命の針が止まるまで

乃木 京介

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Chapter4「命の針が止まるまで」

#5

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 名残惜しそうな顔でいつまでも手を振る英莉さんに駅前まで送ってもらい別れたあと、今度は近くの喫茶店で僕の姉をユウに紹介した。

 英莉さん同様、僕が打ち明けた過去の話によって姉はとても偉大な存在に見えていたのだろう、ユウは何度も感謝の言葉を告げていた。姉も姉でコウタを救ってくれてありがとうと頭を下げていた。本当に僕は大切な人に助けられてばかりだ。

 そうして薄暮が見えかけた頃、大きな公園のベンチに揃って腰を下ろした僕たちは、今日の出来事を振り返って思いにふける。

 別れの時が迫って僕が書き留めていた手紙を渡すと、ユウは泣きながら喜んでくれた。

 苦しい時も楽しい時も、悲しい時も嬉しい時も、辛い時も幸せな時も、どんな時でも時間は一定のリズムで流れ続けていく。だからこそ過去になり記憶として変換されるとき、ひとつの心に全てが保存される。良くも悪くもそのどれもが自分を形成する記憶となって未来をも象る。

「私、こんな幸せなことばかり受け取って不幸にならないかな」

「まだまだユウにはたくさん幸せになる権利がある。幸せを自分のために掴んでいいんだよ」

 だから僕は、ユウに光を注いで照らし続けてあげたい。太陽のような眩い光ではなくても、月のように優しい一筋の光で。ユウが「見つけたよ」と見せてくれた幸せは、僕の新たな光となってユウの未来をより明るく照らす。誰かの夢が自分の夢になることもあると話していた英莉さんのように、誰かの幸せが自分の幸せになることもある。僕にとってその誰かは、他の誰でもないユウだ。

 これでいま僕がユウにできることは全て果たすことができた。今日は色んな表情のユウを見ることができて嬉しかったな、と思いながら僕が時計を確認した時、ユウが口を開いた。

「あのね、私も話したいことがあるの」

「話したいこと?」と呟きかけた時、そういえば事故に遭ったあの日は、ユウから呼び出されて駆け付けたのだと思い出す。

「ああ、そうだ。ずっと聞きたかったんだ。あの日ユウが呼んでくれた理由。話したかったことを」

 ユウはいつになく緊張した面持ちで言った。

「あのね、私やりたいことが見つかったの」

「どんなこと? 僕が当てられること?」

「うん、コウタくんならきっと」

 ユウの未来を映して真っ先に思い浮かぶのはやっぱり音楽だ。

「そうだなあ、弾き語りで全国を回るとか?」

「あはは、それはずいぶん壮大だね。でもこれから話すことのほうが、昔の私には考えられなかったことかも」

 そのようなヒントをいくつかもらったが、結局当てることができなかった。だけどユウはそれを自分の口から言えることも嬉しかったようで、今日話したどんな言葉よりも光明に満ちた声で僕に伝えた。

「私ね、アイドルになるの」

 アイドル……。一瞬知らない言葉を言われたみたいだった。理解するために呟くと、すぐに光の速さで合点がいく。

「そうか、アイドルか……! うん、ユウにぴったりの夢だ。ユウなら絶対叶えられるよ!」

 アイドルのユウを頭の中で想像するのはとても容易なことだった。いや、頭の中で実際に展開していくと、僕の想像をすぐに超えて未知の世界に踏み出していきそうなほど可能性を秘めている。

 だが、続けられたユウの言葉を聞いて僕は驚嘆した。

「ううん、もう叶ったんだ。カラパラの新メンバーオーディションに受かったの。この前のクリスマス、新メンバーのビジュアル公開の日だったでしょ? まだ顔と名前だけはぼやかされているけれど、何れコウタくんにも気付かれると思ったから」

