向日葵の秘密

スー爺

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勘当

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 幸仁は目の前でスヤスヤと気持ちよさそうに眠る赤ん坊の頬に手を当てた。この子が生まれて、幸仁は幸せでいっぱいだ。そして、向日葵からお腹に子どもができたと聞いた時は飛び上がって喜んだ。
 ただ、幸仁の親父はこの子を生むことを許さなかった。幸仁はそれに反発して、親父から勘当されてしまった。幸仁は勘当されても平気だったが、向日葵はそうではなかった。向日葵は幸仁と親父が仲直りしないと、家族三人の本当の幸せはないと思っているようで、いつも親父と仲直りするように言ってくる。しかし、幸仁には今さらどうすることも出来ない。親父は頑固者だから、親父から頭を下げることはないだろうし、また幸仁から頭を下げる気もない。

 幸仁は向日葵から子どもができたと聞いた次の日にさっそく、親父とおふくろに話すことにした。それが難攻不落であることは幸仁にはわかっていた。しかし、向日葵にそんなことは言えなかった。

「あらー、今日は早く帰ってきたのね」
 おふくろの呑気な声は弾んでいた。幸仁がめずらしく早く帰ってきたのでご機嫌なんだろうが、今日これからする幸仁の話を聞くと、おふくろの態度はどう変わるだろうか。
 幸仁は親父とおふくろに大学をやめて結婚することを伝えるために、大学が終わるとまっすぐ家に帰ってきた。
「ああ、ただいま」
 おふくろとは対照的な声になった。
「友達の家で遅くまで遊んでるのもいいけど、たまには今日みたいに早く帰ってらっしゃいよ。あんまり遅くまでいると友達にも迷惑よ」
 おふくろは幸仁の方を見ることなく、キッチンに立ったまま言った。
「わかってるよ。友達がもう少しいろってうるさいから、なかなか帰りづらいんだよ」
 幸仁はリビングで胡座をかいた。
「友達ってどんな子よ。一人暮らししてるんでしょ。どこかの地方から出てきてるの」
 おふくろには、向日葵の家に遊びに行く時、一人暮らしの友達のところに遊びに行くとしか言ってないから、おふくろは勝手に地方から出てきた大学の男友達だと思い込んでいる。それが女性だと知って、その女性のお腹に自分の孫ができたと知るとどんな反応をするのだろうか。
「俺の連れのことだから、おふくろには関係ない」
「その友達と遊んでばかりで大学に行ってないんじゃないでしょうね」
「ちゃんと行ってる。行ってるけど、やっぱ、行ってもあんま意味ないわ」
「なに言ってるの。大学でしっかり勉強しないとダメでしょ」
「俺は勉強なんて、もういいよ。それより、今日はちょっと話があるんだ」
 幸仁は立ち上がり、キッチンにいるおふくろの前に立った。
「なによ」
 おふくろが顔を上げた。そこで少し怪訝な表情を浮かべた。
「俺の将来についての大事な話だ」
 幸仁はニヤリと口角を上げた。その表情を見て、おふくろの表情がスッと消えた。
「大事な話ならお父さんがいる時にしなさい」
「ああ、そのつもりだ。親父が帰ってきてから話す」
 幸仁は二階にある自分の部屋へと向かった。
「悪い話じゃないでしょうね」
 おふくろの高いキンキン声が、階段を上がる幸仁に飛んできたが、幸仁はそれを無視した。悪い話ってどんな話なんだよと言いたかったが、面倒臭いので、そのまま部屋に入ってドアをバーンと閉めた。
 幸仁は部屋に入ってからベッドに横になり、ぼんやりと天井を眺めた。自分の子どもが出来たという実感はまったくなかったが、このことをこれから親父に話さなければならないという重い気持ちだけは、胸の上にずっしりとのしかかった。付き合ってる彼女が妊娠したから大学をやめて働くと言って、頑固者の親父が簡単に認めてくれるとは思えない。

