命の針が止まるまで

乃木 京介

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Chapter2「この命に名前を付けて」

#8

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 英莉さんは先月、兼ねてからの恋人だった相手と結婚をした。ご両親に報告するまで不安を抱える英莉さんの相談を何度か受けたが、いざ打ち明けてみたらとても祝福してもらえたという。

 すぐに結婚式も挙げることになり、その場に僕も招待してもらった。純白のウエディングドレスを纏う英莉さんは、今この瞬間世界でいちばん幸せなのではないかと思うくらい輝いていた。月並みな表現ではあるが、実際にそういう場面の主役として輝ける瞬間は人生でそう多くない。僕で言えば、ユウと過ごした文化祭の日々がいちばん近いが、あの時の主役は間違いなくユウだった。

 僕の姿を見つけた英莉さんは、右腕を真っ直ぐと伸ばしピースサインをして、いつものように戯けて笑ってみせた。その仕草や表情一つひとつが僕の知らない遠い場所に行ってしまうようで、少しだけ淋しさを感じた。

 結婚式のメイン“花嫁の手紙”シーンでは、涙をこぼしながら想いを伝える英莉さんに会場全体が感動に包まれた。余韻に浸っている間もなく、更にそこからピアノの生演奏まで行われた時は鳥肌が立った。英莉さん考案のサプライズだったらしい。英莉さんのご両親が涙するなか、思わぬ形で聞くことになった英莉さんのピアノを僕は恍惚と聞いていた。

 結果的に英莉さんは、幼き頃から続けてきて一度は見失っていた夢を、人生の最高の瞬間で披露することができたのだ。僕はそれをとても幸せなことだとも思うし、溺れてしまうような苦しさも感じた。どちらも自分の人生と照らし合わせたことによる希望と絶望の狭間に揺れる感情だった。

 英莉さんは今後家庭を守りつつ、実家の農園も手伝うと言っていたが、今日から一緒に働くことになるらしい。とても明るい職場になりそうだ。英莉さんには気恥ずかしくて直接言えないけど嬉しかった。

「そういえばカラパラのライブ、たまに観に行ってくれてるんだってね」

「梓さんから聞いたんですか?」

「そう! この前、梓ちゃんと久しぶりに会ってお話したけど、コウタくんにとても感謝してるって言ってたよ」

「いえ、僕なんかはただ見守ることしかできてないです」

 英莉さんが結婚について話を進めていた頃、僕はカラパラのライブを仕事の休みが合うたび観に行っていた。英莉さんに聞かせてもらったあの楽曲がすっかりお気に入りになっていたというのもあるし、少しでも彼女たちの力になれたらという思いもあった。それでも一番は、あれほどの逆境に立たされているにも関わらず、なぜ彼女たちは笑顔でステージに立ち続けられる強さがあるのか答えを知りたかったのだと思う。

 ライブ後に行われる特典会と呼ばれる時間で、英莉さんの推しでもある、高岡梓さんと僕は会話を重ねた。彼女はいつも笑顔で僕を迎え入れてくれて、それでいて何者でもない僕を受け入れてくれた。それが彼女の“仕事”なのだとしても、僕のつまらない人生の中で最も有意義な時間だった。

 ある日、話の流れでアイドルになったきっかけを訊ねた時、彼女はやはり朗笑して答えた。

『アイドルになる前の私は自分のことがとても嫌いでした。夢も希望も何もなくて、毎日消えてしまいたいと眠る前に思いながら、だけどそんな勇気もなくて泣いてばかりいる弱い人間だったんです。そんな私の唯一の拠り所がアイドルでした。ステージで燦然と生きるアイドルを見ていると、不思議と心が温まって強くなれる気がしました。そしていつからか、そんな風に私もなりたいと夢見るようになったんです』

 梓さんの瞳に光が宿る。とても美しかった。

『正直、私は今も自分のことが好きではありません。家に一人でいると夜に押し潰れそうになるし、自分の存在意義を疑って病んでしまうこともあります。だけどアイドルの高岡梓として存在できているときだけ、私は今生きているんだって実感できるんです。ステージで歌い踊っている時。客席のお客さんの笑顔が観られる時。今こうしてコウタさんのようにファンの方とお話をしている時。その全てに幸せを感じるんです。この幸せは何物にも代えられないと私は思います』

 その話を聞いていると、以前英莉さんから言われたことを思い出した。

『世界は変えられなくても、大切な人に届けばいいんだって――それが何よりも幸せなことなんだって気付かせてくれた人がいた』

 みんなそれぞれ幸せの形を持っている。

『だからコウタさんも、自分だけの夢と幸せを見つけて大切に守ってくださいね』

 僕が持っているものは。
 回想から意識を帰還させると、目頭が変に熱を持っていたので話の進路を変える。

「それより、またカラパラが普通に活動できるようになって良かったですよね」

「ね。新しく入ったマネージャーさんが剛腕なんだってね。なんかあの人、コウタくんに雰囲気が似てない?」

「そうですか……? でも僕とは違ってすごい方ですよ。動画の企画や編集も一人でやっていると聞きましたし、運転手や撮影スタッフの仕事もやってるんですよ。僕にはとてもできないです」

 僕がカラパラのライブに通い始めた時に合わせて、新しいマネージャーさんが入った。相馬そうまさんという人だ。なんでもそれまで勤めていたマネージャーさんが突然失踪して急遽務めることになったらしい。
 
 とは言え元々事務所の人間ではなかったらしく、自分でもどうしてアイドルのマネージャーになったか分からないと話す不思議な人だった。要するに巡り巡った先に待っていた運命というやつだろうか。

 何度も通っていると顔見知りになり、相馬さんの方から話しかけられることが増えた。ライブの感想、改善点、要望点などグループの向上に関することを相馬さんは常に求め続けていた。

 なかなか新規の人が来なくて悩んでいると話す相馬さんに、動画投稿サイトのチャンネルを設立してみてはどうか? と僕が助言すると、実際にその数日後にはカラパラの動画チャンネルが出来上がり、初投稿まで行われた。グループ代表曲のDance Practiceであるその動画は初日で五桁再生数を記録し、以降も順調に再生回数を伸ばしている。

 それから少しずつではあるが、ライブに訪れるお客さんの数も増えていった。相馬さんには何度も感謝の言葉をもらったが、僕は何もしていないですよと頭をかいた。

 だが実際に、姉もユウも英莉さんも梓さんも相馬さんも、僕の目の前に現れる人はみんな僕にないものを持っている。何かに悩みながらも自分の居場所を見つけて、生きる意味や幸せの形を見出している。僕が何か力になったとすれば、本人が元から持っている魅力や才能を「ここにあるよ」と助言しただけだ。

 僕も実家を飛び出す前と比べれば変わることができた。自分に翼があることを知って、知らなかった外の世界があることを知って、そして実際に今羽ばたいている。

 しかしまだ、一生涯になるような大切な居場所を見つけられていない。死を目の前にした時、真っ先に頭の中に浮かぶような幸せを掴めていない。

 僕が生きている意味は何だ?
 僕が生まれた理由は何だ?

 考えて考えて考え抜いて、結局答えを見つけられぬまま季節は巡り、僕はユウとの約束の日を迎えた。そこに待ち受けていたのが声の出ないユウだったのだ。
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