 事故に遭って入院してからすっかりカラパラの情報を追えていなかったが、しかしまさかユウが加入することも、オーディションに応募することも想像すらしていなかった。

 段々と理解が現実に追いついて、やがて僕の頭の中に溢れたのは喜びと幸せの気持ちだけだった。

「ユウおめでとう! 本当にすごいよ!」

 ユウがカラパラの楽曲を歌ったらどんな風に聴こえるのだろう。
 ユウがカラパラの楽曲を踊ったらどんな風に観えるのだろう。
 ユウがカラパラのメンバーになったらどんな未来を描いてくれるのだろう。

 たくさんの未来を展望する僕とは違い、ユウは「ありがとう」と言葉を残しつつも、すぐに不安気な表情を浮かべた。

「コウタくんは認めてくれるの?」

「もちろん。誰かに反対されたのか?」

「……お母さんとお父さんには反対されちゃった。学校はどうするんだとか、そんなよく分からない場所でとか、これまででいちばん怒られちゃったかも」

 あははと笑うユウの目は悲しそうに揺らいでいる。しかし奥底で放つ光は消えていない。その瞳は梓さんとそっくりだった。

「うちの両親と同じだな。いっそ今度は僕がユウのご両親に魅力を伝えにいこうか?」

「それは名案かも。……でもね、ちゃんと自分の思いを伝えたことに後悔はないの。今までだったら反対されて諦めていたかもしれないし、自分の考えも間違いなんじゃないかって思ってた。だけど、これは誰かのためじゃなくて私のためにやりたいことだって自信を持って言える。ううん、いまコウタくんに伝えて最後の迷いが消えた。ありがとう」

 わずかな夕焼けに照らされたユウの横顔はとても優美だった。きっと夜を迎えても、その輝きが消えることはないだろう。

「今まで演じていた自分しか見せていなかったから、お母さんたちが困惑するのも当然だと思う。だから私が本気なんだってところを見せたいんだ。これは私の人生だから後悔だけはしたくない」

 ユウの決意に深く頷いた僕は後押しをする。

「大丈夫だよ、いつか分かってくれる日が来る。でも理解してもらうためにやる必要はない。ユウが好きなことを、ユウが思うようにやることがいちばん上手く伝わるよ。そうだな、僕もその時までには自分の夢を見つけてみようかな」

「本当に? 楽しみにしてる! 私はね、夢は叶う叶わないじゃなくて、自分の生きる理由だと思う。だからコウタくんもきっと素敵な夢を見つけられるよ」

 ユウの言葉は僕の心に深く沈んで浸透していった。また夜が始まる。

 駅前のバス停で別れる時には、もう辺りは真っ暗だった。星屑が散りばめられた上空に、満月が僕たちを温かい色で優しく見下ろしている。たぶん、今後はユウとこういう風に会えなくなる。それでも僕に未練は残っていない。今はユウの将来がどんな風に燦然と輝くのか楽しみなだけだ。

「なあ、ユウ」

 優しい眼差しで僕を見つめてくれるユウに僕は告げる。

「ユウなら、たくさんの人を救えるアイドルになれるよ」

「ありがとう。その中にコウタくんもいたらいいな。もしその夢が叶ったらコウタくんもそうなれるよ」

「僕が?」

「だってそんな私を救ったヒーローだから」

 間もなくユウの乗ったバスが動き出す。視線が外れるまで僕たちは手を振り合った。なんとなくこの場景が、夢という最終点に向かって一足先にユウが出発したようで目頭が熱くなった。僕もすぐにその後を追おうと決めて帰路に付く。

 不器用な僕たちは、お互い偽りのない本当の気持ちを全て伝えるのに、七年も時間を要してしまった。だけど誰よりも真面目に生きてきたからこそ、たくさん遠回りをして、たくさん時間をかけて、たくさん歩いてこの世界を見てきたのだと思う。そこに無駄なんて何一つなかった。

 そんな僕たちはきっと強い。ようやく自分の人生を歩き始めることができる。痛みも悲しみも苦しみも喜びも嬉しさも幸せも知っている僕たちは、道中救いを求めている人に優しく手を差し伸べることができるだろう。

 そんな誰かの道しるべになれるような存在に、いつの日かなれることを願って。
 今、ここから――。
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