 玄関のドアの開く音がして、「ただいま」という親父の声が二階まで聞こえてきた。バタバタと足音がして「おかえりなさい」というおふくろの声がした。
 幸仁は「フゥー」と息を吐いた。
 これから親父に話さなければならない。ベッドに横になったまま目を閉じて、この後のことをもう一度頭の中で整理した。どう切りだそうかと考えたが、回りくどいことを言っても仕方がないと思った。付き合ってる彼女のお腹に俺の子どもができたから大学をやめて結婚して働く、そう言えばいいだけのことだ。そんなに難しいことではない。
「幸仁」
 ドアの向こうでおふくろの高い声がした。
「なに?」
 ドアに向かって言った。
「お父さんに大事な話があるんでしょ」
 幸仁がベッドから体を起こした。
「すぐ行く」
「リビングで待ってるわね」
 階段を降りるおふくろの足音が重々しく聞こえた。
「フゥー」と息を吐いてから、幸仁は部屋を出た。
 階段を降りる足は重かった。リビングに入ると、親父はすでに苦虫を噛み潰したような顔をして胡座をかいていた。これから息子が話す内容があまりいい話ではないと思っているのだろう。おふくろは隣で不安そうな顔をしていた。幸仁は二人の前に正座した。
 幸仁が座ると、親父はギロリと睨めるような視線を幸仁に向けた。幸仁はその視線を無視した。
「俺、結婚することにした」
 幸仁は正座するとすぐに口を開いた。グズグズしていると言い出せなくなると思ったからだ。
「な、なに?」
 親父の声が裏返った。おふくろの目が大きく開いた。
「俺、彼女がいて、その彼女と結婚することに決めたんだ」
 一気に話してしまおう。
「結婚だと?」
 親父の眉間に深い皺が入ったのがわかった。あまり見ないでおこう。
「ああ、結婚だ」
 おふくろの顔を見た。おふくろは目を白黒させていた。
「結婚するのはわかった。それをいつするつもりなんだ」
 親父が腕を組んだ。
「できるだけ早くだ」
「大学卒業して、すぐってことか」
 ここでつまってはいけない、
「いや、大学はすぐにでもやめるつもりだ」
 親父の口元がぐにゃりと歪んだ。
「お前、知ってたのか」
 親父がおふくろの方を睨むように見た。
「ううん、わたしも今はじめて聞いたわ」
 おふくろは首を横に振った。
「急にどうしたの」
 おふくろが前のめりになって訊いてきた。
「実は、彼女のお腹に子どもができたんだ。これから俺が彼女と子どもを養っていかないといけないから、大学に通ってる場合じゃないんだ」
「仕事はどうするつもりだ」
「今のバイト先の最上店長に正社員にしてもらえるように頼んでみる」
「最上さんに頼むだと。最上さんと俺の仲は知ってるだろ。お前は俺の顔に泥を塗る気か」
「別にそんなつもりなんてねえよ。親父と最上店長が仲いいのは知ってるけど、それとこれとは関係ねえし」
「はぁー」
 親父があきれた表情を浮かべた。
「まあ、そういうことだから、大学はすぐにやめて、最上店長にお願いして、ホームセンターショーナンで正社員として働くから」
「なにが、まあ、そういうことだからなんだ。お前はバカなのか」
 親父がテーブルをバーンと叩いた。
「最近、家に帰ってくるのが遅いと思ったら、もー、何してるのよ。友達って女の子だったの」
 おふくろのキンキンした高い声が幸仁の耳に突き刺さった。
「悪いけど、もう決めたことだから」
「ダメだ。そんなことは絶対に認めない。幸仁、お前の夢物語を聞いてるほど俺は暇じゃない。今すぐ終わりにしろ」
 親父は立ち上がり、リビングから出ていこうとした。
