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Chapter3「仇花が生きた世界」
#19
しおりを挟む夢のようなカラパラのライブを観た翌日、らむとコウタくんには内緒で私は実家に帰った。私が長いあいだ一人暮らしの家を離れていることは、既に両親には発覚済みだ。
もともと両親は何かと理由を付けて頻繁に私の様子を訪ねてきていた。女の子の一人暮らしは心配になる、と口酸っぱく言っていたものの、本音は私がサークルや恋愛など余計なことをせず勉学に励んでいるかどうか見張っていたのだろう。
仕送りをしてもらっている以上、何も言うことはできなかった。そもそも勉学に励むことが一人暮らしの条件だったので、納得できないのなら実家に強制送還させると何度も言われていた。結局私は羽ばたけても、見えない鎖を体に繋がれていて制限されていた。もっとも自由の在り方についても分からないままだったけれど。
当然、何も言わず家を飛び出し行方をくらました私に両親は激怒していた。すぐにらむと一緒に居ることを伝えて、らむも説明してくれたことであらぬ疑いは晴れた。しかし私の心配より、怒りの感情が先だったのが悲しかった。なぜ私が家を飛び出そうと思ったのかは考えてくれないんだ、と。
そんな状態で帰省をしても歓迎されることなどあり得ないと分かっていたから、仲が良かった妹と連絡を取り合った。今日なら午前中は両親が家を空けていると情報をもらい、始発の特急電車に乗り込んで向かったわけだ。
久しぶりの実家は一瞬、他人の家のように感じられたけど、玄関を潜り抜けるとすぐに身体が循環して染まった。そうそう長年住んでいた記憶を失うことはない。歩みを進めたこのリビングで私は母に言われたのだ。
――人に迷惑をかけることなく、自分の行動に責任を持って生きるのよ。
幼い頃の私は何をそんな真面目に受け取ってしまったのだろう。けれど今の私は両親にとって親不孝者なのだから皮肉なものだ。
だけど私はこれまで自らの意思で責任を背負った覚えはない。いつだって周りの顔色を伺って、両親の期待を裏切らないように生きて、将来に関わる大事なことでさえ、自分の本心で決めたことなんて一度もなかったのだから。
記憶を振り払い、しばらく妹とたわいもない話をしたあと、私は自室に向かった。目当てのギターが部屋の片隅にあることを視認して安堵する。撫でるように触れて再会を喜び、そのままケースに入れてひょいと背負うと、直後に加わった重みがどこか懐かしくて思わず頬が緩んだ。
部屋を出る寸前、私は振り返る。たぶん、この場所にはもう長く帰ってこない。もし帰ってくることがあるとすれば、両親との関係性が良好になっているか、あるいは修復できないほど壊れてしまっているか、両極端のどちらかだ。後者であれば、そこにはもう本当の私はいないだろう。
一歩踏み出してすぐに歩みを止める。
本当にこれでいいのだろうか……?
