向日葵の秘密

まつだつま

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 出来上がった動画を眺めて、向日葵は首を傾げた。どうもうまくいかない。全体的にボンヤリした暗い感じで、肝心のライターに刻まれた文字が読みづらい。文字が読めないとこの動画の意味がなくなる。仕方なくキーボードを叩いてライターの文字を字幕として打ち込んだ。毎日パソコンを操作しているおかげでキーボードを打つのが速くなった。今日は息子の斗真がおとなしくしてくれていたので、作業は思ったより進んだが、長い時間パソコンの画面に向かっていたせいで、目が乾いてショボショボした。目頭をおさえると瞼の裏にパソコンの画面が残像として残った。
「今日はここまでにしよ」
 一人呟いてからノートパソコンをバタンと閉じた。それと同時に「ただいまー」という明るい声が玄関から聞こえた。この声を聞いただけで、向日葵は心が跳ねて幸せな気分になり、一日の疲れが一気に吹き飛ぶ。向日葵は玄関に向かって小走りした。玄関で靴を脱ぐ幸仁の姿が見えた。
「おかえりなさーい」
 靴を脱いで玄関に上がってきた幸仁にダイブする勢いで抱きついた。この時が向日葵の至福の時間だ。
「向日葵、目が真っ赤だぞ。今日も一日中やってたのか」
 幸仁が向日葵の顔を覗きこんだ。
「うん、一日中やってた。おかげで目がショボショボになった」
 向日葵は目をこすった。
「精が出るな。じゃあ、もしかして夕飯の支度はこれからか」
「一応、撮影に使った分はあるけど、あと一品作るから少し時間がかかる。ごめんね」
「いいよ。向日葵も忙しいんだから。ところで斗真は?」
「今日もよく寝てるの」
「起こしてもいいよな」
「うん。そろそろ起こさなきゃと思ってたから。斗真起こしたらお風呂に入れてくれる」
「わかった」
「じゃあ、あたしはその間にご飯の支度するね」
「忙しいのに、悪いな」
「いいよ、ユキくんは外で働いて疲れてるんだから」
「向日葵だって、毎日パソコンやって、家事やって、斗真の世話してんだろ」
「ユキくんの仕事に比べたら大したことないよ。家事は手抜きだし、斗真のお世話は一緒に遊んであたしが楽しんでるだけし、パソコンだって、あたしが好きな料理作って、撮影して、編集してユーチューブにアップするだけだしね」
「けど、俺の仕事より向日葵の方が大変だと思う。それに今の収入は向日葵の方が断然多いしな」
「確かに今は多いけど、こんなのたまたまだから、いつ無くなるかわかんない。だから家計を支えてるのはやっぱりユキくんだよ」
「それにしても、向日葵の作った『イケメン男子の心を掴むための絶品レシピ』のブログがこんなに人気になるとは思わなかったな。ほんとビックリした」
「イケメン男子はユキくんのことだったんだけどね。はじめてユキくんがあたしの料理を食べた時、すんごく喜んでくれて、それからあたしたち付き合うようになったから、それをブログにしただけなんだけど、まさかこんなことになるとはね」
「確かに向日葵の料理をはじめて食べた時は感動したけど、それが理由で俺は向日葵と付き合おうと思ったわけじゃないからな」
「それはわかってる。あたしを見た瞬間に体中に電流がビビビと走ったんでしょ。それはあたしも同じだったから。ユキくんを見た瞬間に、あたしの運命の人はこの人だと思ったもん」
「生まれた時から、俺たちはこうなる運命だったもんな。同じ日に同じ病院で生まれたんだから」
「お互いの誕生日と生まれた病院が同じだとわかった時は、ほんとにビックリだった」
「まあ、それにしても、向日葵がこんなに料理上手だとは思わなかったな。人は見た目じゃわからねえと思ったよ。それも得意料理が魚の煮付けや肉じゃがとか和食なんだもんな。出汁も昆布とかつお節からとってるし、すげえよ」
「料理はお婆ちゃんに教えてもらってたからね。お婆ちゃんは料理が得意だったから、お婆ちゃんは勉強できなくてもいいから、料理だけでも上手になっておけって言ってたの。ほんと、世の中何が役にたつかわかんないね」
 向日葵は幸仁と付き合いはじめてすぐの頃に『イケメン男子の心を掴む絶品レシピ』というブログを立ち上げた。幸仁に自分の料理を食べさせた時の幸仁の喜んでる姿を見て、嬉しくてブログにアップしたのが始まりだった。それから幸仁のために料理をつくる度にブログを更新していった。それがいつの間にか人気になっていた。
 レシピの中身は向日葵の祖母の節子から教わった料理がほとんどで、二十歳の女性がつくるようなものは少なく、煮物などの和食が多い。お婆ちゃんのレシピといった感じだ。中には糠漬けの漬け方などもあったが、そういうのがなぜかうけた。
 ある日、ブログを見た出版会社から、向日葵のところにレシピ本の出版の依頼が来て、向日葵はレシピ本を出版することになった。その本も予想以上に売れた。それから、ユーチューブでもレシピの配信をはじめた。それもそこそこ登録者が増えて好調だ。

