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Chapter4「命の針が止まるまで」
#4
しおりを挟む退院の日もユウが出迎えに来てくれた。姉や英莉さんも今日が退院であると知っていたが、二人とも気を遣ってくれた。
別にユウとはそういう関係性ではないと言ったものの、二人にとって僕たちはそれほど親密に見えるらしい。でも確かに、これほど互いのことを信頼し、隠したい過去も全てを曝け出せる人と出会うことはそうそうない。
巡り会っては学生時代に二度の別れを経験し、ようやく大人になって三度目に会った時は、お互いに明日の姿が見えないほど救いの手を欲していた。それなのに空白の三年間で、『向こうは立派な大人になっていて、もう昔のような関係性にはなれない』と互いに悲嘆に暮れて終わりを告げようとしていたのだから、今こうして会えているのが奇跡的だ。
きっと僕たちはまた近い将来、別々の道を歩き出す。それでも最終地点は繋がっていてまた会える気がする。運命とはそういうものだと姉も言っていた。
お世話になった看護師さんや先生にお礼を告げて、約束の時間ぴったりに病院を出ると、既にユウが待ってくれていた。
「退院おめでとう」
朗笑して祝福してくれたユウの気持ちを受け取った僕は、精一杯の感情を込めて「ありがとう」と呟く。
「手貸そうか?」
「ありがとう。気持ちだけ受け取るよ。歩くのもリハビリのひとつなんだ」
「そっか、ゆっくりでいいからね。まだ痛みは残ってる?」
「曲げると少し。でもだいぶ良くなったよ。ほら」
僕がおどけて片足を上げると、ユウが慌てて「こら! 転んだらどうするの?!」と子供を叱りつけるように言った。僕はそれを笑っていたが、ユウは通行人の視線を感じたようで恥ずかしそうに目を伏せて僕の肩をつつく。
「もうコウタくんが傷付く姿は見たくない」
「それは僕も同じだ。ユウにはずっと幸せでいてほしいよ」
こうしてまたユウと談笑できるのが幸せだ。不思議と外の空気も美味しく感じる。大きく息を吸って身体を循環させた僕は、鳥の鳴き声に混じってユウに語りかけた。
「ユウにはたくさん迷惑をかけてしまった。思い返せば、中学生の時からずっと助けてくれたのに、僕は何もユウに返すことができなかった。今回だって救われてばっかりだ」
「コウタくんに迷惑かけられた覚えはないなあ。それこそ私がたくさん迷惑かけちゃった。それに何も返そうとしなくていいんだよ。私がそうしたくてやったことだから。でも……」
ユウが僕と目を合わせて笑う。
「ありがとうって言われると嬉しい。だからね、ありがちな言葉だけど、私の前ではごめんねじゃなくてありがとうって言って? それと、コウタくんはよく迷惑かけてるって言うけどそれもなし! 私たちはお互いにたくさん迷惑かけて生きていこうよ。ううん、助け合い支え合って生きていくって言い方の方がいいのかな。今までそうやって生きていけなかったから、少しくらい好きにしてもいいよね? うん! そうしよ!」
ユウが僕にそう言ってくれることも、過去を乗り越えてそう言えることも僕は嬉しかった。頷き合って二人だけの約束を交わした僕たちは、また一つ初めての経験をする。
「あれ? 街広場はこっちじゃないの?」
「今日はユウに見てほしいものがあるんだ」
この後のスケジュールとして、思い出の街広場で開催されている雪像イベントを観に行く予定だった。しかし僕にはあるミッションが残されている。
「見てほしいもの?」
「うん。そこまでは英莉さんが連れて行ってくれる。あ、あの人が英莉さん」
僕が手で示す先には、英莉さんがぶんぶんと大きく手を振っていた。今日はくれぐれも落ち着いてくださいと言ったのに、そんな言葉で収められるほど英莉さんの活力は小さなものではないらしい。英莉さんについてはユウに何度も話しているが、実際の姿を見て驚かないか心配になる。
「ユウさんはじめまして! 小柴英莉です! 気軽に英莉ちゃんって呼んでください!」
「それ、誰にでも言ってるんですね……」
「しっ! 結局コウタくんは一度も言ってくれなかったよね。あたしは呼んでるのに悲しいよ」
「いちおう先輩ですし……」
「ん? いちおう……? それって馬鹿にしてるよね!」
ユウが僕たちの様子を見てくすくす笑った。
「英莉さんはじめまして! 花咲ユウです。今日はお世話になります」
「よろしくね! わあ、うちのコウタには高嶺の花だなあ」
「いつもコウタくんから英莉さんの話を聞いてました」
「え? もしかして可愛いって言ってました?!」