「あなた」とおふくろが親父を見上げた。
「放っておけ。ダメなものはダメだ。話はそれで終わりだ。結婚はダメだ。もちろん大学をやめることもダメだ」
 親父は幸仁に背中を向けたまま言った。
「そっちがダメと言っても、俺は決めたから。俺の人生だから、誰にも邪魔させない」
 親父の背中に向かって叫んだ。親父は振り向いて、またいつもの目でギロリと幸仁を睨んだ。
「ガキのクセして、何が俺の人生だ。お前が子どもを養えるわけないだろ。さっさとそのバカ女に子どもを堕ろしてもらえ。その費用ぐらいは、こっちでなんとかしてやる」
「誰がバカ女だよ。そっちの方がバカじゃねえのか。せっかく生まれてくる子どもを堕ろすなんて、それは殺人と同じだぞ」
 幸仁はテーブルを叩いて立ち上がり親父を睨みつけた。
「誰に向かってバカと言ってるんだ。お前の父親だぞ。お前がこうしていられるのは誰のおかげだと思ってるんだ」
「知るか、そんなもん。恩着せがましく言うな。なんと言われても俺は決めたからな」
「わかった。それなら、二度とここの敷居は跨がせない。今すぐ、ここから出ていけ。二度と俺と母さんの前に姿を見せるな。お前とは親子の縁を切る」
「あなた、何言ってるの」
 おふくろが悲鳴のような声を上げた。
「ああ、そうするよ。あんたらとの親子関係が切れると思うとせいせいするわ。俺は三浦を捨てて佐山の姓になるから」
「相手のバカ女が佐山っていうのか」
「バカ女じゃねえよ」
「いーや、バカ女だ。お前みたいな中途半端でバカな男の子どもを身籠るなんて、バカとしか思えん」
「うるせえよ。バカでも何でもいい。俺はもう決めたから」
「ダメよ、幸仁。もう少し冷静になりなさい。お父さんも冷静になりましょう」
「母さんも、こんなやつのことは放っておけ」
「でも、このままじゃ、幸仁がまともな生活できるわけないじゃない。一度彼女と会って、ちゃんと話し合いましょうよ」
「話し合うもなにも、子どもは堕ろしてもらうしかない。話し合うのはそれからだ」
「子どもは絶対に堕ろさない。それは俺が決めたんだ」
「幸仁はその彼女に騙されてるんじゃないの」
「それ、どういうことだよ」
「本当に幸仁の子どもなの? 彼女ってどこの誰よ? 一度連れて来なさい」
「母さん、放っておけ。子どもを堕ろさせないなら、話し合う必要なんてない。さっさと出ていけ」
「わかってるよ」
 幸仁は先にリビングから出た。
「ユキヒト」
 おふくろの声が背中から聞こえたが、幸仁は無視して二階へ上がった。そして、自分の荷物をまとめた。

 幸仁は家を出て、その足で向日葵の家に転がりこんだ。
「ユキくん、どうしたの。今日、ユキくんのお父さんとお母さんに、あたしの妊娠のこと話したんでしょ」
 幸仁は向日葵にどう説明しようかと考えたが、思い浮かばなかった。
「やっぱり反対されたんでしょ」
「まあな」
 幸仁は笑って見せた。
「じゃあ、どうするの」
 向日葵は眉をハの字にした。
「どうもしない。予定通りだ。俺は大学をやめて働くから、向日葵は俺と結婚してお腹の子を生んでくれればいいだけのことだ」
「本当に大丈夫なの」
「ああ、大丈夫だ。明日にでもバイト先の最上店長に正社員にしてもらえるよう頼んでみる」
「そんなことじゃなくて、ユキくんのお父さんとお母さんはどう言ってるの」
「まっ、気にするな」
「気にするよ」
「とりあえず、俺は三浦姓から佐山姓になる。親父とおふくろとはしばらくは会わないから」
「それってどういうことよ」
 向日葵はじっと睨むように見てきた。幸仁は向日葵と目を合わせることができなかった。
「ほとぼりが冷めるまでだ。それまではそうした方がいい」
 それを聞いて向日葵は首を折り頭を抱えた。
