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Chapter3「仇花が生きた世界」
#18
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ライブハウスという場所があること、そこで活動するアイドルがいること、総称としてライブアイドルと呼ばれる人たちがいることは、大学の友人の話で何度か出てきて知っていた。
写真を見せてもらえば可愛い子だなと思ったし、曲を聴かせてもらえば良い曲だなと感じた。きっとステージ上でキラキラと輝いていて、見ている人を自然と笑顔にさせることができて、たくさんの人に幸せを与えられるような存在なのだろう。それこそ文化祭の時に弾き語りを披露した私が、いつかは誰かを救えるような人になりたいとコウタくんにだけ打ち明けていた理想に近い。しかし現実の私は、自分自身さえも幸せにすることができていなかった。
「Colorful Parasolっていうライブアイドルがいるんだけどさ、今度の土曜日に定期ライブをやるんだ。僕も元々は誘われて観に行ったのがきっかけでハマったんだけど、想像していたアイドルとはまったく違くて最初は驚いたんだよ」
コウタくんの口からその言葉を聞いた時、不思議と興味が沸いた。
「人生観が変わったと言うべきかな。それくらい魅力的なグループなんだ。だからユウも一緒にどうかなって」
コウタくんに影響を与えた人を見てみたい。そう思った私はコウタくんの誘いを承諾した。
当日ライブハウスまでの道のりを辿るあいだ、隣を歩くコウタくんは今日観るアイドルの話をずっとしてくれた。
誰かが話した内容を頭の中で想像、展開するのは得意なことだった。相手に最も適した自分を演じるための資料集めと言っていい。今の私には必要ないけれど、すっかり癖になった思考が脳内のキャンバスに文字や絵を埋めていく。
Colorful Parasol――通称カラパラは四人組のグループで、コンセプトは『誰もが同じ色に染まらず、いろんな色に輝ける世界を』というものらしい。
楽曲テイストは自己や社会のアンチテーゼを謳うものが多め。可愛い系というよりは格好良い系、ポップ系というよりはクール系。コウタくんの話を聞いて、カラパラのイメージ像が完成していく。
一時間後、その答え合わせをすることになったのだけれど、ステージ上に現れた四人の女の子を見た時、私の想像は大きく外れたと一時は思った。
たとえば、今から王道アイドルソングが流れたとしても何の違和感もない、今時の可愛らしい女の子が視界に映ったからだ。しかしその目に宿る光明を見た時、先ほどの言葉は彼女たちにとって好ましくないものだとすぐに私は自分の過ちを認めた。
その瞳で何を見て何を感じて生きてきたのだろう。もっと彼女たちのことを知りたい。途端に沸き上がった高揚感が心を包み込んで熱を持つ。興奮を胸に私はコウタくんの袖をギュッと握んでライブの始まりを待った。
一曲目の『命の針が止まるまで』という楽曲は、コウタくんが特に推していたけれど、その理由がすぐにわかった。もし何も情報を伝えられず音源だけで聴かされたとき、私はこの楽曲をアイドルの曲だとは考えもしなかったと思う。
不安定で儚くて、だけど確かに存在する心音のようなボーカルメロディーに、ロック調を掛け合わせたサウンドは画期的だった。歌詞は生き辛さを訴えるようなものが多くて、だけどそこに模られた場景は一切なかった。
落ちサビでは、もがき苦しむように歌い上げる女の子の目に涙が浮かんでいた。日々のレッスンで歌唱力は上達できても、あそこまで世界観に入り込んで気持ちを込めるには、楽曲の本質を理解する必要がある。ライトに照らされた涙の色を見ていると、たまたま自分の境遇と重なったわけでも、演じているわけでもなさそうだった。
もっと単純に、歌が好きだから、踊るのが好きだから、音楽が好きだから。彼女たちはそうやって自分の気持ちを素直に受け入れて命を唄っているように見えた。生きるなんてそんな単純明快で良いとでも言うように、あるいはこれが私たちの生まれた使命であると全うするように。本能のままパフォーマンスする彼女たちの姿はとても格好良かった。
グループ名と同じ『カラフルパラソル』という楽曲では、これまでとは違って比較的明るいメロディーに歌詞が乗せられていた。
