった頭部を追い、二撃目。
パキリと音を立て、二本目の牙が更なる罅を走らせる。
遂に地面に叩き伏せられた頭部へ向け、三撃目――四撃目、五撃目。
徐々に地面へとめり込ませながら叩き込む爆炎の連打。
それは少しずつ頭蓋をへこませ、罅を広げ、亀裂を入れる。
六撃目。
一際強い爆発に反動をつけ、宙を舞った彼の右脚には濃密な闇の炎が揺らめいていた。
「これで――」
天に向かって折り畳まれた両足で黒い爆発を踏み台に、彼は右脚を真下に突き出し、跳ぶ。
「終わらせる!『爆穿ッ連王牙』!!」
渾身の勢いをもって放たれた跳び蹴りは、放射状に広がっていた亀裂を蹴り抜き、頭蓋を貫いた。
――そして喰らいつく獄焔の顎。
突き立っていた六本の牙が七本目の王牙に命を吹き込まれ、命ぜられるままに王の敵を蹂躙し、貪り尽くす。
頭の中に直接叩き込まれる獄焔の連鎖爆発に、いかなる生物であっても耐えられるものではない。
ドレイクは苦痛の咆哮をあげる事すら許されずに脳を爆炎に破壊しつくされ、一際大きく身を跳ねさせた後、大地に身を伏し、完全に沈黙した。
「……地獄の炎に焼かれながら、己が行いを悔いるがいい」
人の灯す明かり一つ無く、月明かりがぼんやりと照らす闇の中、それを見ていたのは無数に転がる魔獣達の骸のみ。
誰一人として見届ける者のいない戦いが今、決着したのだ。
0
お気に入りに追加
81
あなたにおすすめの小説

少し冷めた村人少年の冒険記
mizuno sei
ファンタジー
辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。
トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。
優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。
誰一人帰らない『奈落』に落とされたおっさん、うっかり暗号を解読したら、未知の遺物の使い手になりました!
ミポリオン
ファンタジー
旧題:巻き込まれ召喚されたおっさん、無能で誰一人帰らない場所に追放されるも、超古代文明の暗号を解いて力を手にいれ、楽しく生きていく
高校生達が勇者として召喚される中、1人のただのサラリーマンのおっさんである福菅健吾が巻き込まれて異世界に召喚された。
高校生達は強力なステータスとスキルを獲得したが、おっさんは一般人未満のステータスしかない上に、異世界人の誰もが持っている言語理解しかなかったため、転移装置で誰一人帰ってこない『奈落』に追放されてしまう。
しかし、そこに刻まれた見たこともない文字を、健吾には全て理解する事ができ、強大な超古代文明のアイテムを手に入れる。
召喚者達は気づかなかった。健吾以外の高校生達の通常スキル欄に言語スキルがあり、健吾だけは固有スキルの欄に言語スキルがあった事を。そしてそのスキルが恐るべき力を秘めていることを。
※カクヨムでも連載しています

俺しか使えない『アイテムボックス』がバグってる
十本スイ
ファンタジー
俗にいう神様転生とやらを経験することになった主人公――札月沖長。ただしよくあるような最強でチートな能力をもらい、異世界ではしゃぐつもりなど到底なかった沖長は、丈夫な身体と便利なアイテムボックスだけを望んだ。しかしこの二つ、神がどういう解釈をしていたのか、特にアイテムボックスについてはバグっているのではと思うほどの能力を有していた。これはこれで便利に使えばいいかと思っていたが、どうも自分だけが転生者ではなく、一緒に同世界へ転生した者たちがいるようで……。しかもそいつらは自分が主人公で、沖長をイレギュラーだの踏み台だなどと言ってくる。これは異世界ではなく現代ファンタジーの世界に転生することになった男が、その世界の真実を知りながらもマイペースに生きる物語である。

巻き込まれ召喚されたおっさん、無能だと追放され冒険者として無双する
高鉢 健太
ファンタジー
とある県立高校の最寄り駅で勇者召喚に巻き込まれたおっさん。
手違い鑑定でスキルを間違われて無能と追放されたが冒険者ギルドで間違いに気付いて無双を始める。

クラス転移で無能判定されて追放されたけど、努力してSSランクのチートスキルに進化しました~【生命付与】スキルで異世界を自由に楽しみます~
いちまる
ファンタジー
ある日、クラスごと異世界に召喚されてしまった少年、天羽イオリ。
他のクラスメートが強力なスキルを発現させてゆく中、イオリだけが最低ランクのEランクスキル【生命付与】の持ち主だと鑑定される。
「無能は不要だ」と判断した他の生徒や、召喚した張本人である神官によって、イオリは追放され、川に突き落とされた。
しかしそこで、川底に沈んでいた謎の男の力でスキルを強化するチャンスを得た――。
1千年の努力とともに、イオリのスキルはSSランクへと進化!
自分を拾ってくれた田舎町のアイテムショップで、チートスキルをフル稼働!
「転移者が世界を良くする?」
「知らねえよ、俺は異世界を自由気ままに楽しむんだ!」
追放された少年の第2の人生が、始まる――!
※本作品は他サイト様でも掲載中です。

転生貴族のハーレムチート生活 【400万ポイント突破】
ゼクト
ファンタジー
ファンタジー大賞に応募中です。 ぜひ投票お願いします
ある日、神崎優斗は川でおぼれているおばあちゃんを助けようとして川の中にある岩にあたりおばあちゃんは助けられたが死んでしまったそれをたまたま地球を見ていた創造神が転生をさせてくれることになりいろいろな神の加護をもらい今貴族の子として転生するのであった
【不定期になると思います まだはじめたばかりなのでアドバイスなどどんどんコメントしてください。ノベルバ、小説家になろう、カクヨムにも同じ作品を投稿しているので、気が向いたら、そちらもお願いします。
累計400万ポイント突破しました。
応援ありがとうございます。】
ツイッター始めました→ゼクト @VEUu26CiB0OpjtL

異世界召喚でクラスの勇者達よりも強い俺は無能として追放処刑されたので自由に旅をします
Dakurai
ファンタジー
クラスで授業していた不動無限は突如と教室が光に包み込まれ気がつくと異世界に召喚されてしまった。神による儀式でとある神によってのスキルを得たがスキルが強すぎてスキル無しと勘違いされ更にはクラスメイトと王女による思惑で追放処刑に会ってしまうしかし最強スキルと聖獣のカワウソによって難を逃れと思ったらクラスの女子中野蒼花がついてきた。
相棒のカワウソとクラスの中野蒼花そして異世界の仲間と共にこの世界を自由に旅をします。
現在、第三章フェレスト王国エルフ編
異世界でぺったんこさん!〜無限収納5段階活用で無双する〜
KeyBow
ファンタジー
間もなく50歳になる銀行マンのおっさんは、高校生達の異世界召喚に巻き込まれた。
何故か若返り、他の召喚者と同じ高校生位の年齢になっていた。
召喚したのは、魔王を討ち滅ぼす為だと伝えられる。自分で2つのスキルを選ぶ事が出来ると言われ、おっさんが選んだのは無限収納と飛翔!
しかし召喚した者達はスキルを制御する為の装飾品と偽り、隷属の首輪を装着しようとしていた・・・
いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。
その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。
上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。
またぺったんこですか?・・・
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる