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Chapter2「この命に名前を付けて」
#1
しおりを挟む「そろそろ休憩にするか……」
機械での草刈り作業を中断して一息ついた時、セミの鳴き声が聴覚を刺激した。
小さな頃、姉と一緒にセミを捕まえに行ったことがある。その見た目は想像していたより大きくて生々しい姿だったことを思い出す。それでも子供の恐怖心のなさというか思い切りの良さというか、当時は何の躊躇いもなく素手で捕獲していたが、今ならきっと触れないだろうなと僕は思った。
そんな夏の風物詩の一つとも言えるセミだが、心なしか最近はその声量が小さくなっている気がする。そろそろ夏も終わりかな、なんて考えながら僕はゆっくりと視線を上げた。
山道を少し登った広大な土地から展望する空は、ふだん街中から見るときとはまったくの別物に見える。空気も透明感があるように綺麗で、呼吸をすると身体中に深く沁み渡っていき気持ちいい。
そよ風が頬を撫でた時、後方から声が聞こえた。
「コウタくん、いっくよ~」
「はい……? ってうわあ!!」
回転しながら目の前まで迫ってきていたそれを、僕は情けない声を出しながらなんとか右手で掴む。真夏の空間に放り出されたそれは、場違いなほど冷えていた。どうやら休憩時間に合わせて飲み物を持ってきてくれたようだ。
「ナイスキャッチ!」
「普通に渡してくださいよ……」
「ありがとうでしょ? ほら言ってごらん! ありがとうって!」
自然の力をそのまま自分のエネルギーに変えているのかと問いたくなるくらい、今日も小柴 英莉さんは元気だ。あれでもという言い方は失礼だが、僕より五つ年上なのだ。だけどとても親しみやすい人柄で、すっかり僕は後輩として可愛がってもらっている。
「ありがとうございます」
「よし! よくできました!」
まるで犬や猫に接するような振る舞いだが、そこに侮辱や傲慢は一切含まれていない。英莉さんはこういう人なのだ。だからこそ僕も、普通に声を出して喋ることができている。
僕は受け取ったペットボトル飲料水のフタを開け、ゆっくりと傾けて液体を喉に流し込んだ。疲労していた体が一瞬にして活力を取り戻す。
「美味しそうに飲むねえ」
「英莉さんには負けますよ」
「それ褒めてる?」
「もちろんです。スポーツドリンクのCM依頼とかくるんじゃないですか?」
「え? ほんとに?! じゃあ目指してみようかな!」
都会の喧騒なんて知らない自然豊かなこの場所以上に、英莉さんを見ていると気持ちが安らぐ。純粋というか素直というか、心がとても綺麗なのだ。生まれつき持っている魅力なのだろう。
そんな真夏の太陽にも負けない笑顔を浮かべる英莉さんに、僕は一つの疑問を投げかける。
「あれ? 英莉さんって今日から収穫の作業じゃなかったでしたっけ?」
「何言ってるの? それは今度の月曜日から……って今日だ!!」
「早く行かないとまた怒られちゃいますよ」
「ちょっと! 前にも怒られたことがあるみたいに言わないで!」
「あれ? つい最近、軽トラを脱輪させて──」
「わー! 聞こえない!」
話をはぐらかして慌ただしく去ろうとする英莉さんだったが、ぴたっと動きを止めたかと思うと、僕に頭を下げて言った。
「教えてくれてありがとね」
英莉さんが周りから愛される理由は、愛嬌だけじゃなくて礼儀もきちんとしているからだと僕は思う。
「いえ、僕の方こそありがとうございました」
一瞬、ぽかんとした表情を浮かべた英莉さんだったが、僕が手に持つペットボトルを見ると納得したように頷いた。見返りなんて何も求めず、ただ僕のために持ってきてくれたこその反応だろう。
「じゃあ、また昼休憩の時ね!」
英莉さんが大きく手を振る。僕も振り返す。太陽の光が英莉さんの左手の薬指にはめられたシルバーリングに反射して、僕の目を複雑に揺らした。
この農場で過ごすのも今年の夏で二度目だ。
つまりこの冬、ユウとの約束の日を迎える。
蝉時雨がタイムリミットを刻み始めた。
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