命の針が止まるまで

乃木 京介

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Chapter2「この命に名前を付けて」

#14

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 数週間ぶりに会ったユウは、やっぱり“レイ”だった。唯一レイと違うのは、高校の時の制服を着ているという点だ。らむが言っていた、ユウは自分を取り戻したいという意思が残っているのかもしれない、という仮説を頭に入れながら様子を伺う。

 ユウの伸びきった前髪は目の下まで覆い被さり、時折指先で斜めに流しているが、すぐに戻って顔が隠れてしまう。それでも僕はユウの目をしっかりと捉えて話しかけた。

「今日は少し散歩でもって思ったんだけどどうかな?」

 僅かではあるが、こくんとユウが頷く。ユウが今どういうふうにこの世界を映しているのか、どんな物事に触れたとき変化があるのか注意深く探る。

「じゃあ、行こうか」

 歩き始める寸前、ユウの手を取るか迷った。けれど、ユウが僕に初めて話しかけてくれた時、ただ側にいてくれるだけでいいと言ってくれたことを思い出す。警戒心を解くためなのか、それとも最初は本当に弾き語りを聞いてほしかっただけなのかは分からないが、僕もその距離感ならと受け入れて徐々にユウに対して心を開くようになった。

 そういう意味で僕たちは、一度は文化祭期間を共に過ごした関係ではあるが、今はレイとなっているユウに改めて一から関係性を築くのが最適かもしれない。そう決断を下した僕は、適切な距離感を模索しながらユウと散歩を始めた。

 しかし歩き始めて十分もしないうちに、このプランは間違いだったかもしれないと感じた。道中、たくさんの人が僕たちに視線を注いでいることはすぐに分かった。

 空にはくっきりと太陽こそ顔を覗かせているが気温は上がらず、街灯温度計にはマイナス5℃と表示されている。それにも関わらず僕たちは上着を羽織ることなく、加えてマフラーや手袋など防寒具さえ身に付けていない。

 とは言え、学生の防寒対策はそこまで完璧なものではない。パーカーやボアジャケットを制服の上に一枚重ねてるだけで、高校生くらいまでは平気な顔をして歩いている。ゆえに僕たちの制服だけという外見はおかしいことにはおかしいが、本来そこまで過剰に視線を向けられるものでもない。ただそれは普通に歩いていればの話だが。

「カイロを持ってくるべきだったな……」

「…………」

 北風が吹くたび寒さに体を震わせ、顔の筋肉まで揺れて歯をカチカチと鳴らし、ただ無言で歩き続ける僕たちの姿はとても怪異に見えているのだと思う。僕は好奇な視線を向けられることにある程度の耐性はあるが、ユウは不快に感じているかもしれない。

 僕の計画は何も難しいことなんてなかった。ユウが僕を誘って放課後の街に連れて行ってくれたあの時のように、記憶の道をそっくりそのまま辿るシンプルなものだった。だが、少し安直すぎる考えだったようだ。

「あの店に寄ろう」と僕は元々立ち寄る予定だったコーヒーチェーン店を指差し、作戦の練り直しを目論んだ。

 店内は暖房が良く効いていて恵みの空間だった。失いつつあった指先の感覚が戻り、体の震えも少しずつ収まっていく。ユウの雪のように白い肌も、体温が戻ってきたのか頬がほんのりと桜色に染まった。

「買ってくるよ。ここで待ってて」

 ユウを二人用のテーブル席に残し、僕は列の最後尾に並ぶ。

 実はカラパラのライブを観に行く日、僕は必ずと言っていいほどこの店に立ち寄ってからライブハウスに向かうのがルーティンになっていた。毎回頼んでいた抹茶クリームフラペチーノは特別好きなわけではなかった。けれど、思い出の味に触れる度にユウの顔が頭の中に浮かんで、約束の日までの時間を確かに刻み続けていた。

 列は緩やかに流れていきさほど待たず先頭に辿り着くと、顔馴染みの店員さんが僕の顔を見て微笑んだ。

「いらっしゃいませ、いつものでよろしかったですか?」

「はい、ただ今日は二つお願いします」

 僕は注文しながら振り返り、テーブル席で待つユウを視認した。ユウは周りを伺うわけでも、スマホを確認するわけでもなく、ただそこに座っている。高校生の時、ユウと出会う前の教室にいる僕のようだった。あの頃の僕は毎日何を生きがいに目を覚ましていたのだろう。たった数年前のことなのに記憶が曖昧にぼやけている。そして今、ユウの命を照らしている光は何処に。