どちらが年上なのか分からないほど英莉さんは終始テンションが高く、ユウがそれを温かく受け入れている。
このままではキリがないので、僕は英莉さんの肩を小突いて暴走を止めた。
「英莉さん落ち着いてください……」
「何すましちゃって! まあそれもそっか。今日はコウタ主催コンサートで緊張――」
と言いかけたところで、英莉さんがしまったというように手で口を塞いだ。やれやれと僕は顔を俯く。
「コンサート……?」と不思議そうに首を傾げているユウには幸い気付かれていないようだ。「もう行きましょう!」と僕は二人の背中を押して先を促した。
英莉さんが運転する車に乗せてもらった僕たちは、これから小柴農園に、つまり英莉さんの実家に向かって移動している。
窓ガラスから見える街並みの景色は徐々に単調になり、やがて遮るものがなくなると、雪化粧をした山々や畑一面に広がる雪景色が目を癒してくれる。ユウは最初こそ興味深く眺めていたが、英莉さんがひっきりなしに質問攻めしていたので、途中から車内は二人のラジオのように変わり、僕はそれを微笑ましく聴いていた。
体感ではあっという間に到着すると、僕たちは車から降りて揃って体を伸ばした。
「はい到着~!」
「素敵なお家ですね!」
「そう思うでしょ。でもねユウちゃん、自然には虫がいっぱいいるんだよ……」
まるで怪談話をするように英莉さんが声のトーンを落とすと、「虫ですか……」とユウが少しだけ身を引く。それを見逃さまいと英莉さんが食い気味に近付いた。
「春になったらまた来てごらん。畑にはあんな虫や、こんな虫がたくさん――」
「いえ! 遠慮させていただきます!」
身震いするユウに英莉さんが笑う。
「なんでわざわざそんなこと言うんですか……」
「ユウちゃんに自然を教えてあげただけだよ!」
まるで小学生の男子みたいな悪戯だ。けれど僕がユウを連れて来たことを英莉さんは喜んでくれているんだろうなと思うと、僕も嬉しくなって笑った。
幸せの形はこんな単純でもいい。僕はまた大事に拾って心に仕舞う。
しばらく英莉さんがもてなしてくれた家の中でたわいもない話をしていたが、頃合いを見計らった僕は意を決して呟く。
「ユウ、ちょっとこっちに来てほしい」
「何があるの?」と興味を持ちながら後を着いてくるユウと一緒に別室へ向かうと、大きなグランドピアノが僕たちを出迎えた。
「わあ! 綺麗なピアノ!」
そのままユウが座る勢いで近付いたので僕が慌てて先に座ると、ユウが不思議そうに首を傾げる。
「コウタくん、ピアノ弾けたの?」
「まあ見ていて」
格好付けてそんなことを言ったが、鍵盤の上に指先を添えるとさすがに手が震えた。ユウの視線を感じると更に緊張したが、寸前のところで楽しみの方が上回った。
一音を奏でると、あとはもう手が勝手に動いてくれた。事故の後遺症も残らず、指先の感覚もしっかりと刻まれたままだった。英莉さんが指導してくれたおかげだ。
時折視線を移す余裕もありユウを見ると、瞬きも忘れた様子で目を輝かせながら観てくれていた。まさか僕が演奏者でユウが観客となる日が来るなんて思わなかったな、と僕はひと時の幸せを噛み締めながら鍵盤に指を落として音を奏で続けた。
数分間の演奏が終わると、ユウが大きな拍手を送ってくれた。
「すごかったよ! 何ていう曲?」
「実はオリジナルの楽曲で英莉さんに作ってもらったんだ」
見守ってくれていた英莉さんが、えへへと頭をかいている。その表情はどこか誇らしげだ。
「ユウがまた音楽に触れるきっかけになったらと思ったんだけど、少し遅くなっちゃったな……」
「ううん、嬉しい……! 本当に嬉しいよ! たくさん練習してくれたんだね。私のために弾いてくれて本当にありがとう!」
「よかった。喜んでもらえて僕も嬉しい」
「コウタくんは私にとってヒーローだね」
「僕がヒーロー? それはずいぶん頼りないヒーローだな……。すぐに世界が崩壊しちゃうよ」
「ううん、コウタくんは私を救ってくれた。それだけで私にとって世界一のヒーローなんだから」
英莉さんの何か言いたげな強い視線を感じながらも、僕の頰は自然と緩んで嬉しさをこぼしてしまう。そんな幸せの余韻に浸っていると、ユウが思い出したように言った。
「ねえ、この曲の名前は何ていうの?」
「名前……か。考えてなかったな」
しかしすぐに僕はひらめく。
「実はまだ決まってなかったんだ。でも今思い付いた」
僕は瞑想するように目を閉じ、楽曲に強く念いを込めて命を吹き込む。
あの日、ユウが僕のことを助けて救ってくれた時のように。
『この命に名前を付けて』
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