20 / 69
Chapter2「この命に名前を付けて」
#2
しおりを挟む高校三年の夏、大学に進学しないと僕が告げた時の両親は、言葉を認識できない赤ん坊のように真っ直ぐな目で僕を見ていた。そのまま笑うか泣いてくれたら良かったのに、すぐに大人の姿に戻って怒号が襲った。
「何を無責任なこと言っているの?!」
「ふざけたことを言うな! これまで誰のおかげで学校に通えていたと思っているんだ!」
母の言葉も父の言葉も、異なる角度で僕の身体に深く突き刺さった。途端に弱った心が僕の意思を曲げようとする。
だけどすぐに姉の顔が浮かんだ。姉は今の僕よりずっと幼い頃から耐えていたのだ。今すぐ姉のようには強くなれなくても、ユウとの約束の日を迎えるまでには僕もいつか、きっと。
「無責任……か」
僕が苦笑すると、それはもう大きな雷鳴が家を揺らすように響き渡った。
それから何度も家族会議が開かれたものの、話をする度に関係性は悪化していった。大学に進学するなら自分が興味のある学問を学べる所へ、と僕が少しだけ妥協案を出したこともあったが、両親には大手企業から求められるランクの高い大学以外に価値はないと言われてしまった。
その言葉に僕は何度も悩まされた。自分に価値がないことを恐れていたのは今に始まった話ではない。ただ、これまで両親の言葉を信じて生きてきた僕にとって、『他の道を選択しても価値が生まれる』という確証がないのも事実だった。
現実問題、どちらも正解でありどちらも間違いなのだろう。むしろ両親はそれで成功したのだから、僕に当てはまるかどうかは置いといて前例として根拠も存在している。それに大学は行かないと決めた僕の進路先も未定で、興味のある学問というのもハッタリだった。
これでは客観的に見て分が悪いどころか、両親の言っていることが正論にも思える。最終決断の時間はすぐ目の前まで迫っていた。
そんな時、姉から連絡があった。高校を卒業して実家を離れて行った以来だったので、実に二年半ぶりだった。引っ越しをするから手伝ってほしいという内容に僕はすぐ承諾した。
久しぶりに会った姉は、また一回り大人になったように見えた。実際、姉は既に成人を迎えていたわけだが、社会人として生きた経験がそのまま顔に刻まれたような、同年代の大学生とはまったく違う顔つきをしていた。
「ごめんね、ちょっと仕事が忙しくて。一人だと時間もかかるし、どうしてもやる気が起きなくてさ」
部屋は適度に散らかっていて、コンビニの袋や惣菜が入っていたのだろう空の容器などがテーブルの上に散乱していた。いま姉の置かれている現状が普通ではないとすぐに分かる。
「姉ちゃん、無理してない?」
僕の問いに、姉は無理やり笑顔を作った。
「正解。だから仕事を辞めるの」
僕は何も言えなかった。自分の進路で両親と揉めていた真っ只中、また深く考えなければいけない現実だった。
決して姉の選択が間違っていたとは思わない。だけど僕の中で尊敬する姉でさえ上手くいかないことがあるのなら、僕はその何倍、何十倍も上手く生きなければいけないということでもあった。
「ねえ、コウタ。しばらくお姉ちゃんと一緒に住まない?」
それは僕にとって、とても優しい逃げ道だった。
「姉ちゃんと一緒に……?」
「その様子だとコウタも大変なんでしょ? 余裕ができるまでお姉ちゃんと一緒にいてよ」
僕と姉の共同生活は、こうして始まることになった。
高校卒業をした翌日に、「就職先が決まったから一人暮らしをする」と言って僕は十八年間住んだ家に別れを告げた。
大きなリュックを背負い、キャリーケースを引く僕の姿は、周りから見たら旅行者にでも見えていただろうか。実際は十八年間生きてきた中でこれだけは持って行きたいという物が、衣服や生活必需品を含めてこの程度しかなかったという悲しい現実だ。
しかし姉の新居がある最寄り駅まで電車に揺られているあいだ、僕の心臓は強く高鳴っていた。もちろん不安がなかったわけではない。就職先が決まったなんていうのは嘘で、進学をしたわけでもなかった。現時点ではまだ進路未定の学生という括りだが、四月になればただの無職となってしまう。上手くいかなかったからやっぱり実家に戻らせてくださいなんて都合のいい話は存在しない。
だけど初めて自分で選んだ道は何もかも未知の世界で、不安より期待や希望の顔が覗かせていた。それに、また姉と一緒に生活を過ごせるのも嬉しかった。僕の人生はここから再スタートするのではなく、まったくの別人として生まれ変わった気持ちで生きていこうと強く意気込んだ。思えばユウと再会するまで、この時がいちばん活力に満ち溢れていたかもしれない。
姉が再就職先を見つけるまでそう長く時間はかからず、僕も自分の仕事先を見つけることにしたが、面接でことごとく落ちた。電話連絡の段階で「募集を締め切ってしまって……」と求人サイト掲載の初日に言われたこともあった。
ユウとの文化祭期間を経て僕の声は一時的に回復していたが、それは日常生活を送る上で支障はないというレベルであり、社会の歯車になれるかどうかはまったくの別問題だった。
第一、面接対策が不十分なことに加えて、覇気もない姿で使い回しの言葉を機械的に述べていたのだから上手くいかなくて当然だろう。自分を出すのが苦手な僕にとって、唯一の武器は進学校を卒業しているという点だったが、なぜ進学しなかったのですか? という最もな問いに対して答えることができなかった。
両親の教育方針に疑問を感じたから、声を出すことが難しいから、そんなの相手からしたら知ったことじゃない。仮にそれが理由として認められても、それではなぜ学生のあいだに就職活動をしていなかったのですか? と言われてしまえば詰みだった。
