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Chapter3「仇花が生きた世界」
#3
しおりを挟むしばらく言葉にできない苦しみに襲われていたけれど、部活動の時間が私を救ってくれた。
私が音楽に触れている時は別人だったのだと思う。楽器を通して主旋律の音を鳴らすとき、私は自分の本当の気持ちを音として引き出せる感じがして楽しかった。
人の声だって言葉を紡がなければただの音に過ぎない。鳥のさえずりや虫の鳴き声だって人間の聴覚では音としてしか認識できない。だけどそれを立派な声と呼ぶことができる。そういった意味でありのままの自分を表現できる音楽は、私にとって呼吸をすることと言っても大袈裟な表現ではなかった。
だから部活動を引退して受験モードに切り替わった時の閉塞感はすさまじいものだった。両親からのサポートはこの上ないほど贅沢に注がれ、毎日目の前に積み上げられた善意を私は消費していった。まるで多額の借金をしているようだった。合格することで一括返済できるけれど、もし落ちてしまった場合はただ消費した事実だけが残る。そんな大事なことがたった数日の試験と面接で全て決まってしまう。絶対に失敗は許されなかった。
音楽に触れられなくなった私は、酸素を奪われ続ける苦しい我慢の日々が続いていた。心の内に溜めた自分の気持ちを解放できない状況は、着実にストレスへと変わって集中力を削いでいく。
このままでは乗り切ることができないと考えた私は、勉強の息抜きに弾くためのギターが欲しいと思い切って両親に頼んだ。打ち明けるか何週間も悩んだのに驚くほどあっさりと承諾されると、次の日には楽器店に連れて行ってもらい、私はマイギターを手に入れた。「受験勉強も頑張るんだぞ」と念押しされた新たな負債の代わりに。
小さな頃、父にギターを教えてもらったことがある。最初はギターのフォルムや、父の弾いている姿が格好良いと思っていたけれど、自分が演奏してみるとその奥深さにハマった。父は日曜日しか仕事の休みがなく、平日は残業で遅くまで帰ってこないことも多かったため、教えてもらう時間は限られていた。だから小学生の時までは学校から帰宅すると、こっそり父の部屋に入って練習していたものだ。
中学生になると私は吹奏楽部に入り別の世界を楽しんでいたので、ギターに触れるのは二年半ぶりだった。
胸を躍らせながら手に取り弾いてみると、一瞬にして酸素を取れ入れたように息をするのが楽になった。ぎこちない手の動きではあったけれど、感覚を記憶している指先が確かな音を奏でていく。その懐かしさが嬉しくて、そして儚くもあり、思わず涙がこぼれた。
以降、私は欠かさず毎日ギターを弾いた。受験を終えて無事合格が決まった日にその記録は途切れた。水面が下がり、自分の力で呼吸をすることができるようになったからだ。それでも安泰の時間は長く続かない。高校生になれば、また一から評価を積み重ねていく日々が始まる。すぐに水面が私の顔を覆う。
――人に迷惑をかけることなく、自分の行動に責任を持って生きるのよ。
母の言葉は、私という人間の性格を形成させ、そして確立させた。私は両親に何不自由のない生活を与えられているのだから、決してその期待を裏切ってはならない。両親が描く理想の娘に生きることで親孝行の責任を果たすことができる。
その考えは根本的に間違っていなかった。しかしいつからか私は自分の意思や気持ちなんて表には出してはいけないと誤認した知識を身に付けていく。それが子供としてというより、私という人間が生きる義務であり、且つ両親の期待を裏切らないためでもあるのだと。
私の両親ははっきりと物を言うタイプだったので、私がうじうじとした性格だったら直すように教育していただろう。幼き頃に矯正できていれば、今日まで演じることもなかったはずだ。
でも私はあまりにも他人の理想を上手く演じることができてしまった。家庭にそして学校でも順調に人生を歩んでいけたことで、すべてが成功体験化したのも変わる機会に歯止めをかけた。だから途中で躓くこともなく、なんとなく道の舗装が悪いと気付いていながら、一度きりの初めての人生をこんなものだろうと振り返りもしなかった。
コウタくんとの一件があって、ようやく私は自分の人生を主観的に見つめた。
私の好きなことは何だろう?
私のやりたいことは何だろう?
私のなりたいものは何だろう?
高校受験に向けて志望校を決めるとき、私はとても苦労した。周りの話を聞いたり、学校見学会に行ったりもしたけれど、結局答えが見つからないまま市内でそれなりの進学校を志望した。私情を入れるなら指定制服が自分好みのセーラー服であることくらいで、根幹は単に将来の選択肢が増えるから、両親がそれを認めてくれたからというのが理由だった。
良い高校に行けば良い大学に入れる。良い大学に行けば良い企業に入れる。そうすれば必然と両親が求める理想像に当てはまることができる。ずっとその選択肢と確率を増やしていく作業だった。
勉学で好成績を残していた私が簡単に言うと嫌味に聞こえるかもしれないけれど、決して楽なことではなかった。いつ自分が枠からはみだしてしまうか、いつ両親から失望されてしまうか、そんな恐怖から追いつかれないよう逃げるためには常に全力疾走を続ける必要があった。
毎日襲いかかる不安や煩悶。だけどその気持ちは決して表に出してはいけない。我慢して、呑み込んで、溜め込んでいく。苦しいときは笑って誤魔化し、辛いときも大丈夫と言って、偽りの仮面を付けた顔だけ出している水面の下では必死にもがいて生きていた。
だから私にとって音楽はシュノーケルのようなものだった。生命活動に必要なものでもあり、私はここに居るよと存在を示したり助けを求められる、私を守ってくれる大事なもの。
その自分の好きな音楽でさえ、私の意思ではなく両親の期待を背負っているものだとしたら? と考えたこともある。きっかけの一歩目は両親が喜んでくれるから音楽に興味を持った自分を演じたのではないか、と。
だけど音楽すらも奪われてしまったら、いよいよ私という存在がいなくなってしまう。それだけは絶対に避けなければいけない。音楽だけは確かに自分で選んで決めた。そう自分に言い聞かせて、せめて自分自身は否定しないように私は命を守り続けた。音楽だけが私をこの世界と繋いでくれていた。
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