 幸仁はいつも夕食の後片付けをしたり洗濯物を干してくれたりと家事を手伝ってくれる。
「ユキくん、ありがとう」
 幸仁が手伝ってくれる度、向日葵は幸仁に向かって、必ずお礼を言う。どんなに親しい間柄でも当たり前だとは思わず感謝の言葉を口にしなさい。それも祖母節子から教えられたことだ。
 向日葵にとって、一日の最後に斗真の寝顔を見ることも至福の時間だ。小さな胸を上下させ寝息を立てる斗真を見ているだけで、幸せを感じて心が落ち着く。目の前には可愛い斗真の寝顔、背中には優しい幸仁がいる。向日葵はこの幸せを絶対になくしたくないと思っている。
 ただ、こんなに幸せな向日葵でも一つだけ心に引っかかっている大きな悩みがある。それさえ解決すれば、本当に幸せになれるんだと向日葵は思っている。そのことについて、幸仁に話を切り出すと幸仁は人が変わったように機嫌が悪くなる。
「ねえ、ユキくん、そろそろお義父さんと仲直りしたらどう?」
 思いきって、この話題を幸仁に持ちかけた。また幸仁の機嫌が悪くなるかもしれない。
「またその話かよ。絶対にそれは無理。親父も俺のことを許すはずないしな」
 やはり幸仁の反応はいつもと同じだ。
「そんなことないと思うんだけどな。お義父さんは優しい人だから、きっと許してくれるよ」
「向日葵は親父のこと知らないからそんなこと言えるんだ。あいつは頑固でわがままで人の心のない奴なんだから」
「そうかなー」
「そうだよ。あいつは向日葵のお腹に斗真ができた時になんて言ったと思う?」
「それ何度も聞いた」
 向日葵はこの話題を出したことを後悔した。
「堕ろせって言ったんだぞ。堕ろして、向日葵と別れろって言ったんだ」
「それ、何度も聞いたから、もう言わないで」
 向日葵が人差し指で両耳に栓をした。
「人を殺せって言ったのと同じだぞ。あいつは自分のプライドのためなら殺人するのも平気な奴なんだ」
「ユキくんはお義父さんの話になると、凄く怖くなる。その話はもう聞きたくない」
「聞きたくないなら、向日葵もあいつのことは二度と口に出すな」
「斗真が物心つくまでに、あたしも斗真も三浦の姓になりたいんだけどな。ユキくんも佐山より三浦の方がいいでしょ」
「もう言うなって、俺は佐山幸仁になって良かったと思ってる。三浦幸仁になんて絶対に戻りたくない」
 幸仁はこの話題になると興奮して早口になる。その様子を見て、本当は幸仁もお義父さんと仲直りしたいはずだと向日葵は思っている。何かいいきっかけがあればいいのだが、それがなかなか見つからない。いつかは幸仁とお義父さんが仲直りしてほしい。三浦親子に亀裂が入ったのは向日葵のせいだ。それが向日葵にとって、今一番辛いことだった。
 向日葵という名前は祖母がつけてくれた。まず向日葵自身が絶対に幸せで明るく元気に前を向いて生きること。そして、向日葵自身の幸せを周りの人たちに振り撒いて、周りの人たちまで幸せにできるような人間になってほしい。向日葵という名前に込めた思いを、祖母は布団の中で幼い向日葵によく聞かせてくれた。
 向日葵は幸仁と斗真のおかげで幸せになれた。しかし、向日葵の幸せを周りの人に振り撒くことはできていない。反対に自分のせいで幸仁の父親と母親を不幸にしてしまっている。それは向日葵にとって耐え難いことだった。

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