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Chapter1「イキワズライ」
#17
しおりを挟む「覚悟はあるよ。どんな状況になったとしても約束する」
異なる意味合いとして誓った僕の言葉に、姉は無言で頷いた。たぶん、姉は僕の歪んだ心情を見抜いていた。だけど何も言わなかったのは、この先待ち受けているものをユウの手紙の内容から直感的に読み取ったのかもしれない。
イルミネーション会場近くのコインパーキングはどこも満車だった。コンビニの前に車を止めてもらい、姉と一時的に別れて僕だけ先に現場へ向かうことにした。
車の暖房に慣れてしまったのか、外気がとても冷たく感じた。手を温めるために息を吹きかけると白い水蒸気が浮遊し、より寒さを際立たせる。先ほどまで降っていた雪は止み、白く染まりつつあった世界は、クリスマスイブという抽象的な特別感を除けば、いつもと変わらない平穏な日常に戻っていた。
その道中、喫煙禁止と看板が立てられた場所で煙をふかしている人が集まっているのを目撃した。スマホに目を落としている者もいれば、遠くを呆然と見つめている者もいる。中にはカップルと思わしき男女が痛いほど体を寄せ合っていたが、ほとんどの人物の表情は虚無に溢れた悲壮感が漂っていた。
でも、なんとなく気持ちは分かる。ああすることで自分という存在意義を確立させて、そして仲間がいることで自分だけじゃないんだと安堵感を抱いているのだろう。本当はそれが悪いことだというのも、大人になって恥ずべきだということも、誰よりも自分が痛いほど感じている。その痛みさえ感じなくなってしまった者もいるだろう。中にはあのカップルのように、それをステータスや恰好良いと思い込んでいる幼稚な人間もいるが。
彼らにだって、先ほどケーキ屋で見かけた子供のような時期があったのだ。あるいは僕のようにそういう幸せの形を知らなくて、ようやく掴んだ自由を目の前に手にしたものが、世の中の常識やルールに縛られないことを誤って捉えた結果があの姿として表れているのかもしれない。それは大人になりきれない子供でもあり、子供の頃から大人を演じ続けて生きたとも言える。
生まれた時間さえ、生まれた場所さえ、生まれた家庭さえ違えば。彼らはもっと上手く生きられて、そして誰もが彼らのように成りうる可能性があった。そう考えると簡単には責められない。
目を合わせると、一人の男に強く睨みつけられた。人間に怯える野良犬のようだった。注意する正義感も、その正しさも持ち合わせていない僕は、そっと視線を逸らした。
時間は誰しも平等に分け与えられている。しかし平等ゆえに、少しでも歩みを止めることは大きなリスクを伴う。自分が休んでいる間に、横一列に歩き始めた仲間たちが前を行ってしまうからだ。
その背中が遠く離れていき慌てて歩き出しても、平等な時間の前には追いつくことができない。焦りから自分のペースは乱れ、次第に仲間の姿さえ見えなくなり、そうなると追いかけることもしなくなってしまう。大人になればなるほど埋められない差に絶望する。夢を見るだけでは手が届かない現実も、諦めることが楽だということも知ってしまっているから。
僕にとってもこの三年間という時間は、あまりにも大きすぎるものだった。そして、自分が再起不能であると知るには充分すぎる期間だった。
きっと、ユウは立派な大人になっている。進学して大学に通っているのか、あるいは就職して社会人になっているはずだ。大好きなギターは続けているだろうか。あの時と変わらない……いや、僕の想像では補えないほど、素敵な音を奏でられるようになっているに違いない。それなのに僕は、あの日からずっと──。
「お兄ちゃん、何で泣いてるの?」
自分が泣いていると気付いたのは、小さな女の子にそう言われてからだった。よく見ると、先ほどケーキ屋さんから出てきた子だった。女の子の側にいた両親が、すみませんと僕に謝罪して離れていく。進路方向は同じだ。イルミネーションイベントがあると知り、観に行くことにしたのかもしれない。
両親に連れられた女の子は歩きながら振り向き、数秒ほど僕のことを不思議そうに見つめていた。だがすぐに興味がなくなったのか前を向き直し、両親と手を繋ぎながらスキップして未来に足を伸ばしていった。
涙を拭った僕はいちど深呼吸をしたあと、ぱんぱんと頬を叩き、気持ちを入れ替えて表情を作る。最後は笑顔で過ごそう。ユウが思う僕は、一緒に居られるだけで強くなれるようなすごい人なのだから。
約束の場所に到着した僕は、二つのことに驚いた。まず一つは、そこが夢で見た場景と酷似していたことだ。いつの間にか再び降り始めた雪がイルミネーション会場をロマンチックに彩り、クリスマスイブの時を美しく演出していた。
カメラを雑に構えて空間を切り取ったとしても、様々な幸せの形がそこにあった。まるで想像できる幸せを全て集めたかのような優しさが、僕の心を痛いほど強く締め付ける。もしかしたら夢で見た場景は、そんな僕の理想が展開したものだったのかもしれない。
たしかあの夢では、僕はユウと一緒にイルミネーションを観て時を過ごしていた。もっとも当人としてではなく、別の第三者として見ていただけだったが。叶えたかったな、たとえそれが夢であったとしても。
そしてもう一つ驚いたことは。
一人の少女と目が合う。すぐにそれが先ほど道路を乱横断していた少女だとわかった。その瞬間、世界は色を失った。辛うじて雪明りがモノクロのように僕たちを照らしていた。
「ユウ……だよな?」
先ほど車の中で呼び起こすことができなかった記憶が甦る。僕が少女をユウと呼べたのは複数の記憶が合致したからだった。ユウの親友であるらむも容易に見抜くことができるだろう。一方で、僕たちが高校生の時のクラスメイトが見たら、いま目の前にいる少女がユウであると誰一人気付くことはないと思う。
「久しぶり。会えて嬉しいよ」
ユウは僕の問いかけにも、再会の言葉にも答えない。人違いでも、無視をされているわけでもない。ただ悲し気な表情で僕のことを見つめている。その瞳は暗澹と揺らいでいた。
嫌な予感がする。信じたくなくて、僕は言葉を必死に紡ぎ合わせる。
「ずっとこの日を待ち望んでいた。ユウに聞きたいことも言いたいこともたくさんあるんだ」
三年振りの再会の割には、僕の声は正常に機能して音を発することができた。気持ちを伝えるには充分だ。
「正直、怖い気持ちもある……。僕の過去を話すことで、ユウは幻滅するかもしれないし、二度と会いたくないと思うかもしれない。でも、それでも。ユウには僕のことを知ってほしいし、僕もユウのことが知りたい。僕にとってユウは、かけがえのない大切な人だから」
その時、ようやくユウの口が動いた。紅色に染まった唇が母音に合わせて形を変える。しかしそこに、一切の音は生まれなかった。だけど僕はその言葉を読み取ることができた。
『ごめんね』
僕は深く息を呑む。
ユウは──レイの姿になっていて声を出すことができなかった。
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