命の針が止まるまで

乃木 京介

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Chapter3「仇花が生きた世界」

#10

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 じゃあどうすれば――と考えていた私の思考とコウタくんの声が不意に重なった。

「どうすればユウのように……いや、レイのように強くなれるのか教えてほしい」

 レイという名前がコウタくんの口から聞こえても、私は幾ばくか理解することができなかった。いま私は正真正銘の花咲ユウであり、誰を演じているわけでもなく、もちろんレイの要素は欠片ひとつさえない。それなのに目の前にいるコウタくんは、間違いなく私を見てレイと言った。

 頭の中でもう一度コウタくんの言葉を繰り返す。いつから私がレイであると気付いていたのだろう。たった今? 昨日街中に繰り出した時? 空き教室で過ごした練習期間の途中? それとも私が話しかけた最初から?

 思い返せばいくつか思い当たるシーンはあったけれど、そのどのタイミングだとしても、ちゃんとコウタくんの記憶の中にもあの日の私が生きていること、そしてレイを含んだ私を受け入れてくれているのだと思うと嬉しくてたまらなかった。

 どうしたら強くなれるのか。決して私は強くなんかない。強い振りをして演じていただけだ。その姿でさえ、最近は破綻してきている。でもそれは、自分の弱さを見せられる人と出会えたからだ。

 私はこの期間、濁りのない透明な海で泳いでいた。音楽に触れていない時でも息継ぎをすることができた。初めて代わりになるものを見つけた。だからもし、コウタくんからはそう見えているのだとしたら。

「私は強くなんかないよ。でも、コウタくんからは私がそう見えているのだとしたら、それが答えなのかもね。強いんじゃなくて、強くいられる理由。私が求めているのもまた――そんな人とずっと一緒にいられる未来なのかもしれない」

 きっとコウタくんには伝わると信じて。今じゃなくても、いつか遠い未来には理解してくれることを願った。だからその時にはどうか、どうか私を。

「行ってくるね」

 コウタくんに背を向けて歩き出した私は、先ほど浴びせられた辛辣な言葉も忘れて迷いなくステージに立った。そのままギターのポジションとマイクの位置を確認しながら客席に視線を揺らす。

 先ほどの演劇グループよりは少し観客が減ったように感じる。それでも同じ制服を着ているだけで顔も名前も知らない生徒がたくさんいて、暗闇の中で光る二つの眼が無数に揺れている。その奥底で何を期待しているのだろう。

 演奏前に最後の音合わせをすると、スマホのカメラを向ける者も現れた。今か今かと待ち望んでいるけれど、後にその時間を切り取った過去の映像を見て何が分かるのだろう。そこには私の何も映らない。ただ視る人にとって要らないものが、邪魔なものが、消したいものが都合よく取り除かれて、欲望と理想が詰まった虚構の世界が残される。

 形あるものは、最後には全て幻のように消えていく。最初から何もなかったように、この命でさえ終わりがある。それならせめて、一瞬の今を生きる私を何もフィルターを通さず肉眼で見てほしかった。

 うん……? 見てほしい……? 

 自分にそんな感情が芽生えたことに少し驚いた。SNSに拡散されて好き勝手言われて、自分の好きな音楽を一度は奪われて、もう人前で音楽をやることはないと思っていたのに。

 でもずっと、本当の自分を知ってほしかった。両親にもらむにもコウタくんにも今まで私と出会った人みんなに。私はここに居るよ、気付いてよって。

“世界の闇を光に変えられなくても 夜に佇む君を導く月になれたら”

 コウタくんが書いてくれた歌詞で私が最もお気に入りの部分だ。私なりにこの部分は、『君の心に深く沈む傷を取り除くことはできなくても、その傷が霞むくらい優しい存在に僕はなりたい』と解釈している。

 まさにコウタくんは、私にとってそんな存在だった。だから今度は私がそうなりたい。あらためて勇気をもらった私はギターに手をかけて力を込めた。演奏が始まる。

 後に、この時のことを何度も思い出そうとしても、まるで夢を見た時のように記憶が曖昧となっていた。見てくれた人がどんな表情をしていただとか、ミスすることなく弾けたかだとか、まるで憶えていない。それだけ集中していたということだろうか。

 それでも一つだけ明瞭に憶えていることがある。
 2サビが終わり、間奏部分のメロディーを弾いていた時、一つの声が聞こえた。

「もう大丈夫。君は他の誰でもない、正真正銘のユウだ」

 危うく私は弾く手を止めてしまうところだった。

 たぶんコウタくんはひっそりと呟いたつもりだったのかもしれないけれど、私の鼓膜を揺らすには充分だった。私が誰よりも聞いてきた優しい声を、そう簡単に他の音と同じように聞き流すことはない。

 振り返り、袖幕から見守ってくれていたコウタくんに「ありがとう」と口を動かして前を向き直した私は、楽曲物語のフィナーレを迎えて締め括りにかかる。

 その時、一瞬の思い付きで私は最後の歌詞を変えた。せっかくコウタくんが悩んで書いてくれたものに色を塗り直すのは躊躇したけれど、私の気持ちも混ぜて新たな色を元に未来を描いたと言えば許してもらえるはずだ。

 もしこれが、私の人生において人前で披露する最後の弾き語りになったとしても。その先に映る光景がコウタくんの目にも映っていたら良いなと希望を込めて。

 欲を言うなら、コウタくんの記憶の中でずっと生きていてほしい。

 コウタくんと一緒に作ったこの楽曲を。
 コウタくんが引き出してくれた私の声を。
 コウタくんが見つけてくれた花咲ユウという女の子がこの世界に居たことを。

 いつまでもずっと、ずっと。
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