“君の頬を濡らす雨が降ったとして
僕は傘になることを躊躇わない
虹が見えたら別れと分かっていても
それが誰かの幸せを願うってことだろう”
その中でも最後の歌詞が特に印象的で心を揺さぶった。これがColorful Parasolというグループ名とコンセプトに繋がっているのかもしれない。つまり、色鮮やかに照らされる傘こそが彼女たちなのだ。ステージに立つ主役でもあり、私たちを救ってくれる脇役でもある。そして見ている私たちもまた脇役でもあり、彼女たちのパフォーマンスによって主役にもなれる。
なんて素敵な関係性だ。これが彼女たちの魅力なのだろうか。確かにコウタくんが言っていたとおり、これまで抱いていたアイドル像の常識が覆されていく。
曲間のMCになると硬く引き締まっていた彼女たちの表情が優しく崩れた。今日の朝にパン屋さんで買ったメロンパンが美味しかっただとか、メンバーの一人がレッスン靴を忘れて裸足で練習しただとか、和気藹々と話す彼女たちの表情には常に笑顔があってそのギャップに驚いた。私の記憶が確かなら、楽曲披露中にはそれが世界観の表現をするためとは言え、一度も笑みを見せることはなかった。
はたしてどちらが本当の彼女たちの姿なのだろう。あるいはどちらも本当の姿としたら、パフォーマンス力の高さがより際立つことになるし、ふだんの人間味あふれる姿も魅力的だ。そんなことを考えながら真剣に話を聞いていたら、隣にいたコウタくんが私にだけ聞こえる声で言った。
「いま話してる子、ユウも好きだと思うんだ」
思わず『うん、よくわかったね』と言ってしまいそうになった。それほど目の前でマイクを持ちながら話す彼女に、私は今日何度も目を奪われていた。髪型はツインテールに束ねられ、肌は不健康に見えるほど白くて、体型もモデルさんのように細い。それをアイドルらしいビジュアルだと言うのは簡単だけど、私には想像することもできない努力と苦労が積み重ねられているのだろう。しかしそこにいちばん惹かれたわけではない。
ふと、彼女と視線が合った。いまにも消えてしまいそうな儚い眼差しにはどこか親近感さえ覚えるのに、ライブパフォーマンスでは別人のような表情と力強い歌声を披露していた。その姿がとても印象に残っていて、今も私の鼓動が激しく揺らいで鳴り止まない。
「高岡梓さんっていうんだ。僕も彼女の姿や言葉に救われたんだよ。だから今日、ユウにも見てほしくて。何か伝わるものがあるんじゃないかなって」
わかる。コウタくんの言いたいことが。衰弱していた私の心が、先ほどから何かを掴もうと再び強く呼吸し始めたのを何度も感じている。
「彼女もアイドルになる前はたくさん悩むことがあったらしい。いや、今も一人の時間を過ごす時は夜に押し潰されそうで泣きたくなるって言ってたな。それなのに毎日ステージに立てば、来てくれたお客さんにたくさんの幸せを与えている。この空間だけが、この時間だけが、自分が生きていると実感できる幸せな瞬間なんだって話してくれたことがあったんだ」
コウタくんの話を耳で聞きながら、目では梓さんの姿を追う。
「なんかさ、そんな梓さんの姿がユウと重なる時があるんだよ。高校の文化祭の時、全校生徒の前で弾き語りを披露していたユウを思い出すんだ。今日まで生きてきて、僕はあの日を超える光景を見たことがない。生きる意味というか、生きる美しさというか、たぶん正確には言葉にできない情景なんだと思う。あの日があったから、僕はまだこの世界にどこか期待してしまうんだ。僕にとってユウが与えてくれた影響はそれほど大きかったんだろうな」
コウタくんを見ると気恥ずかしそうに笑っていた。だけどすぐに頬の力が抜けていき、寂しそうな表情に変わる。
「この間のことだけど……。ユウが忘れてと言うなら僕に拒否する権利はない。与えてもらってばかりで何も返せない僕が、それでも傍に居させてほしいなんて言ったら迷惑になる」
違う。そんなことはない。私はコウタくんに何度救われて今日まで生きてきたか。
コウタくんの前では本当の私でいられた。
コウタくんが居たから強い私でいられた。
コウタくんが描く言葉や声に明日を紡いでもらった。
ただ一つ足りないのは、一瞬の信じる勇気だけなのだ。
