命の針が止まるまで

乃木 京介

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Chapter2「この命に名前を付けて」

#13

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 大晦日に姉と歌番組を見ながら「この曲、上半期どこにいても毎日流れてたよね」だとか「あのアーティスト出られなかったんだ」なんてたわいもない話を重ねて、年越しそばを無心で食べていたら年が明けた。それから数時間の仮眠を挟んだあと、僕は一人で元日の外に繰り出した。

 『当たり前の日常が何よりも幸せだった』という言葉を、思いがけない不幸があったときに呟く人がいる。けれど、当たり前の定義は人によって違う。誰かが言う当たり前は、他の誰かにとって手の届かない“特別”の場合もある。当たり前の原点は特別であり、それが日常として積み重ねることによって姿を変えていくものだからだ。

 成長するにつれて、たくさんの初めてがなくなっていき、特別に感じていたものも日常に溶けてゆく。一年に一度しか訪れない元日も、家で寝て過ごせばいつもと何も変わらないただの一日だ。そうやって知らず知らずのうちに、自分の当たり前が習慣的に作られていく。

 だから何かを変えたかったという訳ではないが、僕はこの一年のあいだに、色んな選択肢を選んでたくさんの“初めて”と会いたいと衝動的に思った。境遇が悪かったと嘆いていても何も変わらない。たとえスタート位置が他者とは違い追って行く立場から始まったとしても、そこから歩かなければ景色が変わらないのは当然のことである。いっそ背を向けてまだ誰も見たことのない景色を見てやるんだと強い気持ちを持ちたかった。

 自分の人生を動かす機転はいつやって来るかわからない。それを目の前にしたとき、迎え入れられる力を蓄えておくことが大事なのだと、ユウとの再会で無力だった自分が犠牲を持って証明した。

 小柴農園の近くに景色を見下ろせる絶景スポットがあり、僕は車を走らせてそこで初日の出を眺めた。元日だから輝いて見えるだとか、いつもより大きく見えるだとか、そんな違いはもちろんなかった。だけど環境を変えれば、そう映すことはできるのだと思う。

 たとえば、来年はこの光景を誰かと一緒に見て感情を共有できたらと想像する。そのためにはどうすればいいのか考える。できる、できないは関係なく、まずは自分がどんな未来を象りたいか頭の中に描く。今は誰もいない隣に、ユウの姿がぼんやりと浮かび上がる。たしかにそれだけで、特別な空間に居る気がして胸が高鳴った。

 帰宅すると姉がお雑煮を作ってくれていたのでありがたく頂いた。いつもありがとうと感謝を伝えると、「何よ、あらたまって」と照れた姉を見て僕も微笑んだ。

 その後は一緒に初詣へ行き、参拝を済ませて新年の平和を心から願った。ユウの声が戻ることは祈らなかった。ただ、ユウの声が戻らなくても幸せになれる未来を願った。

 おみくじを無心で引くと大吉だった。その効果がさっそく証明されたのか、三が日が明けて初の出勤日、僕は小柴農園の社員として雇ってもらえることになった。伝えられた時は何が何だか分からなくて、だけど英莉さんが「おめでとう!」と僕の手を取りぶんぶん上下に揺らしていたことはよく憶えている。

 自分の選択によって思考や行動は変わり、たとえ同じ結果だとしても物事をどう映すかで未来は変えられるのかもしれないとたった数日で実感した。

 そうして僕の人生が新しい形として少しずつ確立し始めた一月四週目の某日。

 ユウとの待ち合わせを一時間後に控えていた僕は、数年ぶりに制服を身に纏っていた。当時から少し体重は増えていたが、着用には問題なかった。鏡で自分の姿を確認する。もともと童顔というのもあるし、さして違和感はない。

 準備を終えた僕は、らむとのメッセージを確認する。事前の話によれば、ユウはとても健康的な生活を送っていて、今日の約束もすんなり承諾してくれたらしい。

 家を出る直前、ユウからの手紙をもう一度読み返した。同じ言葉や文章でも、読む日によって微妙に感じ方が変わってくる。筆圧の強弱や文字の大小にもそうなった意味を感じる。その日の精神状態における感性の変化なのか、あるいは以前読んだ時にはなかった価値観が加わったからなのか。いずれにしてもユウがこの手紙を書いた時、どんな場所で、どんな表情で、どんな気持ちで書いたのか僕は何度も考えた。

 ユウがこうなる前に僕が救えたとすれば、間違いなく文化祭期間だった。失うことを恐れた僕は、ユウから直接的に求められた歌詞を書くこと以外、何も与えようとしなかった。それどころか他のクラスメイトのようにユウから幸せを求めようとしてしまった。そこには大前提として、ユウはいちど自分の弱さを乗り越えた強い人間だという認識もあったからだ。

 現に文化祭当日、ステージ上で堂々と弾き語りを披露するユウの姿には、もう迷いなんてないように見えた。中学生の時、僕と筆談をしていたレイと同一人物だなんて最初は思いもしなかった。でもそれは、ユウが音楽に触れている時だけ強くなれる魔法のようなもので、本当は最後まで何かを僕に訴えていたのだとすれば。今となっては確かめようもないし、過去はどうやっても変えられない。

 僕の声も誰かが言う“当たり前”のようには戻らない。それでも僕はユウと出逢ってたくさんの優しさに触れた。ユウは僕が上手く話せないことをおかしいと笑わなかった。他の誰でもない僕を見て同じように話してくれた。迷妄に落ちていた僕を何度も救ってくれた。三年後のクリスマスイブに再会しようと約束を結んでくれた。

 だから僕は今、こうして生きることができている。この現実世界に生きている。それなら今度は僕がユウの力になって救いたい。ユウがどんな辛い過去を抱えていても全てを受け止めて優しく包み込んであげたい。見失ってしまった未来を一日でも長く紡いであげたい。

 もしユウも僕を信じてくれたなら、また一緒に時を過ごしたい。そしていつの日か、初日の出を一緒に観に行こうと誘うのだ。

 強く意気込んだ僕は、玄関の扉を開く。冷気が肌に触れて一瞬身体が震えた。それでも心の中はめらめらと燃え上がっていた。
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