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Chapter2「この命に名前を付けて」
#4
しおりを挟む『もういい大人なんだから、真面目に生きるコウタくんを見習ってほしいものだよ』
先ほどの奥さんの言葉がぐるぐると頭の中を駆け巡る。
たしかに、いま僕は小柴農園で真面目に働いている。だけどそこに、小柴農園の作物が有名になるようにだとか、消費者の方が美味しくいただけるようになんて強い気持ちは申し訳ないがなかった。雇ってもらっているから、お金をもらっているから、その対価として労働をしている。ただそれだけのことだ。
はたしてそれを真面目と呼べるだろうか。アルバイトを始めるまで僕は何度も面接に落ちた。もし僕が真面目であったとしても、それだけでは通用しなかった。僕の代わりはいくらでもいる。僕が僕である必要がないというように現実は厳しかった。
とは言え、人には得意不向きがあって僕には農業という仕事が向いていたと考えることもできる。このまま働き続ければ、小柴農園の社員としてご夫婦に雇ってもらえるかもしれない。だけど僕は、そんな未来に何色の幸せを塗ればいいのか分からなかった。
奥さんの言葉を借りるなら、僕は生きることに真面目すぎるのだ。普通の人なら考えないことに理由を求めて、普通の人なら思わないことに意味を付けて、普通の人ならやり過ごせることに根拠を探して。
『無責任に生きるのは辞めなさい』
僕のように自分の夢を見つけられない人もいる中で、英莉さんみたいに夢があるのは素敵なことだと思う。叶わなくたって経験になる。自分を生きることができる。一度きりの人生で、それ以上に綺麗な生き方があるだろうか。
もちろんそれは理想論で、誰もがそういう生き方はできない。でもしかし、自分を生きることにも責任がうまれるなら、それほど息苦しい空間はない。息をすることが自分の首を絞めるなんて本末転倒だ。だから無責任に生きているのは僕のほうなのだ。
いちど深呼吸をすると、久しぶりに実家の匂いを思い出した。嫌な記憶が甦る前に僕はなんとか断ち切る。その時、僕はふと思った。
──もしかしたら英莉さんは、ご両親に自分の夢を応援してもらいたかったのではないか。素敵な夢だね、大丈夫だよ、応援してる、とそんな一言を今でも期待して、縋るような気持ちで実家に戻って来ていたのだとすれば。あの笑顔もどこか儚げに映り心が強く痛む。
英莉さんは本当にもう夢を諦めてしまったのだろうか。どんな場所で、どんな表情で、どんな音を奏でていたのだろう。話を聞いてみたい。
それから一週間後、僕は英莉さんと再会した。車を道中で停めたのか、前回とは違い徒歩でやってきた英莉さんは大きな黒い日傘を差していた。ネイビーのチュールスカート、無地の白Tシャツに水色のバックを合わせた夏らしい爽やかな服装は、遠目で見てもお洒落だとわかる。前回と同じく農場を背景にするにはとても不安定だったが、そのコントラストが逆に映えるのかもしれない。
英莉さんがきょろきょろと辺りを見渡す度に、風で枝葉が揺れるように日傘が動く。ご両親に見つからないように身を潜めているつもりなのだろうが、あれでは余計に目立つと僕は笑った。
やがて僕の姿を見つけた瞬間、英莉さんは大きく手を振って僕を呼んだ。わざと僕が気付いていないふりをすると、日傘を高く突き上げて「ちょっと!」と英莉さんが声を張り上げた。その反応が想像通りで安心した僕は、小柴さんご夫婦が作業中であることを視認して、英莉さんの元に向かう。
「憶えてる? あたしだよ!」
「もちろんです。再会できるのを待っていましたから」
「それってどういう意味? いや、そんなことよりね」
珍しく、とは言っても会うのは今日で二度目だが、少しだけ声のトーンを落とした英莉さんが逡巡して言った。
「お母さんたちに伝えてほしいことがあるんだけどいいかな?」