 それから、幸仁は大学をやめて、向日葵と籍を入れ、ホームセンターショーマンの正社員になった。幸仁はホームセンターショーマンの店長の最上に社員にしてほしいとお願いしたが、最上はなかなかウンとは言わなかった。最上が親父に気をつかっているのがみえみえだった。それなら、ここのバイトをやめて他の会社で仕事を探すと言ったら、最上はやっと首を縦に振った。
 それから幸仁は子どもの誕生を楽しみにして毎日を過ごした。

 幸仁は長椅子に座り、指を組んだ手を額に押し当てて祈った。向日葵の母親は、向日葵を生んですぐに亡くなったと聞いていた。子どもを生むということは、それほど大変なこと、命がけなのだ。
 今の幸仁は、自分の子どもが生まれてくるという喜び、期待よりも、向日葵の体が無事なのかが心配だった。向日葵の笑顔が早く見たかった。いつものあの笑顔が見たかった。
 リノリウムの床をコツコツと鳴らす足音が聞こえた。足音のする方を見て立ち上がった。看護師がこっちに向かってくる。
「佐山向日葵さんのご主人ですか」
 看護師が幸仁に声をかけた。
「はい」
 幸仁は胸がはちきれそうだった。向日葵は無事なのか。
 看護師の顔に笑みが浮かぶのを確認した。
「おめでとうございます。母子共に健康ですよ」
 看護師の言葉を聞いた瞬間に体中の力が抜けて椅子にへたりこんだ。
「ありがとうございます」
 椅子に腰かけたまま体を折った。早く向日葵の顔と赤ん坊の顔を見に行きたいが、今は腰が抜けたように体に力が入らない。

 幸仁は飽きることなくずっと生まれたばかりの赤ん坊を眺めていた。
「おめでとーさん」という声がして顔を上げると、店長の最上が、病室のドアから顔を覗かせていた。
「最上店長、来てくれたんですか」
「ああ、佐山の子どもの顔を見せてもらおうと思ってな」
 店長は顔をグシャグシャにしていた。
「どうぞ、入ってください」
「お邪魔するよ」
 店長が病室に入ってきて、「よかったなー」と幸仁に握手をもとめてきた。幸仁が右手を出すと、店長は力一杯に幸仁の右手を握りしめた。分厚くてあたたかい手だった。
「店長、ありがとうございます」
 幸仁が握手したまま頭を下げた。店長が幸仁の下げた頭をポンポンと叩いて、「よかった、よかった。本当によかった」と涙声で言った。
「いつも、主人がお世話になっています」
 向日葵がベッドから体を起こして挨拶した。
「奥さん、大変だったね、本当にお疲れさま。起き上がらなくていいから。俺に気を遣わずにゆっくりしてて」
 店長はそう言って、向日葵を制するように右手を出した。
「はい、ありがとうございます」
 向日葵がベッドの上に座ったままペコリと頭を下げた。
「赤ん坊を見せてくれな」
 店長はベビーベッドを覗きこんだ。
「どうぞ、見てやって下さい」
「おーっ、やっぱり可愛いなあ」
 店長が目を細めて、じっと赤ん坊を見ていた。
「はい、可愛い過ぎます」
「きれいな目してんな。こりゃあ、完全に奥さん似だな。よかったじゃないか」
「いや、そうですか。目元とかは俺に似てませんかね」
「そうかー。うーん、いや違うな。幸仁の目じゃないな。幸仁の目は、こんなにきれいじゃないな。もっと濁ってるからな。ハハハ」
「店長、失礼なこといいますね。俺の目だってきれいですよ。ほら、見て下さい」
 幸仁が店長に顔を近づけた。店長は顔をそむけ、右手で制した。
「幸仁の目なんて、気持ち悪くてじっと見てられないわ」
「失礼ですね。俺は目もきれいですし、心もきれいなんです」
 向日葵が二人の様子を笑みを浮かべながら眺めていた。幸仁は向日葵の笑顔を見て嬉しくなった。
