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Chapter3「仇花が生きた世界」
#7
しおりを挟む文化祭前日、私はコウタくんを連れ出して街に繰り出した。一緒にいられる時間も翌日が最後となってしまった。別に文化祭が終わって私が転校することになっても、連絡先を交換することでいくらでも話したり会う口実は作れる。
だけど文化祭で弾き語りを披露するためという曖昧な契約によって結ばれている関係性が、はたして今後も続く効力を持っているのかどうか、初めての経験である私には分からなかった。ゆえに、あと一歩の勇気が出ずにいた。
だからこれが最後の二人きりでいられる日になるかもしれない。勢いそのままに誘うと、コウタくんは悩みながら私が想像していなかった反応を見せた。
「今まで誰かと遊びに行ったことなんてなくて……」
なんだ、そんなことかと思った私は途端に嬉しくなった。私がコウタくんの初めて遊びに行く相手になれて、また私自身も本当の自分を曝け出せる最初の相手がコウタくんであることを幸せに思った。私はコウタくんの手を取り学校を飛び出す。触れ合う肌から伝わるコウタくんの体温は、陽を浴びた夏の向日葵のような生命力を感じた。
今でもあの日のことを思い出すと、少し恥ずかしくなってしまう。解放的になっていた私は普段なら言わないようなことを口にして、コウタくんの困ったような表情をたくさん記憶の箱にコレクションした。
でもこれが本当の自分の気持ちなのかもしれないと思うと嬉しかった。もっと感情を、気持ちを、想いを表に出したい。たとえばタンポポが綿を飛ばすように、私自身の世界を広げて地に足を付けて色んな景色を見てみたい。コウタくんが私の隣からいなくなってしまっても、一人で生きていける強さを手に入れるために。
一通りプラスの感情を吐き出したあと、私はつい弱音も吐いてしまった。けれどそれもまた、自分を曝け出すことができているからこそ打ち明けられた言葉だったのだと思う。
コウタくんは真剣な表情で私の話を聞いてくれた。弱さを否定されるわけでもなく、だけど変に同情されて分かるよなんて言われるのも好きじゃない私の心情を、ただただ無言で強く受け入れてくれた。
心の内を全て明かすと爽快感と同時にやっぱり気恥ずかしさが増してきて、私は笑って誤魔化そうとした。けれど、コウタくんは表情を崩さず私に問いかけた。
「今日こうして一緒にいるのは……いや、初めて僕に話しかけてくれたあの日も、もう一人のユウが決めたこと?」
コウタくんにとってそれは、つい数週間前の出来事のことを指しているのだろう。振り返るとあっという間の日々だった。あの時も確かに、私の意思で決めた。でも私が初めてコウタくんに話しかけたのは中学生の時だ。レイという分身として、だけどそれもまた自分で選択した。数少ない私が私であった日。結果は上手くいかなかったけれど、あの日があるから今に繋がっている。
私が自信を持って答えると、コウタくんはホッとしたように息をついて笑った。そして今でも忘れられない一言を呟いた。
「僕という人間が存在しているかどうかはユウが証明してくれるよ。そして、ユウがユウであることも僕が証明する」
「どうやって……?」
「きっと、いつかわかる日が来るよ」
まったくコウタくんはずるい人だ。せっかく最後の思い出を作って私が忘れようとしているのに、そんなこと言われたら未来に一筋の光が差すのではないかと期待してしまうじゃないか。
だから私は少しだけ抗ってみることにした。
「明日が来てほしいし来てほしくもないな」
帰り際、コウタくんに聞こえるか聞こえないか絶妙な声量で私はそう呟いた。それは私にとって初めて“楽器を通さず”助けを叫ぶ言葉だった。
もし、コウタくんに気付いてもらえたら転校することを打ち明けて連絡先を交換してもらう。気付いてもらえなかったらこのまま黙ってお別れをする。単純明快な分かれ道を引いて、あとはどちらに水が流れるか待った。
ずいぶんと長い沈黙に感じたけれど、目の前に映る薄暮がラストシーンのように輝いて見えたとき、私はその答えを察した。さすがにそこまで求めるのは都合がよすぎる。あっさりと受け入れた私は、せめてこの時間だけは一秒でも長く続くように願う。
瞬きの瞬間に夢が醒めてしまう気がして、私は必死に目蓋を開け続ける。沸き上がってくる液体が涙腺を刺激して、耐えきれず涙が零れていく。
私はこんな簡単に人前で泣くような子だっただろうか。いや、振り返ってみてもそんな経験はなかった。どんなに苦しくて辛いときでも笑いながら大丈夫と言ってきたのに、コウタくんが近くにいると弱さが出てしまう。
だけどコウタくんが私を支えてくれたあの日のように、そんな自分を認めて受け止めてもらえると、心がとても落ち着いて安心する。誰かの前で弱さを見せることができたら、きっと人間はすごく楽なんだろうなと思った。
「空、綺麗だね」
「うん。綺麗だ」
コウタくんに涙を気付かれないように指先で拭って呟くと、今度は声が届いて返ってきた。たった一言、何でもないことを声に出して同じ感情を共有できたことが、並々ならぬ幸せを抱く。中学生の時の部活帰り、薄暮を見て違和感を抱いていた答えはこの幸せだったのかもしれないと納得した。どおりで一人では見つけられないわけだ。
今ならちゃんと言える。あの日の私にも教えてあげたい。
私はここに居たよ。私はここに居るよ。
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