こんなところで躊躇っているようではまた躓いて転んでしまう。前を見て真っ直ぐと歩かなきゃいけないのに、何か見落としていることはないかと俯いて、隅々まで視線を凝らしてしまう癖が抜けない。
そんな迷いと共にリビングに戻ると、妹が明日の天気を訊くかのようなテンションで言った。
「お姉ちゃん、今何してるん?」
最もな問いに、私は幾ばくか考える。私がまた音楽に手を出し始めたと両親が知ったら、今度こそ実家に強制送還されてしまう可能性もある。このギターも破棄されてしまうだろう。だから正直に答える必要はないかもしれない。けれど、今日この時を作ってくれた妹になら問題はないと判断した私は短く呟いた。
「何もしてない。でも、やりたいことは見つかった」
よく考えてみると、最後に人と声を用いて話したのがいつのことだったかすぐに思い出せなかった。コウタくんと再会し、自分の声が正常に出ると分かってから独り言を呟くことはあったけれど、らむと二人きりの時も沈黙を貫いていた。そうなると、一人暮らしの家を飛び出した昨年の十二月まで遡るのだろうか。
本当の自分の姿で、と更に強いフィルターをかけると、両親はもちろん妹や弟にさえ優秀な姉を演じていたから、きっとコウタくんと過ごした文化祭期間まで遡る。
「それと関係してる?」
妹は私が背負っているギターを指さしている。
「まあ、うん。やっぱり私は音楽が好きだから」
自分の好きなことが言えた。たったそれだけのことなのに胸が弾んだ。これもまた最後に自分の好きなことを話したのはいつだっただろう。進路について両親に打ち明けた時は恐るおそるといった感じだったし、担任と話をした時も迷いが残っていた。純粋な気持ちで言えたのはやっぱり高校の文化祭期間だろう。
いつだって私の守りたい記憶にはコウタくんが紐づけられている。私に何も返せないと言っていたコウタくんに記憶を可視化して見せてあげたい。今の私を作っているのは他の誰でもないコウタくんなんだよ、と。
「そっか」と呟いた妹がいちどは背を向けたものの、再び私と視線を合わせて呟いた。
「お姉ちゃんはこう言われると嫌かもしれないけど……」
私と違って自分の意見をはっきり言える妹が珍しく逡巡している。私がほんの少しだけ首を傾げると、妹が意を決した様子で口を開く。
「わたし、お姉ちゃんがギター弾いてる姿ずっと好きだったんだよ」
「え……?」
そんなこと妹には初めて言われた。驚く私を見て妹は恥ずかしそうに指先で頬をかきながら言葉を続けた。
「なんだろうな、本当に音楽が大好きなんだろうなってお姉ちゃんを見ていたら分かるの。幸せそうな顔をしてるって言うのかな。それを見ているわたしも心がぽかぽかするんだ。そういう風に感じることってさ、意外とあんまりないじゃん? 自分が主役のことではあるかもしれないけど、誰かの幸せを自分の幸せのように感じることって」
分かる気がする。私も大切ならむやコウタくんが笑っていると釣られて笑顔になる。楽しかったことや嬉しかったことを話してくれると自分のことのように幸せを感じる。そんなふうに妹も感じてくれているなんて知らなかった。
「だからまたそう言ってくれて嬉しい。きっとお母さんたちに反対されてたんでしょ? でもいいんだよ。お姉ちゃんはもう大人なんだから、自分の好きなことをやりたいことをしても。頑張ってとは言わない。もうお姉ちゃんが頑張ってるのは知ってるから。だからわたしから言えるのは、お姉ちゃんの好きなように生きてほしい。後悔だけはしないように。それだけ!」
こういうとき、何と言葉を返せばいいのだろう。嬉しいという感情はあるのに、上手く気持ちを言葉として表現することができない。まだふわふわとした空気感にいる私の背中を妹が押す。
「ほら、そろそろお母さんたち帰ってきちゃうよ」
促されるように靴を履いた私は、振り返って妹の顔を見た。妹は「そんな暗い顔してないで笑って」と言って自分の頬を手で伸ばして可笑しな顔をした。その表情に釣られて私も笑う。
「わたしはお姉ちゃんのどんな夢も応援してる。また今度いろいろ話聞かせて!」
この世界は思ったより単純で、そして私の見方によって全く別世界に映るのかもしれない。
「ありがとう」
結局その一言しか言えなかったけれど、妹は目を細めて「どういたしまして」と今度は自然な笑顔で私を見送ってくれた。
玄関の扉を開けると、日輪が私を歓迎するように出迎えてくれた。その光が私の目元に反射すると、まばゆく煌めいた。人は悲しいときだけではなく、嬉しいときにも涙が出ることを知った。指先で涙を拭った私は、深く息を吐く。もう覚悟は決まった。
希望と夢の重さを背負い、私は新たな世界の一歩目をいま踏み出す。
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