命の針が止まるまで

乃木 京介

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Chapter4「命の針が止まるまで」

#3

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 リハビリを経て退院の目処も立ってきたある日、僕の両親とユウがばったり遭遇してしまったことがあった。事前に姉から連絡こそ受けていたものの、病室の入り口に二つの影が見えた時、まさか本当に来るとは思わず驚いた。

 僕が遭遇した事故は地元のテレビ局のニュースで報道されていたことを後に知った。要はそれを見た両親が姉に問い詰めて、僕の入院先を無理やり聞き出したわけだ。しかし既に関係性の壊れている両親が、今さら病院にまで来る理由が分からず、僕は警戒しながら二人と対峙した。

 父の白髪はより増え、母の顔はよりやつれたように見える。二人きりで過ごしているであろう今も、何かに追われているのだろうか。

 目配せした僕に、ユウはすぐに状況を理解したように頷いた。

「その子は?」

 僕が説明するよりも前に、ユウが一歩前に出て深くお辞儀をする。

「はじめまして、花咲ユウと申します。コウタさんとは学生時代の友人でして、今日はお見舞いに伺いました」

「それはどうも。少し席を空けてくれるかな」

 両親の返答にヒヤヒヤしたが、さすがに初対面の女の子に悪態を向けるほど常識の欠落はないらしい。

 ユウは素直に「失礼しました」と病室から出て行ったが、側で聞き耳を立てているのはすぐに分かった。不穏な空気を察知したのだろう。

「あの場所で何をしていた?」

 僕に向けた父の第一声は、とても心配という色は含まれていなかった。質問の意図がどこにあろうと、もう大人になった僕がクリスマスイブの夜にイルミネーション会場に向かうことには何の問題もない。

「大切な人と会う約束をしていたんだ」

「さっきの子か?」

「ああ、でも彼女は事故に関係ない」

 ユウにも敵意を向けられそうで僕はすぐに防壁を立てる。今も側で聞いてくれているユウを悲しませたりしないように。

 それから幾ばくか間が開いた。隣の部屋で看護師さんと患者さんが何かを話す声が聞こえるほど静寂だった。その音に耳を澄まそうとするタイミングと運悪く母の言葉が重なってしまった。

「まだあなたは迷惑をかけるの?」

「迷惑……?」

 自分の名前ではなく“あなた”と他人のように呼ばれたことよりも、その言葉が引っかかって僕は復唱する。その反応が気に入らなかったのか、両親が揃って前のめりになって声を荒げた。

「あんな路面状態が悪い日に自転車に乗るなんて常識外れだろう!」

「名前も出ちゃって! これじゃあ恥ずかしくて外に出られないじゃない!」

 二人が何に対して怒りを募らせているのか理解に苦しんだ。固く結ばれた言葉をゆっくりと紐解いていくと、どうやら真冬に自転車を乗る僕にも非があると考えたことで、周りから責められて自分たちの評価が下がると思ったらしい。とどのつまり僕の怪我よりも自分たちの世間体を気にしたわけだ。

 やっぱり僕は子供の頃から両親に愛情など向けられていなかったのだろうか。だとすれば、僕が産まれてから高校を卒業をして家を出るまでの十八年間もの期間は一体何だったのだろう。

「どうしてそんなことが言えるんですか」

 俯きがちになった僕の顔を留めたのは、ユウの優しく、だけど熱のある声だった。
 いつの間にか僕を守るように立つユウの眼差しは厳しく揺れている。

「ユウ、いいんだ」

 大切なユウまで傷つけられたくない。そう思った僕は慌てて制するも、ユウは首を振った。

「ううん、大丈夫。慣れてるから」

 そうやってまた自分を犠牲にして生きるユウの姿はもう見たくなかった。これ以上、ユウが傷付く必要なんてない。ましてや、僕の家庭環境に巻き込まれて嫌な思いをすることもない。

 少々強引にでも僕が悪役を演じて両親の気を引きつけようとした時、ユウが哀切な笑みを浮かべて言った。

「それにね、言わなきゃ分からないことがあるなんて思わないけど、言わなきゃ何も始まらないから」

 ユウが僕に告げた言葉を正しく理解できた自信はない。けれど、妙に納得して僕はユウを止めることはしなかった。

 時間にすれば数分程度の短い会話だったと思う。ユウと僕の両親がどんな会話を繰り広げていたか全て記憶には残っていない。しかしそれは僕の両親と会話を重ねるユウの背中がとても堂々としていて、安心して見守ることができたからだ。少なくとも過去に何度か見た悲壮感や、誰かに背負わされた期待や責任の重さはまったく視えなかった。

「分かってほしい、認めてほしいとは言いません。でも知ってあげてください。こんな気持ちを抱えているんだって、こんな風に考えているんだって、ただそれだけで救われることがあるんです」

 ユウのその言葉を最後に、両親は黙って病室から出て行った。

 短く息を吐いたユウに声を掛けようとすると、その優しい目に涙が浮かんでいることに気付く。やはり無理をしていたのだろう。

「ユウ、ごめん……」

 しかしユウは自分の涙を指先で拭い、その色を確かめるようにまじまじと見つめて言った。

「ううん、これは悲しくて涙を流してるんじゃないの。嬉しかったんだ」

「嬉しかった……?」

「コウタくんを守れたこともそうだけど、自分の気持ちを伝えるのがこんなにも難しくて、だけど飲み込まず言えることがこんなにも嬉しいんだって。だからこの涙は私の心が喜んで流してくれたものなんだよ、きっとね」

 ふと窓の奥を見つめたユウに釣られて僕も視線を移すと、二本の飛行機雲が線引かれていた。青い空に遠慮なく色を落としている様子を、しばらく子供のように僕たちは眺めていた。やがて端から蒸発して雲は青に溶けていく。その情景は先ほどユウが涙を拭った仕草とどこか似ている気がした。
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