「まっ、どっちにしろ、この子は可愛いよ。大きくなったらハンサムになるだろうな。うちの子の赤ん坊の時とは、えらい違いだもんな。うちの子は、山奥から出てきたサルみたいな顔してたからな」
「自分の子供なのに、酷いこといいますね」
「まっ、うちの子は仕方ないけどな。俺とカミさんの子だからな。どっちに似てもサルかゴリラかどっちかだろうからな。ハハハ」
 店長は笑いながら、毛むくじゃらで分厚く温かい手で幸仁の背中をパンパンと何度も叩いた。痛かったけど、この店長の元で働けていることが幸せだと思った。
「今日は休ませてくれてありがとうございました」
「そんなの当たり前田のクラッカーだよ」
「当たり前田のクラッカー? 何ですかそれ」
「当たり前田のクラッカーだよ。知らないの。知らないなら、親父さんにでも教えてもらえよ」
「えっ、……」
 幸仁は気まずくて、言葉を返さなかった。店長はわざとこのタイミングで親父の話題を出したのだろうか、それともたまたま出てしまったのか。幸仁は前者だろうなと思った。
「それより、この子の名前は何て言うんだ」
 店長は話を切り換えた。
「名前はトウマです」
「へぇー、トウマか。カッコいい名前だな。どんな字を書くんだ」
「はい、これです」
 幸仁は『斗真』と書いた紙を見せた。
「漢字もかっこいいじゃないか」
「はい」
「こんないい名前、誰が名付けたんだ?」
「俺が名付けました」
 生まれてくる子どもが男の子だとわかってから幸仁は名前を決めることに夢中になった。これまでマンガ本以外読むことがなかった幸仁が本を三冊も買い、いろいろと頭を悩ませ考えた。学生の頃、苦手だったはずの漢字の意味にもこだわった。
『斗』は、星空のように壮大で広い心を持ち、星のように輝いてほしいという思いを込めた。
『真』は純粋で真心のある人になってほしいと思った。
 向日葵も『斗真』を気に入ってくれた。
「ところで、親父さんには報告したのか」
 今度は店長がストレートに訊いてきた。
「いえ」
 幸仁は自分の顔が歪むのがわかった。
「そんな嫌な顔すんなよ。それより、ちょっとだけいいか」
 店長がそう言って、顎をドアの方に向けた。笑みがスッと消えて口が真一文字になっていた。
「あ、はい」
 店長は病室を出ていった。幸仁は後を追いかけて病室を出た。出る前に幸仁が向日葵の方を見ると、向日葵は唇を噛みしめ、じっと幸仁を見つめていた。
 病室を出てすぐ横の壁際に置いてある長椅子に店長が腰をおろした。店長が自分の座る隣にスペースを空けてポンポンと叩いて、幸仁にも座るようにと促した。店長は背もたれにもたれるように座っていたが、幸仁はすぐにでも逃げ出したい気分で、椅子の端にチョコンと座った。幸仁には店長が今から話そうとしていることの察しはついていた。親父と仲直りしろということだ。
「やっぱり親父さんには、子どもができたことをちゃんと報告した方がいいと思うな」
 店長は前を向いたまま言った。やっぱりこの話かと思い、幸仁はげんなりした。
「嫌です」幸仁は下を向いた。
「親父さんも心配してるし、絶対に今は後悔してるはずだ」
「いえ、あの人は後悔なんてしていません」
 幸仁はそう言って、店長の顔を睨むように見ると、店長は口元を歪めた。
「縁を切ったといっても、やっぱり親子なんだぞ。血が繋がったこの世に一人しかいない父親なんだぞ。ちゃんと報告しておけって。親父さんにとっては初孫なんだしな、会いたいに決まってる。これをきっかけに、仲直りできるかもしれないじゃないか」
「いえ、俺は親父に縁を切られたんです。生まれてきた大切な子どもを利用してまで、仲直りなんてしたくありません」
「別に子どもを利用するわけじゃないよ。これから先のこと、子どもが大きくなってからのことを考えると、親父さんと今のうちに仲直りしておくべきなんじゃないかな」