「伝えてほしいことですか?」
「そう。あのね、実はあたし結婚するの。前々から報告しなくちゃって思ってたんだけど、なかなか言い出せなくて。この前もそれを伝えるために来たんだけど、あたしこう見えて心が弱い人間だからさ、お母さんの姿を見て逃げ出しちゃったんだ」
恥ずかしそうに栗色の髪をなでる英莉さんの左手に光るものが見えた。婚約指輪だろうか。その燦然は僕の目には眩しすぎるくらい綺麗だった。希望や光明がたった一つのリングに込められていて、英莉さんを守る大事な物になっている。無責任に生きていたら、あれほど大切な物は見つけられない。だけど。
「怖かったんですか?」
「うん?」
「また認めてもらえないかもしれないって」
「……何のこと?」
「英莉さんは、もうピアノを辞めてしまったんですか?」
風が止まった。虫の鳴き声が止まった。時が止まった。
ジリジリと差す日差しが瞬きをしたように、一瞬光を失った。
数秒後、再び時間は動き出して世界に色が戻る。
「ああ、お母さんから変なこと吹き込まれたんでしょ! もう全然気にしなくていいからね! あたしのつまらない夢なんて忘れて!」
そう言う英莉さんは上手く笑えていない。その時、僕は少しだけ安堵した。ああ、英莉さんも僕と同じこの世界で生きる人間なんだなと分かって嬉しかった。
「僕は素敵な夢だと思います。夢は誰でも見つけられるものじゃないですから」
「いいよ、あたしなんかに気を遣わなくて」
「いえ、英莉さんの人柄に触れていたらわかるんです。きっと綺麗な音色を奏でるんだろうなって。だからもし、諦めてしまったのなら少し寂しいなと思って」
この世界で完璧な人間なんていない。他者からそう見えていたとしても、本人はどこかで不安を抱えて生きている。取り繕った姿は時折弱さを見せ、助けを求めている。英莉さんの声が僕には聞こえた。
「……遅いよ、もう」
「生きている限り遅いなんてことないです。自分が自分でいられるための夢を、自分ではない誰かが反対する正当性なんてありません。英莉さんには夢を叶える権利があるんです」
どの口が言っているのだろうと僕は心のなかで苦笑する。だけどこんな僕だから分かることもある。欠けた心はほんの少しの自信や安堵で持ちこたえることもあって、一時の自信が傷を満たして治癒することもある。まだ間に合う。手遅れにならないうちに。
「どうして……どうして、あたしのことを何も知らないコウタくんがそこまで……?」
「僕にもよく分からないですが……。一つ言うなら“知らないから”でしょうか。たとえば綺麗な花を見つけた時、この花は何ていう名前なんだろう? どの季節に咲くんだろう? 花言葉は何て言うんだろう? そんなふうに知りたくなりませんか?」
目を瞬かせた英莉さんは、ぽかんとした表情で僕を見つめたあと言った。
「その例え話に意味を持たせるには、あたしが綺麗な花ってことになるけど」
「間違っていますか?」
「あたしには雑草に見えるけどなあ」
「感性は人それぞれです」
「そう言われるとあたしがセンスないみたいじゃん」と英莉さんが笑う。
笑顔はどうしてこうも心を穏やかにさせるのだろう。この世界にいる誰もが笑顔になれたら、もっと生きやすい世界になるはずだ。誰もが全員に好かれるなんてことはできないけど、自分の大切な人には優しさを向けることができたら。その人が笑顔になって、生まれた優しさがまた誰かの笑顔を作り、その連鎖をどこまでも繋いでいけたらいいのに。
「英莉さんのピアノ、聴いてみたいです」
僕の懇願に、英莉さんは何かを決心したように頷いたあと、ぽんと手を叩いた。
「わかった! だけどその前にね、来てもらいたい場所があるの」
「来てもらいたい場所……? どこですか?」
「一緒にアイドルのライブを観てほしいんだ」
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