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Chapter3「仇花が生きた世界」
#6
しおりを挟む人が何かを願うとき、たいてい状況は芳しくない。コウタくんと同じステージ披露グループに所属できたまでは良かったけれど、全員で演劇をしたいと主張するリーダー格の男子と私は揉めていた。
一体感が生まれるだなんて、一部の人間しか恩恵を受けない形だけの言葉を合わせて、それどころか私を主演に抜擢しようとしている。その目には正義の色があるから余計にタチが悪い。あくまでも私のためを思って、そうすることで私が輝けるのだと信じているように。
それなら私のことを理解してほしかった。私はやりたくないと言っているのに、かといって皆を巻き込んで弾き語りを披露したいと言っているわけでもない。もう演じたくなかった。自分でも自分が分からないのに、どんな顔をして架空の役を演じればいいのだ。私は私のままで居たいだけなのに、どうしてみんな私以外の私を求めるのだろう。
思えば、そんな風に感情を出すこともなかった。出し方を知らなかったとも言える。目の前にいる男子がコウタくんの配役を言えなかったことで、今まで溜め込んできた感情が一瞬にして爆発した。何が一体感だ。模られた青春のたった一ページのために、私たちの命を潰して色を塗るなんて残酷すぎる。
気付けば涙を流して大声をぶつけていた私は、背を向けて走り出した。
ああ、虚偽で関係性を築いていた他のクラスメイトにはまだしも、コウタくんにもこんな姿を見せてしまったと私はすぐに後悔した。これまで生きてきて最後まで演じきれなかったのは初めてだった。
廊下を走り抜け、階段を駆け上り、私は当てもなく逃げ出した。ふと自分の足音とは違う振動が伝わった気がして振り返ると、コウタくんが追って来ていることに気付いた。その優しさはダメだよ、なんて言えず辿り着いた空き教室の扉を閉める。数秒後、再び開いた扉を確認した私は涙を隠すことができず、だけどそれを嬉しくも思った。
もうこうなってしまったなら仕方がない。描いていた未来図とはまるっきり違うけれど、コウタくんの前では演じることはやめよう。弱い自分を曝け出してしまおう。本当の私を見てもらおう。それで距離を置かれてしまったら、最初からそうなる運命だったのだ。傷付くかもしれないけれど、偽物の自分がどれだけ好かれても意味がないことはもう充分知っている。
意を決した私はギュッと目を閉じながらコウタくんの胸に向かって倒れるように身体を預ける。コウタくんは躊躇いながらもしっかりと支えてくれた。抱きしめてくれるとまではいかなかったけれど、冷え切った心を溶かすには充分すぎる優しい温もりを感じた。
中学生の時に出会った頃から自分の弱さを見せられていたら、私たちは今頃もっと上手く生きられていただろうか。だけど今気付けたのだからそれで良い。私はもう手遅れかもしれないけど、コウタくんはまだ間に合う。
「私のように自分に自分を奪われないで」
つい呟いてしまったその言葉を、コウタくんはどう受け取っただろう。返答はなかった。その代わりコウタくんの心臓の音が聞こえる。不規則なリズムが、だけど確かな人間味溢れる心音が心地よい。私はひと時の幸せを噛み締めながら目を閉じた。
この一件によって、私たちは完全にグループから独立した。クラスメイトから驚くほど話しかけられることもなくなり、廊下ですれ違ったときは悪意のある言葉をぶつける者や嘲笑の目を向ける者もいた。
どこかで同じ経験があるような……すぐに部活を辞めたあの時と同じだと記憶が重なる。結局みんな、自分の思い通りにいかなかったら敵意を向けてくる。こうなるのが嫌で私は小さな頃から演じ続けてきた。でも最初から理想を押し付けられて、都合のいい存在として見られていたのだと思うと悲しくなった。私のこれまでの人生は何だったのだろう。
それでもコウタくんは私の練習に毎日付き合ってくれた。オリジナルの楽曲を披露すると決めてから、コウタくんには歌詞の制作をお願いしていた。
毎日放課後の空き教室でコウタくんは悩みながら筆を取り、私はその姿を見ながらギターで音を奏でる。そんな時間が微笑ましくもあり心配でもあった。私は転校することでこの学校から離れることができるから強気になれている。しかし残されたコウタくんは……? 今この瞬間も私のせいで巻き込んでしまい嫌な思いをさせてしまっている。
今からでもクラスメイトに謝って和解すれば、コウタくんだけは守ることができる。でもその瞬間、この夢は醒めてしまうだろう。しかしこうして自分のためにコウタくんを縛っていることは、私がクラスメイトから演じることを求められていたように、私もまた同じ過ちを犯してしまっているのではないか?
「無理してない?」
「ううん、まったく」
だから私の問いかけにコウタくんが肉声で答えてくれた時、驚きのあまり肩にかけていなかったギターを落としそうになった。ポケットに入れただけで複雑に絡まっているイヤホンコードのような思考を慌てて解き、私は冷静を装いながら言葉を返す。
コウタくん自身も自分に起きた出来事をいまいち把握できていなかったみたいで、私たちはおどおどしながら会話する。いくつかラリーを重ねたあと一緒に笑った。ただそれだけのことなのに、雨上がりに浮かぶ虹を見つけたような幸福感が心をふわりと包んだ。
嬉しくなった私はメロディー作りを一旦中断して、好きなアーティストの楽曲を弾き語った。コウタくんもいちど筆を置き、穏和な眼差しで耳を傾けてくれた。なんだかコウタくんに見つめられると、春風が頬を撫でるようなくすぐったさを感じる。でもその感覚が私は好きだった。
ああ、もう……。こんな幸せを知ってしまったら、元に戻るのが辛くなってしまうな。私は自分の気持ちに甘えてコウタくんを縛り続ける。このまま時間が、世界が止まってくれたら。心の中でそんな月並みな願いを祈っているあいだも、転校の日は刻一刻と迫り私を追い詰めていく。
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