命の針が止まるまで

乃木 京介

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Chapter3「仇花が生きた世界」

#5

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 命の灯火が消えかかった時、コウタくんがこの学校にいると知った私は再び目を覚ます。

 中学生の時に確信的な意思表示こそなかったものの交流を止めた私たちは、それから一度も言葉を交わすことはなかった。もういちど席が隣になることもなく、進級して三年生になった時は別のクラスになったので、その先の進路は何も分からなかった。そんな彼は今、どんな人生を歩んでいるのだろう。興味が沸いた。

 二年生に進級し、私たちは中学生の時を繰り返すようにまた同じクラスになる。

 ただあの時のように席が隣になることはなかった。だから私はコウタくんのことをよく観察して、話しかける機会を伺っていた。幸いにも彼は席に付いている時間が多かったので、尾行をする必要もほとんどなく、視界に入らない場所にいることで堂々と眺めることができた。

 そして私は気付く。コウタくんが、友人はおろかクラスメイトと話している所を一度も見かけないことを。授業中に発言が必要な場面でもノートに筆を取り、それを無言で教師に見せていた。既に認知されていることなのか、どの教師もコウタくんの言動に対して追求することもない。つまり、コウタくんは声が戻っていないのではなく、声を出さないという選択を今日まで一貫して遂行しているのだと短期間で理解した。

 私が演じて生きてきたのと同じように、これがコウタくんの見つけた最も生きやすい生き方なのかもしれないな、と一度は結論付けて区切ろうとした。

 けれど一度だけ、私がぼんやりとしていてコウタくんと目が合ったことがある。時間にすれば三秒もなかった。その瞳が助けを求めていた、と言えばあまりにも幻想じみた都合の良い考えだと言われるだろう。でもこの違和感を見逃していいのだろうかと悩んだ。中学生の時の部活帰り、薄暮を見て答えを出せなかったあの日と似ていた。

 そして私は考える。コウタくんが助けを求めていると仮定して、私はコウタくんの力になりたい。出過ぎた真似かもしれない。あの日のようにコウタくんは望んでいなくて迷惑になったら。でも、それでも……今の私ならもっと上手く演じられるかもしれない。

 転校することになる――両親から告げられたその言葉は、コウタくんに話しかける口実としてこの上ない良い材料だった。上手くいかなかったとしても、私のことを嫌いになられたとしても、最後は姿を消してなかったことにできる。

 ちょうどその時、文化祭という調理器具も転がっていた。厳密に言えば、準備途中で転校を要するものだったけれど、友人と最後に思い出を作りたいと最もな理由を付けて両親に懇願したら、スケジュールを調整してもらい認められた。こんなことですら両親の顔色を伺って躊躇った自分がいて嫌になった。

 ともあれここまで準備を進めたら、あとは決行するだけだ。
 散々繰り返してきた私の演じる集大成を。

「ね、文化祭のグループどこにするか決めた?」

 クラス会議を終えたばかりの喧騒に混じって私は話しかける。コウタくんは驚いたように私を見つめたあと、小さく首を横に振った。

「そっか。私はね、ステージ披露で弾き語りしようと思ってるんだ!」

 コウタくんは私のことを憶えていないみたいだった。しかしそれもそうだ。あの頃の私は声が出ない内気な女の子を演じていたけれど、今は天真爛漫な女の子になりきっている。演じる私にとっても別人なのだ。本来それを見抜かれてはならない。

 一方的に話し続ける私に対して、コウタくんは頷くか首を横に振るか困ったように表情を曇らせるだけだった。警戒されて交流を拒絶されてしまったら、もうやり直しはできない。だから私が筆談に切り替えたら、あるいはレイであると名乗れば、もっと要領良く話を進められただろう。

 だけどここで妥協してしまったら、あの日別れた意味がない。コウタくんを救うためには私の声が必要で、私が救われるためにもコウタくんの声が必要だった。実際に私たちの現状は悪化している。今度こそ手を取り合わないと手遅れになってしまう。

 だから大丈夫、これでいい。ゆっくり少しずつ積み重ねていけば、いつか必ず私の気持ちは伝わる。文化祭当日まではあと数週間もある。焦る必要はない。

 そんな長期的な計画を立てていたので、翌日のクラス会議でコウタくんが私と同じグループに入るため手を挙げてくれた時はとても驚いた。もしかしたらコウタくんは、私なんかよりとても強い人なのかもしれない。

 文化祭の実行委員に名前を訊ねられるも、コウタくんは答えることができなかった。そうなることをコウタくんが誰よりも分かっていたはずなのに、とても勇気がいる行動だっただろう。だから私が代わりに答えた。私のことを信じてくれたコウタくんの声になった。その時、何かを見つけられそうな気がして胸が高鳴った。初めてギターを弾いた時の感覚にそれは似ていた。

 放課後の時間を使って二人きりで話すようになり(私は声を、コウタくんは頷きや表情を使い会話をした)、やがて私が弾き語りを披露したいと言うとコウタくんは賛成してくれた。

 もちろんそれは表面上から伺える推測でしかない。過去の私がそうすることで穏便に物事を進められるからと考えていたように、私の我儘に付き合ってあげているだけ、断りきれず仕方がなくといった可能性もある。

 しかしどれだけ考えても現実は変わらない。弾き語りを練習するところまでルートを進められたら、私は本当の自分を曝け出すことができる。どうかその時までもう少しだけこの夢が続くことを祈っていた。
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