命の針が止まるまで

乃木 京介

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Chapter3「仇花が生きた世界」

#4

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 高校生になった私はフォークソング部に入った。各々が自分の好きな楽器を持ち、個人で活動するも良し、バンドを組むのも良し、活動日は出席必須日を除き自由で構わないという話を見学の時に聞き、ラフに活動できる雰囲気がとても自分好みだった。

 先輩や顧問の先生もとても優しく、また私も自分の好きなギターを学校に堂々と持ち込むことができたので、中学生の時よりも生きやすい環境になった。

 それでも定期的に地元のショッピングモールや地域のお祭りのイベントに招待されるときは少し緊張した。中学生の時も吹部のコンクール披露で観客に見られることはあったけれど、あの時とはまた視線の集まり方や熱量が違って妙な緊張感があった。

 ただ一年生の私はほとんど雑用で、最後の方に即興的演奏に混じるくらいだったので、大きく目立つことはなかった。その目の前で堂々と演奏していた先輩が格好良いなあと考えられるくらいに余裕はあり、私もいつか上級生になる頃には自信を持って弾けるようになるのだろうかと展望していた。

 高校生になって初めての夏休み、地元の野外イベントで私たちフォークソング部が招待された。他校の音楽部も集まったり、社会人が趣味でやっているグループもいたりと、さながら音楽フェスのような雰囲気に私は高揚していた。今回は出演時間の関係上、先輩の出番だけだったので気軽な気持ちで楽しめるはずだった。

「ねえ、どうしよう! 体調悪くてできそうにないって!」

 出番を十五分後に控えていた時、先輩たちが焦ったように声を上げ始めた。どうやら先輩の一人が体調不良を訴えたようだった。たしかにその日は雲ひとつない晴天で、水分補給を小まめに取っていても、時折クラっとして意識が途切れてしまいそうな暑さだった。

「ユウ、同じギター弾けたよね? 代わりに出て!」

 だから先輩の一人から投げかけられたその言葉を理解するのに、幾ばくかタイムラグを生み出してしまった。その数秒が断るには不自然な間になってしまい「わ、私がですか……?」と後押しが欲しいような返答になってしまう。

「ユウなら大丈夫だよ! うちずっと思ってたんだ。上手だなって!」

 ほんの少しの微風で空に飛んでいく風船のような、形だけの持ち上げだった。けれど確かに、私はその先輩と仲も良く義理があった。もとより、先輩に頼まれて断れるほどの度胸を持ち合わせていない。

「わかりました……。でも、上手くは弾けないかもしれません」

「ありがとう! じゃあお願いね!」

 先輩の顔が安堵したように綻ぶ。もうやるしかない。

 結論を述べると、私が代役を引き受けた数分後には出演時間となりステージに上がっていたので、緊張やプレッシャーを感じる間もなく演奏は終わった。先輩のギターはとても良い音が鳴るなあと感じる落ち着きさえ持っていて、自己採点ではミスもなく弾くことができたと思う。

 やっぱり音楽の力は私を強くしてくれる。さんざめく観衆の表情はよく見えなかったけれど、溢れんばかりの拍手が贈られた。ステージを降りると先輩たちが一同に集まって褒めてくれた。その時、自分はとんでもない大役を果たしたのだと急に実感し、私はその場に崩れて安堵した。とても先ほどまでステージ上に自分が立っていたとは思えなかった。

 体調不良となってしまった先輩もその日のうちに回復し、たくさん感謝の言葉を告げてくれた。これにて一件落着となれば、私はこの日をとても良い思い出として記憶に保管できたと思う。

「きみ、SNSで話題になってる子だよね!」
「握手してもらって良いですか!」
「一緒に写真撮ってください!」

 しかしあの日以降、街中でそう話しかけられることが増えた。田舎とも都会とも言えないそれなりの人口がいる地方都市だからなのか、適度に認知されて自分の存在が目立つらしい。

 私は小走りで物陰に潜み、スマホを取り出してSNSを確認する。未だ熱の冷めない空気感にため息を吐いた。

『〇〇高校、代役の一年生美少女が堂々たる演奏を披露する!』

 そんなタイトルと共に映像がSNSに拡散されてから、私は瞬く間に時の人となってしまっていた。イベントでは撮影が許可されていたので、今のSNS時代で出回るのは何ら不思議なことではないとも言える。