「店長には、心配ばかりかけて申し訳ないと思っています。けど、こればっかりは、どうしても無理です」
「はぁー、やっぱり幸仁も親父さんに似て頑固だな」
 店長が天井を見上げた。
「店長、親父の話するなら、もう帰ってください」
 幸仁は早くこの話を終わらせたかった。
「わかった、わかった。もう親父さんの話はやめておくよ。悪かったな」
 店長が立ち上がり、幸仁の肩をポンポンと叩いた。
「わがまま言って申し訳ありません」
 幸仁も立ち上がり深々と頭を下げた。
「いいよ。めでたい日に変なこと言って悪かったな。じゃあ、そろそろ店に戻るわ」
「店長、忙しいのに、ありがとうございました」
 帰っていく店長の大きくて丸い背中に向かって言った。すると店長が振り返り戻ってきた。
「そうそう。高城さんも三井さんも赤ちゃんの顔を見たがってたんだよ。けど、幸仁も奥さんも疲れてるだろうから、お祝いだけ俺に預けて、来るのは遠慮したんだった。二人がおめでとうって言ってたぞ」
「そうですか。明日、二人にお礼を言っておきます」
 高城と三井は幸仁といっしょに働いているパートの人たちだ。二人とも幸仁の母親くらいの年齢で、出産についていろいろとアドバイスをくれた。この年代の人が近くにいてくれると本当に心強いなと思った。二人とも幸仁に子どもができることを自分の孫ができるようだと喜んでくれていた。
 幸仁は店長を廊下で見送ってから病室に戻った。向日葵はベッドに座って、唇を噛みしめたまま、不安そうな視線を幸仁に向けた。
 きっと、店長が何を言ってきたのか気になっているのだろう。そして、その内容に察しはついているのだろう。
 幸仁はその視線をすり抜けるようにしてベビーベッドの前に立って、眠ってしまった斗真を眺めた。斗真を眺めていると、自然と笑顔になるが、向日葵の視線が横から突き刺さるのが気になった。幸仁はゆっくりと向日葵に顔を向けた。
「最上店長、なんて言ってたの」
「あ、まっ、最上店長の言いそうなことだ。親父に斗真が生まれたことを報告した方がいいぞだって」
 向日葵は、「やっぱり」と言ってから項垂れて、しばらく動かなかった。
「向日葵が気にすることないから。俺と親父の問題なんだから」
「でも、あたしも最上店長と同じで、お義父さんには、ちゃんと報告した方がいいと思う。孫ができたことを知らないままなんて、お義父さんがかわいそう」
「大丈夫だよ。どうせ、店長が親父に話してるって。店長と親父は今でもちょくちょく飲みに行ってるのわかってんだから。それに、親父はかわいそうなことないから。あいつはこの子を堕ろせって言った男だからな」
 店長と親父は以前からよく飲みに行っている。幸仁がアルバイトの頃は、今日は、これからお前の親父さんと飲みに行ってくるからと言って出かけていったが、幸仁が勘当されてからは、親父と飲みに行くと口にしなくなった。幸仁に言いにくくなっただけで、今でも親父と飲みに行っていることは間違いない。
 だから、幸仁のことは親父の耳には入っているはずだ。店長はいい人だが、自分のことをコソコソと親父に報告しているかと思うと、親父のスパイなのかと苛つくことがある。
「でも、あたしはユキくんの口からお義父さんに報告した方がいいと思う」
「じゃあ、考えとくよ」
 これ以上、この話はしたくなかった。 
「うん、考えておいて」
 向日葵もこれ以上言うべきでないし、言ってもムダだと思ったようだった。
 二人の間にしばらく沈黙ができてしまった。せっかくの幸せな気持ちが台無しになった。これも全て親父のせいだと幸仁は思った。


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