「だけどこうして一緒に居られることがこれで最後になったとしても、僕はいつまでもユウの幸せを願ってる。絶対に忘れることなんてないよ」
声を出すなら今だと思った。私はただコウタくんのそばに居られるだけで幸せなのだと、だからいつまでも一緒にいてほしいと。
あのね、と言葉に出しかけた時、コウタくんが私の手を握った。途端に思考のエラーを起こした私は、ただその現実を処理することしかできず口を閉ざす。何とか動かすことができた視線の先では、コウタくんが恍惚とした表情でステージを眺めていた。
「わがままを言うなら、もう一度ユウが音楽に触れている瞬間を見てみたい。音楽に触れている時のユウはまるで別人のような……いや、あの瞬間こそユウがユウでいられる大事な時間だと思うんだ。もしまだ音楽が好きなら、この手で素敵な音を奏でてほしい。誰が何と言おうとユウの好きなことを、やりたいことを、信じるものを追い求めてほしい。だからどうか──自分に自分を奪われないで」
MCが終わり、開場が暗転する。
私が好きなこと、私がやりたいこと、私が信じるもの。それはずっと音楽だった。小さな頃から変わらないもので私が幸せに感じること。でも音楽がなければどうやって自分を表現すればいいのか分からなかった。いつも何かが足りなくて、違ったところばかり注目されて、両親にも認めてもらえなくて。だから自信がなかった。自分の気持ちや意思を持ってもそれが本当に正しいことなのか、一歩踏み出す前に諦めてしまうことばかりだった。
だけど今、自分の大切な人が私の音楽をもう一度聴きたいと言ってくれている。しかし文化祭の時のような一時的な披露では、また同じ道を辿ってしまう。二人で堕ちていくなら、それも悪い最期ではないだろう。カラパラの存在を知らずにコウタくんに打ち明けられていたら、私はそう提案していたかもしれない。
――自分に自分を奪われないで。
あの日、コウタくんにそう言ったのは私だ。私にはもう取り戻すことなんてできないと思い、せめてコウタくんだけは救われてほしいと願って出た言葉だった。でも今なら、今の私なら。
ライブの最終MCで高岡梓さんが笑顔で言った。
「Colorful Parasolは新メンバーを募集します!」
一縷差す光明が私を照らす。
「私たちと一緒に、これからも未来にたくさんの色を描いていきましょう!」
この世界にもう少しだけ期待してみてもいいかもしれない。
写真を見せてもらえば可愛い子だなと思ったし、曲を聴かせてもらえば良い曲だなと感じた。きっとステージ上でキラキラと輝いていて、見ている人を自然と笑顔にさせることができて、たくさんの人に幸せを与えられるような存在なのだろう。それこそ文化祭の時に弾き語りを披露した私が、いつかは誰かを救えるような人になりたいとコウタくんにだけ打ち明けていた理想に近い。しかし現実の私は、自分自身さえも幸せにすることができていなかった。
「Colorful Parasolっていうライブアイドルがいるんだけどさ、今度の土曜日に定期ライブをやるんだ。僕も元々は誘われて観に行ったのがきっかけでハマったんだけど、想像していたアイドルとはまったく違くて最初は驚いたんだよ」
コウタくんの口からその言葉を聞いた時、不思議と興味が沸いた。
「人生観が変わったと言うべきかな。それくらい魅力的なグループなんだ。だからユウも一緒にどうかなって」
コウタくんに影響を与えた人を見てみたい。そう思った私はコウタくんの誘いを承諾した。
当日ライブハウスまでの道のりを辿るあいだ、隣を歩くコウタくんは今日観るアイドルの話をずっとしてくれた。
誰かが話した内容を頭の中で想像、展開するのは得意なことだった。相手に最も適した自分を演じるための資料集めと言っていい。今の私には必要ないけれど、すっかり癖になった思考が脳内のキャンバスに文字や絵を埋めていく。
Colorful Parasol――通称カラパラは四人組のグループで、コンセプトは『誰もが同じ色に染まらず、いろんな色に輝ける世界を』というものらしい。
楽曲テイストは自己や社会のアンチテーゼを謳うものが多め。可愛い系というよりは格好良い系、ポップ系というよりはクール系。コウタくんの話を聞いて、カラパラのイメージ像が完成していく。
一時間後、その答え合わせをすることになったのだけれど、ステージ上に現れた四人の女の子を見た時、私の想像は大きく外れたと一時は思った。