 しかし“代役の一年生”という、関係者以外は知られざる言葉がタイトルに紛れている。

――ごめん、ユウの演奏があまりにも上手だったから色んな人に知ってもらいたくて。

 張本人である先輩はあくまでも善意でSNSに投稿したものであり、ここまで拡散されるとは思わなかったと笑って頭をかいていた。自ら名乗り出てくるくらいなのだから本当に悪意はなかったのだろう。しかし「でも悪い気はしないでしょ?」と自分を正当化しながら、先輩という権限を使って私に文句を言わせない立ち回りで。

 たしかに、直接話しかけてくる人はほとんどが好意的な言葉をかけてくるに過ぎなかったけれど、私は恐怖心を抱いていた。自ら発信して売り込んでいるならこの状況を喜ぶべきだ。しかし今回は先輩の行為によって私の意思とは関係なく拡散されたものだ。

 声をかけてきた人は私のことを知っている。今や学校名に名前、顔まで明かされてしまった。私の素性を探って不確かな情報をまとめたサイトや、演奏に関係のない私の容姿を評価して論争しているコメントまである。悪意を持った人が学校から出てくる私を追尾すれば、自宅を特定することなんて容易なことだろう。そこまで危惧する可能性があるのに、私は画面の奥にいる相手のことを何一つ知らない。

 クラスメイトもどこか態度が余所余所しくなった。笑っているけど本音を探るような、褒めているけど上辺だけのような、どこか言葉にするのが難しい気持ち悪さがあった。

 現にこの頃から、スマホに不審なメッセージが送られてくるようになった。相手は明らかに私であると認識をしている。どこから情報がもれているのだろう……? 私と関わりがある人をみな疑ってしまうようになった。

 次第に外を歩く時の私は背中を軽く曲げて顔を俯くようになった。今すれ違った人も、電車の中でスマホを見ている人も、みんな偶然を装って私を見ているのではないか? そんな不安に襲われてマスクや髪で顔を覆う。だけど学校の中では誤魔化しきれない。

「ユウちゃん有名になっててすごいな!」
「ユウちゃんはニコニコしていたほうが可愛いよ!」
「ユウちゃんの将来はシンガーソングライターだね!」

 これまでは私自身が相手に合わせることで、何とか自我を保つことができていた。しかし今度は、相手が目の前に現れ「あなたにぴったりだと思うんだけど!」と理想像を無理やり身に付けさせてくるようになった。サイズが違くても、私好みの色ではなくてもお構いなしだ。

 相手に合わせた自分を演じることと、相手が求める明瞭な理想を演じなければいけないことは大きく異なる。前者が自分を演じるのに対して、後者は他人を演じると言っていい。もちろん後者の方が負担は大きく、今までその対象に当てはまっていたのは両親だった。それでも今まで私が乗り越えられてきたのは家族という関係性だからであって、赤の他人の理想を演じられるほど私に余裕なんてなかった。

 徐々にみんなが求める私と、私の中にいる私が齟齬をきたしていく。両親の理想を演じるのにも精一杯なのに、まだ私は自分の知らない私を演じ続けるのか。それでも私は背負わされた期待に「ありがとう。頑張るね」と笑顔で応える。昔からずっと変わらない。変われない。変えられない。

 本心を吐き出せないこの苦しさは音楽の力を使わないと解放できない。しかし音楽に触れたら周りは視えない私をより崇める。息をすることが首を絞めていく悪循環に陥っていた。

 時には泣きながらギターを弾いてしまうこともあった。その音は助けてと鳴いているのに、みんなはアート作品でも見るかのように称賛して、中にはもらい泣きしている子までいた。そんな穢れのない心のように感涙までされると、あなたの見ている私は存在しない幻だと白状するほうが酷な気がしてしまう。

