命の針が止まるまで

乃木 京介

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Chapter1「イキワズライ」

#15

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 読み終えた手紙を戻した時、やや急ブレーキ気味に車が停まった。運転席の姉に何事かと視線を向けると、姉はフロントガラスを指差していた。そこには道路を横断する一人の少女がいた。

「あの子、何も周りを見ないで歩き始めたよ」

 姉の言うとおり、少女はずっと顔を俯きながら歩いている。セーラー服を着ていることから学生だろうか。小さな子供が勢いそのままに飛び出したわけではなかった。そうなるとスマホ操作を疑う立ち姿だったが、両手には何も握られていない。特別急いでいる様子もなければ、ケガをしていて無理をしなければ歩行が困難というわけでもなかった。それにしてもこんな冷え込む夜に、上着や防寒具を一切身に付けていないその姿はとても寒そうだった。

 姉が車の窓を開けて「危ないよ」と忠告するも、少女の歩みは止まらない。対向車線を走っていた車にはクラクションを鳴らされたが、それでも少女はやはり見向きもしない。そのまま一定のリズムで歩き続け、道路を完全に支配しながら反対側の歩道に横断を終えた。

「ノイキャンのイヤホン付けてるのかな?」

 ゆっくりとアクセルを踏んで車を発進させた姉が言った。だとしても車のライトを視覚で捉えられるはずだし、すぐそこには押ボタン式信号機のある横断歩道もあった。待つのが煩わしかった、それらも目に入らぬほど深い考え事をしていたというよりは、まるで少女にだけ視えている世界があるような──。

 なぜそんなことが分かるのか。僕はあの少女をどこかで見たことある気がするのだ。いや、たぶん少女のことを知っている。名前はもちろん、一緒に時を過ごしたことさえある……と思う。心の奥底で何かが揺れるも呼び起こすまでには至らず、記憶は夢のように流れていった。

 目的地まで残り数キロとなった頃、カーオーディオから聴き馴染みのある音楽が流れた。流行に疎い僕でもその曲をよく知っていた。動画投稿サイトをきっかけに人気を博し、最近メジャーデビューしたアーティストの楽曲だ。生き辛さを訴える歌詞が若者の心を中心に刺さっているらしい。

 それにしても昨今、夜を好む言葉や歌で溢れているが、その夜は散々毛嫌いしている朝が生み出した影であることを皆分かっているのだろうか。結局そういう人間は消えられない未練を残している。言うならば、夜を好みながら僅かでも希望の朝をどこかで待っているのだ。

 だけど実際は夜があるから痛いほど光が輝く。依存先が何よりも自分を苦しめてじわじわと命の灯火を削っていき、垣間見える光を見ては特別なものだと縋って、より闇を深く染め続けてしまう。

 この病は、気付いた時にはもう手遅れだ。いずれ光の入る隙間は皆無になり、二度と見えなくなる。それでも必ず光は差し込むと期待して、自分が作った暗闇に目を凝らし続けながら、最後は気付かぬまま朽ちていく。

“知れば知るほど救いがないな この世界は”

 楽曲のサビ終わり歌詞が印象的だった。作詞者はこんな世界の本質を理解したうえでこの歌詞を選んだのか、自らもまたこの病に侵されていることに気付いたうえで、まだ自我が残っているうちに遺書のように言葉を綴ったのかもしれない。それならとても美しいと僕は思う。たとえ作詞者がこの世界から去っても、この楽曲はずっと後世に残り、誰かの心で生き続けるのだから。

 ふと窓に視線を移すと、地元では有名なケーキ屋さんから三人家族が出てきた。一瞬にして移り変わる景色の中でも、はっきりと家族の笑顔を視認することができた。今この瞬間がとても幸せなんだろうな、と自分の口元がわずかに綻ぶのを感じる。

 特にその中央で両親と手を繋いでいた女の子の表情は星のように眩しかった。今晩、テーブルには豪華な料理が並び、その最後にはクリスマスケーキを食べるのだろう。夢のような幸せのまま眠りに付き、翌朝枕元に置かれていたプレゼントに歓喜する女の子の姿が明瞭に想像できる。まだサンタクロースを信じている少女は嬉しそうに両親に報告し、その正体である両親は微笑ましく「良い子にしていてよかったね」なんて会話も交わされるのだろうか。

 そういう幸せの形があることを僕は小学生の時に初めて知った。僕の家庭ではクリスマスなんて存在しないイベントだったし、誕生日にはプレゼントこそ貰えたが勉強に関する辞書や参考書に限られた。だけど当時の僕はそれを幸せなものだと思っていたし、幸せの形が違うだけで決して間違いではなかった。知識は時に、マイナスに価値観を変えたり世界を狭めることもあるだけで。

 僕は深いため息をついた。自分にない幸せのことを考えても仕方がない。いま僕の目の前にあるのは不確かな、だけど唯一の幸せになりうる光だけだ。

 結局僕も、消えられない未練を残している。
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