たとえば、今から王道アイドルソングが流れたとしても何の違和感もない、今時の可愛らしい女の子が視界に映ったからだ。しかしその目に宿る光明を見た時、先ほどの言葉は彼女たちにとって好ましくないものだとすぐに私は自分の過ちを認めた。
その瞳で何を見て何を感じて生きてきたのだろう。もっと彼女たちのことを知りたい。途端に沸き上がった高揚感が心を包み込んで熱を持つ。興奮を胸に私はコウタくんの袖をギュッと握んでライブの始まりを待った。
一曲目の『命の針が止まるまで』という楽曲は、コウタくんが特に推していたけれど、その理由がすぐにわかった。もし何も情報を伝えられず音源だけで聴かされたとき、私はこの楽曲をアイドルの曲だとは考えもしなかったと思う。
不安定で儚くて、だけど確かに存在する心音のようなボーカルメロディーに、ロック調を掛け合わせたサウンドは画期的だった。歌詞は生き辛さを訴えるようなものが多くて、だけどそこに模られた場景は一切なかった。
落ちサビでは、もがき苦しむように歌い上げる女の子の目に涙が浮かんでいた。日々のレッスンで歌唱力は上達できても、あそこまで世界観に入り込んで気持ちを込めるには、楽曲の本質を理解する必要がある。ライトに照らされた涙の色を見ていると、たまたま自分の境遇と重なったわけでも、演じているわけでもなさそうだった。
もっと単純に、歌が好きだから、踊るのが好きだから、音楽が好きだから。彼女たちはそうやって自分の気持ちを素直に受け入れて命を唄っているように見えた。生きるなんてそんな単純明快で良いとでも言うように、あるいはこれが私たちの生まれた使命であると全うするように。本能のままパフォーマンスする彼女たちの姿はとても格好良かった。
グループ名と同じ『カラフルパラソル』という楽曲では、これまでとは違って比較的明るいメロディーに歌詞が乗せられていた。
“君の頬を濡らす雨が降ったとして
僕は傘になることを躊躇わない
虹が見えたら別れと分かっていても
それが誰かの幸せを願うってことだろう”
その中でも最後の歌詞が特に印象的で心を揺さぶった。これがColorful Parasolというグループ名とコンセプトに繋がっているのかもしれない。つまり、色鮮やかに照らされる傘こそが彼女たちなのだ。ステージに立つ主役でもあり、私たちを救ってくれる脇役でもある。そして見ている私たちもまた脇役でもあり、彼女たちのパフォーマンスによって主役にもなれる。
なんて素敵な関係性だ。これが彼女たちの魅力なのだろうか。確かにコウタくんが言っていたとおり、これまで抱いていたアイドル像の常識が覆されていく。
曲間のMCになると硬く引き締まっていた彼女たちの表情が優しく崩れた。今日の朝にパン屋さんで買ったメロンパンが美味しかっただとか、メンバーの一人がレッスン靴を忘れて裸足で練習しただとか、和気藹々と話す彼女たちの表情には常に笑顔があってそのギャップに驚いた。私の記憶が確かなら、楽曲披露中にはそれが世界観の表現をするためとは言え、一度も笑みを見せることはなかった。
はたしてどちらが本当の彼女たちの姿なのだろう。あるいはどちらも本当の姿としたら、パフォーマンス力の高さがより際立つことになるし、ふだんの人間味あふれる姿も魅力的だ。そんなことを考えながら真剣に話を聞いていたら、隣にいたコウタくんが私にだけ聞こえる声で言った。
「いま話してる子、ユウも好きだと思うんだ」
思わず『うん、よくわかったね』と言ってしまいそうになった。それほど目の前でマイクを持ちながら話す彼女に、私は今日何度も目を奪われていた。髪型はツインテールに束ねられ、肌は不健康に見えるほど白くて、体型もモデルさんのように細い。それをアイドルらしいビジュアルだと言うのは簡単だけど、私には想像することもできない努力と苦労が積み重ねられているのだろう。しかしそこにいちばん惹かれたわけではない。
ふと、彼女と視線が合った。いまにも消えてしまいそうな儚い眼差しにはどこか親近感さえ覚えるのに、ライブパフォーマンスでは別人のような表情と力強い歌声を披露していた。その姿がとても印象に残っていて、今も私の鼓動が激しく揺らいで鳴り止まない。
「高岡梓さんっていうんだ。僕も彼女の姿や言葉に救われたんだよ。だから今日、ユウにも見てほしくて。何か伝わるものがあるんじゃないかなって」
