命の針が止まるまで

乃木 京介

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Chapter3「仇花が生きた世界」

#17

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 あの日以降、コウタくんは毎週私と会う機会を作ってくれた。

 私を傷付けないように自然を装ってコウタくんが話し続けてくれる度に心が強く傷んだ。だけどもう戻ることはできない。コウタくんが愛想を尽かして離れてくれるまで、私はただ沈黙を貫き通すだけでいい。幼き頃から散々やってきたように演じればいいのだ。それだけがこれまで生きてきて得た私の特技、いや才能と言ってもいいのだから。

 無表情で何も喋らない私に、コウタくんは過去の自分の話をたくさんしてくれた。初めて知ることばかりで、私はその情報をひとつも忘れないように記憶の奥底に刻み続けた。

 常に沈黙の時を作らないよう喋り続けてくれているコウタくんの横顔を時折見ていると、声を失っていた時があるなんて今では信じられないくらいだ。しかしあの時は私の前にだけ話してくれていた声も、今はいろんな人がコウタくんの声を聴いているのだろう。そこに少しでも嫉妬を感じてしまう自分が嫌になる。

 私と出会う前の幼き頃のことも話してくれたけれど、境遇に大きな差はなかったと思う。両親から期待される理想像を押し付けられることで齟齬をきたして、大人という大きな関門に阻まれているところまでそっくりだった。やっぱり私たちは似たもの同士で、出会うべくして巡り合ったのだと再認識することができた。

 しかし私が転校してからのコウタくんは立派な大人になっていた。今は農業のお仕事をしていて、今年から数年の頑張りが認められて社員になったらしい。周りのサポートに助けられただけだとコウタくんは笑って言っていたけれど、元から持ち合わせていたコウタくんの魅力が顕現すれば、それはごく自然な成り行きだった。

 私もその魅力を知っているのに、おめでとうって笑顔で祝福したいのに、針を縫うように口を閉ざす。

 そんな自分の気持ちを騙して一つ嘘を付くたびに、ガラスの心にヒビが入っていく。二十年ものあいだ生きてきて培った心は、度重なる負荷実験により耐えられる強度を保っていて、ちょっとやそっとのことでは簡単に壊れない。だからこそ、痛みは長く永く続いていく。既に強く歪むこの痛みに耐えられるのだろうか。いや、耐えるしかないのだ。精神の崩壊か、あるいは心が終に壊れるか。いずれにしても、そのときは私が私でなくなり終えることができる。

 そうは言いながら、毎回コウタくんと数時間の時を過ごすとき、私は希望と絶望が押し寄せる波の中央で必死に息継ぎをしていた。心のどこかでまだ助けが来ると期待していたのだろう。

 だから私は転校前の高校の制服を着ていた。これまでの人生の中で、いちばん私が私でいられた瞬間を切り取ることで自我を失わないようにしていた。荒波の中で必死に顔を出す私が唯一持っている、小さな浮き輪のようなものだった。

 たぶんその意図にコウタくんも気付いている。その証拠として私と会うときに、コウタくんも同じ制服を合わせてくれるようになった。わざわざ考えてくれた申し訳なさと、やっぱりコウタくんは私のことを理解して受け入れてくれる嬉しさと、だけどその優しさを利用している罪悪感など、さまざまな心情が私を襲った。

 ああ、演じることに集中できていない。
 着実と私の心音は弱まっていた。

 冬という一生があるとすれば、その命もそろそろ終わりを迎えそうだった。顔を覗かせた春の匂いがほんのわずかに鼻腔をくすぐった二月下旬。イルミネーションに連れて行ってもらったその日の帰り、私は無情にもコウタくんに伝えた。

『いつもごめんね。もう私のことなんて忘れて』

 その言葉が声になっていたら、私は自分で自分の言葉に打ちのめされていたと思う。コウタくんの一瞬垣間見えた絶望の表情でさえ、過呼吸を起こしかけた。

 結局その言葉も、コウタくんのためではなく私のためだったのだろう。今よりももっと満たされるために、忘れてと言いながら私はまだ心の奥底でコウタくんが助けてくれると期待している。それなら早く自分のプライドや恐怖心なんて捨てて、こちらから助けを求めるべきなのに。

 私の期待通りに「絶対に忘れない」と言ってくれたコウタくんの言葉は、やっぱり私の気持ちを希望と絶望の狭間に落とし込んだ。コウタくんがどれだけ私を助けようとしてくれても、私がそれを信じて掴まなきゃ何も変わることはない。

 つまり最後は自分で決めなければいけない。誰かに最後まで委ねることはできない。いつだってそうだった。私の意思とは関係なく決められた道だとしても、その道しか残されていなかったとしても、最後は自分で選んだのだと責任を負わされる。そう生きてきたから、誰かが手を差し伸べてくれるなんて甘い誘惑だと恐れてしまう。

 コウタくんのことは信じたい。だけど両親の時のようにコウタくんからも認めてもらえなかったら? 途中で手を離されてしまったら? 同じ結末を辿るなら、なるべく痛みや苦しみが少ない方を選ぶのは当然のことだ。

「ユウ。明日、一緒に来てほしい場所がある。もしかしたらそれが最後になるかもしれない」

 コウタくんがそう告げた時、ようやく終わるんだと最初に思った。コウタくんの悲嘆にくれた顔もこれで見なくて済む。これ以上、文化祭の時の綺麗な記憶を上書きされたくない。

 願うことならあの時のように「一緒に逃げよう」と言ってほしかった。今なら間違いなくすぐに頷ける。そうなれば、このうえないハッピーエンドだ。

 コウタくんも私のように上手くいってなければ。そんなことを一瞬でも考えてしまう私は愚か者で、このままコウタくんと離ればなれになるのも当然の報いなのだと思う。
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