 だから期待に応えなきゃいけない。みんなの理想の私はもっと高いところにいる。見上げても先なんて見えない、天まで届く壁にしがみ付いて必死に昇ろうと私は頑張った。

 唯一私の異変に気付いてくれたのは、幼き頃から付き合いのある親友のらむだった。小中高と同じ学校で一緒に時を過ごし、フォークソング部にも一緒に入った。最もオリジナルに近い私を見せられる親友だ。そんな大切な人だからこそ心配や迷惑を掛けたくなくて、そして失望されてしまったときのことを考えると怖くて、結局本心は言えずにいた。

 それでもらむは、言葉を多く語らず私に休もうと言ってくれた。もう頑張らなくていいんだよと優しく抱きしめてくれた。その温かさが心に溶けて揺らいでいく。

 でもここで休んでしまったら、私はもう二度と音楽に触れられない気がした。私にとって音楽は、今となっては呼吸をすることと変わりない。つまり心臓のようなものだ。その活動を止めたとき、私は本当の意味で私ではなくなる。機能を失った代わりの呼吸器をすぐに見つけることなんてできない。だから今更手放すことなんてできなかった。

 そうして継ぎ接ぎの命を紡いでいたある日、頑張っていたのに頑張れなくなった。ギターを奏でようと手を動かしても音が出なくなった。私の耳に聞こえていないだけなのか、それとも壊れてしまったのだろうか。それなら両親に頼んで治してもらわないといけない。また向けられる期待値は上がってしまうけれど、それしか私には生きる道が残されていないのだから。

 だけど突然、誰かに背後から突き飛ばされた。地面に倒れた私が見上げると、もう一人の自分が冷たい眼で私を見下ろしていた。「もう貴方はいらないよ」顔も声も同じ偽物の私が笑う。

 自分に自分を奪われた瞬間だった。

 部活を辞めると決めてから、実際に辞められるまで随分と時間がかかった。先輩が私の退部を止めたからだ。

「ユウの好きな時に活動するだけで良いんだよ」
「みんなユウがいなくなったら寂しいよ」
「休部という形にしてゆっくりお休みしていいからさ」

 最初は優しい言葉ばかりだった。けれど渋る私を見て、なぜ先輩が引き止めているのに従わないのだと、徐々に理不尽な苛立ちを向けられるようになった。

「先輩の立場とか考えたことある?」
「次のイベント、うちのユウが出ますってもう言っちゃったんだけど」
「今辞めるって無責任じゃない?」

 意味がわからなかった。勝手に持ち上げられて、マスコット的存在にされて、演じることを求め続けられて、辞めることが無責任……?

「もしかしてソロで活動しようとか思ってる?」
「少し人気になったからってあんまり調子に乗らない方がいいよ」
「辞めたいなら勝手にすれば? 絶対上手くいかないから」

 私はどこで道を間違ってしまったのだろう。ふと振り返った先には道なんてなかった。ただ大きな暗澹が口を開いて迫ってきて、立ち止まる私が落ちていくのを待っていた。

 それからしばらくのあいだは記憶がない。後にらむが話してくれたことによれば、部活を辞めてギターを置いてからの私は、普通の女の子としてクラスメイトと仲良く接していたらしい。もはや無意識に演じきることができていた、あるいは私の姿をしているだけで別人に乗っ取られているような状態だったということだ。

 けれどそこに自我がなくなったのなら、それはそれで幸せな道を歩めたのかもしれない。新しい自分に生まれ変わった、とでも言えば聞こえは良かった。みんなが望む理想の私だけが残り、悩み苦しんでいた宿主の私も眠りに付ける。

 今までだって順調にいっていた。演じることさえできれば、家庭環境や友人関係に明瞭な不満を持ったことは一度もなかった。ただ自分という存在がよく分からなかっただけで、たくさんの人が渇望するような幸せを掴めていた。

 悩みなんて誰しもが持っているものだし、きっとこの先も私は人並みの幸せの元で過ごしていける。それ以上、何かを望むなんて贅沢なことだ。何より私自身が私の変わるきっかけを奪っているのかもしれない。

 だからこれで全てが上手くいく。悩み苦しまなくて済む。
 今までたくさん頑張ったね、私。
 もう誰の理想を演じることなく、ゆっくり休んでいいんだよ。

 ほら、このまま目を閉じて沈んでしまおう――。
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