わかる。コウタくんの言いたいことが。衰弱していた私の心が、先ほどから何かを掴もうと再び強く呼吸し始めたのを何度も感じている。
「彼女もアイドルになる前はたくさん悩むことがあったらしい。いや、今も一人の時間を過ごす時は夜に押し潰されそうで泣きたくなるって言ってたな。それなのに毎日ステージに立てば、来てくれたお客さんにたくさんの幸せを与えている。この空間だけが、この時間だけが、自分が生きていると実感できる幸せな瞬間なんだって話してくれたことがあったんだ」
コウタくんの話を耳で聞きながら、目では梓さんの姿を追う。
「なんかさ、そんな梓さんの姿がユウと重なる時があるんだよ。高校の文化祭の時、全校生徒の前で弾き語りを披露していたユウを思い出すんだ。今日まで生きてきて、僕はあの日を超える光景を見たことがない。生きる意味というか、生きる美しさというか、たぶん正確には言葉にできない情景なんだと思う。あの日があったから、僕はまだこの世界にどこか期待してしまうんだ。僕にとってユウが与えてくれた影響はそれほど大きかったんだろうな」
コウタくんを見ると気恥ずかしそうに笑っていた。だけどすぐに頬の力が抜けていき、寂しそうな表情に変わる。
「この間のことだけど……。ユウが忘れてと言うなら僕に拒否する権利はない。与えてもらってばかりで何も返せない僕が、それでも傍に居させてほしいなんて言ったら迷惑になる」
違う。そんなことはない。私はコウタくんに何度救われて今日まで生きてきたか。
コウタくんの前では本当の私でいられた。
コウタくんが居たから強い私でいられた。
コウタくんが描く言葉や声に明日を紡いでもらった。
ただ一つ足りないのは、一瞬の信じる勇気だけなのだ。
「だけどこうして一緒に居られることがこれで最後になったとしても、僕はいつまでもユウの幸せを願ってる。絶対に忘れることなんてないよ」
声を出すなら今だと思った。私はただコウタくんのそばに居られるだけで幸せなのだと、だからいつまでも一緒にいてほしいと。
あのね、と言葉に出しかけた時、コウタくんが私の手を握った。途端に思考のエラーを起こした私は、ただその現実を処理することしかできず口を閉ざす。何とか動かすことができた視線の先では、コウタくんが恍惚とした表情でステージを眺めていた。
「わがままを言うなら、もう一度ユウが音楽に触れている瞬間を見てみたい。音楽に触れている時のユウはまるで別人のような……いや、あの瞬間こそユウがユウでいられる大事な時間だと思うんだ。もしまだ音楽が好きなら、この手で素敵な音を奏でてほしい。誰が何と言おうとユウの好きなことを、やりたいことを、信じるものを追い求めてほしい。だからどうか──自分に自分を奪われないで」
MCが終わり、開場が暗転する。
私が好きなこと、私がやりたいこと、私が信じるもの。それはずっと音楽だった。小さな頃から変わらないもので私が幸せに感じること。でも音楽がなければどうやって自分を表現すればいいのか分からなかった。いつも何かが足りなくて、違ったところばかり注目されて、両親にも認めてもらえなくて。だから自信がなかった。自分の気持ちや意思を持ってもそれが本当に正しいことなのか、一歩踏み出す前に諦めてしまうことばかりだった。
だけど今、自分の大切な人が私の音楽をもう一度聴きたいと言ってくれている。しかし文化祭の時のような一時的な披露では、また同じ道を辿ってしまう。二人で堕ちていくなら、それも悪い最期ではないだろう。カラパラの存在を知らずにコウタくんに打ち明けられていたら、私はそう提案していたかもしれない。
――自分に自分を奪われないで。
あの日、コウタくんにそう言ったのは私だ。私にはもう取り戻すことなんてできないと思い、せめてコウタくんだけは救われてほしいと願って出た言葉だった。でも今なら、今の私なら。
ライブの最終MCで高岡梓さんが笑顔で言った。
「Colorful Parasolは新メンバーを募集します!」
一縷差す光明が私を照らす。
「私たちと一緒に、これからも未来にたくさんの色を描いていきましょう!」
この世界にもう少しだけ期待してみてもいいかもしれない。
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