僕にできることは、僕だけにできることは何だ。そんなものはずっと存在しなかった。ずっと見つけられなかった。ただ今日を乗り越えるために精一杯頑張って生きてきた。だから明日もそうして生きていく。それ以上の理由が必要あるだろうか。大人になるって、生きていくことって、こんなにも大変なことなのかと僕は深く悩んだ。
物事において上手くいかないことが続くと視野が狭まっていく。太陽の光が眩しすぎるくらい感じるようになった。人の視線が肌を刺すように痛くなった。ちょっとした物音がうるさく聞こえるようになった。これ以上は危険だと脳が身体に伝え、状態異常や拒否反応を起こさせて休ませようとしているのだろう。
それでも頑張らないといけない。ここで休んでしまったら二度と立ち上がれない気がした。携帯電話を持つ手が震える。合否待ちの面接先から連絡をもらっていて折り返しをしなければならないのに、たったそれだけのことで数時間も躊躇う。ようやく勇気を出して繋がった先から聞こえた声は。
「今回は残念ながら──」
今回“も”落ちた。いっそ、落ちるところまで落ちたらどうなるんだろう? と考えていた時、「アルバイトから始めてみたら?」と姉に言われ、僕は自我を保てているうちにすぐ切り替えた。今度はあっさりと面接を通り、製造会社の工場で働くことになった。実家に住み続けていたら僕は本当に堕ちていたかもしれない。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
カンナの選択
にゃあ
ライト文芸
サクッと読めると思います。お暇な時にどうぞ。
★ある特別な荷物の配達員であるカンナ。
日々の仕事にカンナは憂鬱を抱えている。
理不尽な社会に押し潰される小さな命を助けたいとの思いが強いのだ。
上司はそんなカンナを優しく見守ってくれているが、ルールだけは破るなと戒める。
しかし、カンナはある日規約を破ってしまい、獄に繋がれてしまう。
果たしてカンナの選択は?
表紙絵はノーコピーライトガール様よりお借りしました。
素敵なイラストがたくさんあります。
https://fromtheasia.com/illustration/nocopyrightgirl
如月さんは なびかない。~片想い中のクラスで一番の美少女から、急に何故か告白された件~
八木崎(やぎさき)
恋愛
「ねぇ……私と、付き合って」
ある日、クラスで一番可愛い女子生徒である如月心奏に唐突に告白をされ、彼女と付き合う事になった同じクラスの平凡な高校生男子、立花蓮。
蓮は初めて出来た彼女の存在に浮かれる―――なんて事は無く、心奏から思いも寄らない頼み事をされて、それを受ける事になるのであった。
これは不器用で未熟な2人が成長をしていく物語である。彼ら彼女らの歩む物語を是非ともご覧ください。
一緒にいたい、でも近づきたくない―――臆病で内向的な少年と、偏屈で変わり者な少女との恋愛模様を描く、そんな青春物語です。
心の落とし物
緋色刹那
ライト文芸
・完結済み(2024/10/12)。また書きたくなったら、番外編として投稿するかも
・第4回、第5回ライト文芸大賞にて奨励賞をいただきました!!✌︎('ω'✌︎ )✌︎('ω'✌︎ )
〈本作の楽しみ方〉
本作は読む喫茶店です。順に読んでもいいし、興味を持ったタイトルや季節から読んでもオッケーです。
知らない人、知らない設定が出てきて不安になるかもしれませんが、喫茶店の常連さんのようなものなので、雰囲気を楽しんでください(一応説明↓)。
〈あらすじ〉
〈心の落とし物〉はありませんか?
どこかに失くした物、ずっと探している人、過去の後悔、忘れていた夢。
あなたは忘れているつもりでも、心があなたの代わりに探し続けているかもしれません……。
喫茶店LAMP(ランプ)の店長、添野由良(そえのゆら)は、人の未練が具現化した幻〈心の落とし物(こころのおとしもの)〉と、それを探す生き霊〈探し人(さがしびと)〉に気づきやすい体質。
ある夏の日、由良は店の前を何度も通る男性に目を止め、声をかける。男性は数年前に移転した古本屋を探していて……。
懐かしくも切ない、過去の未練に魅せられる。
〈主人公と作中用語〉
・添野由良(そえのゆら)
洋燈町にある喫茶店LAMP(ランプ)の店長。〈心の落とし物〉や〈探し人〉に気づきやすい体質。
・〈心の落とし物(こころのおとしもの)〉
人の未練が具現化した幻。あるいは、未練そのもの。
・〈探し人(さがしびと)〉
〈心の落とし物〉を探す生き霊で、落とし主。当人に代わって、〈心の落とし物〉を探している。
・〈未練溜まり(みれんだまり)〉
忘れられた〈心の落とし物〉が行き着く場所。
・〈分け御霊(わけみたま)〉
生者の後悔や未練が物に宿り、具現化した者。込められた念が強ければ強いほど、人のように自由意志を持つ。いわゆる付喪神に近い。
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
流星の徒花
柴野日向
ライト文芸
若葉町に住む中学生の雨宮翔太は、通い詰めている食堂で転校生の榎本凛と出会った。
明るい少女に対し初めは興味を持たない翔太だったが、互いに重い運命を背負っていることを知り、次第に惹かれ合っていく。
残酷な境遇に抗いつつ懸命に咲き続ける徒花が、いつしか流星となるまでの物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる