命の針が止まるまで

乃木 京介

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Chapter1「イキワズライ」

#8

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 実は僕が歌詞を完成させた前日、ユウが学校を休んだ。その翌日、本人は風邪をひいたと笑っていたが、隠す気もない嘘だった。何か言い辛い事情があって、いくつかの候補から問い詰められにくい風邪という選択肢を取ったのだろう。だから僕も「そうだったんだ、治ってよかった」と言葉を留めた。

 そんなユウのいない一日は恐ろしいほど寂寞で何も手が付かなかった……と言いたいところだったが、今週末に文化祭当日が控えているのに未だ完成していない歌詞の制作に僕は追われていた。その結果、ほとんどいつもと変わらない精神状態を保ち、放課後の空き教室で僕は筆を取り続けていた。

 ユウがいないこの日はわざわざ校内に残る必要もなかったのだが、テスト勉強を図書館やカフェでする学生の心境のように、自宅には誘惑がたくさんあるし、普段と違う環境で取り組むのは一定の効果があると思う。もっとも後者は友人とのお喋りに夢中になって効率が落ちているような気がするも、ユウの演奏に見惚れて作業が進んでいなかった僕が言えたことではない。

 なにより自宅の居心地の悪さはずっと変わっていなかったから、少しでもあの場所から離れていたかった。あれから意図的に両親との会話を避けることで激しい衝突こそ起きていないものの、日を重ねる毎に空気が濁って息をするのが苦しくなっている。

 文化祭が終われば数週間もしないうちに期末テストがあって、更にその後は進路について三者面談も控えている。このまま現実から黙過し続けるのはこの日が限度だろう。

 僕はこれまで進学を志望し、目標にしていた志望校には問題なく合格できる学力を維持し続けていたが、正直なところこの文化祭が終わったらそれも難しそうだった。非日常が終わる喪失感、いわゆる燃え尽き症候群も少しは感じるだろう。

 だけどそうじゃない。目標物が見えなくなってしまったような……いや、最初からそんなものは存在していなかったような、そもそもなぜ目指していたのかもわからない。

 僕にはユウのような強い意志があるわけでもない。この歌詞を書く役割だってユウに与えてもらったからやった。きっとこの期間の出来事は、僕の心を煌々と照らす一生の思い出になるだろう。だけどそれは、たまたまユウという善意を持った人に手を取ってもらっただけの結果論だ。

 仮に「バンドを組む俺らのために歌詞を書け」と通称一軍メンバーと言われる人間に言われていたとしても、断ることによるデメリットが大きすぎるのは容易に想像できることから、僕はこくこくと頷いて書いていたと思う。そこに大きなクオリティーの差はあったとしても。

 結局、僕は自分で選択したように見えて、何も選んでなんていなかった。誰かがああ言ったから、周りがこうしているから、そうすることが無難だから。そうやって合わせて生きることで自分という存在が確立できると思っていた。幼き頃、たった一度の選択ミスをしたあの日からずっと。

 心にヒビが入ったようなシャープペンシルの芯が折れた音と、空き教室のドアが開く音が重なった。その時、僕の頭の中で三種類の展開が浮かんだ。

 無断で空き教室を使って活動していることが教師にバレた。
 ユウが休みなのを知ってクラスメイトが嫌味を言いに来た。
 アウトローな生徒が気まぐれに入ってきた。

 どれもこれもバットエンド展開なのが僕らしい。いずれにしても、歌詞を書き留めたこのノートだけは守らなければ、と足元に置いていたリュックに慌てて隠した。しかし振り返った時にはもう、僕のことを見つめている一つの姿があったので、どのルートだとしても「今何か隠していたよな?」とリュックの中を弄られ没収されるまでの映像が浮かぶはずだった。

 そこにいるのが、まったく敵意のなさそうな女の子とわかるまで。

「あの……コウタさんですか? わたし四組の桜庭さくらばらむって言います。ユウちゃんのことで少しお話があって、今お時間大丈夫ですか?」

 丁重な振る舞いはとても同級生とは思えず、僕はまじまじとその子を見つめた。僕のことを尋ねてくる人物など、それも名前で呼ぶ女の子なんてユウしかいない。そこにユウの名前が出てきたということは、この子はユウの友人であると考えるのが自然だろう。

 グレーがかった髪を纏う麗しい顔立ち、どこか儚げだけど力強い瞳を持つ女の子──桜庭らむが僕の返答を待っている。

「えっと、お時間はいくらでも。とりあえず、ここ座ります?」

 不自然な日本語、感情のないロボットのような抑揚のなさだったが、自分の声が出たことに驚いた。絶対的な信頼のあるユウにはまだしも、その友人にも伝えられるようになったのなら、僕はようやく普通になれたのだろうか。

「それでは失礼します」

 らむは背負っていたリュックを下ろすと、僕の指示通りにいつもユウが座っていた定位置に腰を下ろした。少し緊張しているのか、膝の上に置いた両手はギュッと力が入り固く握りしめられている。

 少なからずユウに友人がいると知って僕は安堵した。あの争い以降、クライメイトはユウと距離を取っているように見えた。全員が敵意を向けている様子ではなかったが、ユウには話しかけてはいけないというクラスの中で暗黙のルールができているようだった。関わると今度は自分がそのターゲットにされてしまうのだろう。

 それよりユウのことで話があるとは何だろう? 
 そもそも他クラスのらむがなぜこの場所を? 
 ああ、ユウに教えてもらったのか。
 となると必然的に僕のことは一方的に知られているわけだ。
 ユウはどこまで僕のことを話しているのだろう?

 会話を繋ぐために僕の思考はさまざまなパターンを探り始める。まだ声が出ていた頃の癖は消えていなかった。やっぱりユウの時とは違う。ユウには自然といちばん最初に思ったこと、感じたことをそのまま行動に、そして言葉にすることができていた。

 今考えるとクラス会議の配置決めで、ステージ披露グループに所属したいと自ら意思表示したのが信じられない。僕の心がユウの誘いを朦朧的に受け取ったのだとしても、あの場で手を挙げたのは間違いなく僕が選択したことだ。その理由を今は上手く言葉にすることができなかった。

「座らないんですか……?」

 らむが訝しげな眼差しをこちらに向けている。数十秒も無言で詮索していたのだから当然の指摘だ。

「ごめん、座るよ」

 あらためて向き合った僕たちに、張り詰めた空気が流れる。
 一体、僕は何を言われてしまうんだろう……?
 数秒後に訪れる結果をまったく予想できず、僕は息を呑み言葉を待つ。

「ユウちゃんを救ってくれて、ありがとうございます」

「……へ?」

「コウタさんのおかげで、ユウちゃんよく笑うようになったんです」

 僕がユウを救った?
 僕のおかげでユウがよく笑うようになった?

「ちょっと待って。それ、本当に僕で合ってる……?」

 らむは幾ばくか僕のことを凝視したあと、間違いないと言うように頷いた。

「はい! いつも寝癖を付けながら慌てて登校してきて、ちょっと目つきが悪いし見た目は頼りなさそうだけど、中身はとっても良い人だってユウちゃんが言っていました!」

 どうやら憂慮するような話ではないらしく僕は安堵した。

 それにしてもユウにひどい言われようだ。確かに、寝ぐせを直す時間があるなら一秒でも多く寝ていたいし、伏し目がちなことから自然と目つきは悪くなり、ユウには何をするにしても頼ってばかりでどれも間違いではない。でももっとこう言い方が。いや……待てよ? それで僕に間違いないと決めつけているらむも大概だ。ユウのぶんも合わせて少しくらい文句を言ってやろうと目を向けると、当の本人は悪気もなくニコニコしながら僕を見つめていてその気も失せた。

 そんな雰囲気が少しだけ居心地良くて僕も笑った。
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