 前を向き直すと、店員さんはなるほどというような表情を浮かべた。商品を受け取る時も「頑張ってくださいね」と言葉を添えられた。僕は「ありがとうございます」なんて言いながら幾ばくかその意味を考えながら歩き、ユウの元に辿り着いた時に合点がいった。

 僕が普段とは違う学校の制服姿でも店員さんが驚かなかったのは、単純に高校生だったんだと納得してもらい、そして今日は好きな子とデートなのだと思われたらしい。あながち間違いではない。僕もユウもあの日から時が止まって前に進めていないようなものだった。だからもう一度、僕たちはあの日の続きからやり直す。今度こそ上手く生きて、本当の自分を見つけるために。

「お待たせ。これで良かったかな」

 ユウの口が『ありがとう』と動く。

「懐かしいな、またこれを二人で飲める日が来るなんて」

 ユウがストローに口をつけた。ほんのわずかに液体が吸い込まれていく。表情は変わらない。

――これを美味しいと感じているのは本当の私なのか、それとも周りのイメージから作り上げられたもう一人の私が美味しいと言わされているのか。

 いつの日かユウはそんなことを言っていた。

「実はユウがここに連れて来てくれたあの日から、たまに来るようになったんだ」

 僕もストローを吸って緊張で乾いた喉を潤した。しかし変だ、味がしない。慣れ親しんだ味覚が舌先にあるはずなのに、撥水コーティングされたガラスのように流れていく。

「ユウは特別な日に飲むって言ってたけど、僕も決まった条件って言うのかな、それに当てはまった時に飲むようにしていてさ」

 自分の声が知らない他人のように聞こえる。音声に残した自分の声を聞いた時、あれこんな声だったっけ? と違和感を抱くときに似ていた。

「もちろん、今日も特別な日だから絶対来たいと思ってて」

 会話というのは基本的に言葉を交わすことによって成立する。ただ、必ずしも言葉を使う必要はない。筆談や手話のような方法もあるし、人と動物がコミュニケーションを取ることも会話に振り分けられるだろう。

「その、何て言えばいいのかな……」

 僕が声を出せなかった時、ユウは毎日僕に話し続けてくれた。僕のことに関することもユウ自身のことも、まるで僕の声が聞こえているかのように自然で、それを会話と呼ぶことに疑問なんてなかった。なぜなら僕も声を発していないのに喋っている感覚があったからだ。だからある日突然、声を普通に出せるようになったのだろうし、それが当たり前の日常に変わっていった。

「ユウと今こうして一緒に過ごせて嬉しいよ」

 前髪の隙間からわずかに見えるユウの真っ黒な瞳は、まだ僕の姿をかろうじて映していると思う。けれど、ふとした瞬間に色を失って消えてしまいそうな儚さを、僕はこぼれないように支え付ける。今この状況はまだとても会話と呼べるものではない。それでも自分の気持ちをユウに伝え続ければいつかきっと、ユウの心と会話ができるようになると僕は信じていた。



 それから二回目、三回目……と回数を確実に積み重ねてきた。比較的気温が高い日に携帯用カイロを常備して、沈黙の時間を作らないよう話す内容を決めて、と用意周到に周りを固めていく。毎日ほとんどの時間をユウのことについて考えるようになった。

 しかし思うような結果を残すことが出来ず、僕は段々と焦りを感じ始めた。勉強をしているのにテストの結果が悪かった時のような、あの心が疼く嫌な感覚を思い出す。

 ユウは会うことを拒みすらしないものの、終始表情ひとつ変えることさえなかった。思えば、しばらく口が動くところも見ていない。僕の問いには、首を横に振るか頷くだけだった。プランを変えて映画館やショッピングモールに行ったり、僕のおんぼろな車でドライブもしたが、やはり結果は変わらなかった。

 間違いなくユウは僕と同じものを見て、聴いて、空気を肌に触れて一緒に時を過ごしている。だけど声を失っているというよりは、そもそも自分の感情や気持ちを表に出す機能が失われてしまっているように感じた。

 修復するには、まずはその原因となった過去に触れて対策を練る必要がある。事情を知っている人間を尋ねようにも、親友であるらむにも話さないのだとしたら、後はもうユウのご両親に訊くくらいしかないが、それはあまり現実的ではない。

 だから僕とユウが文化祭期間に“共同作業”をした時のような、何か大きなイベントが必要になる。そういった意味で、ユウは僕よりも重症だ。僕は声が出ないなりに自分はこういう意志を持っていると何とか伝えようすることはできたが、今のユウにはそれも難しい。どうすればいい……?
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