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Chapter1「イキワズライ」
#5
しおりを挟む文化祭三日前に歌詞が完成した。これほどまで一つの物事に取り組んだのは、過去に定期テストや模試の勉強の時しかなかったが、僕にとってそれは義務に近くて到底楽しいと言えるものではなかった。
けれど今回に限っては、歌詞の清書をユウに手渡した時、初めて抱く達成感や充実感に包まれた。自分の意思を持って何かをやる抜くということはこんなにも清々しくて素敵なものなのだと、僕は高校生にして初めて学んだ。
これで残りの時間はユウの演奏を楽しめる……などと呑気に考えていたが、ユウは今日を含めた三日間で歌詞を覚えなければいけないうえに、それに合わせた音楽も作らないといけない。そう考えるともっと早く仕上げるべきだったと遅すぎる後悔に襲われる。
だが、ユウはあらかじめメロディーの基盤を複数作っていたようで、僕の書いた歌詞を口ずさんでは、実際にギターを奏でた音と合わせて「Aメロはこうで……サビはこっちの方がいいかなあ」と呟きながら、すらすらと楽譜を制作していく。音符を読むことすらできない僕は手伝うこともできず、ただ室内の片隅でユウを見守るように視線を揺らしていた。
落陽が室内を橙色に染め上げ、あと三十分ほどで帰宅の時間となる頃、ふいにユウが僕に向かって手招きをした。
「お客さん、今からライブをしますよ」
寸劇のような語り口調をするユウを見て少しだけ頬を緩めた僕は、たった一人の客として最前の特等席に腰を下ろす。小さな拍手を送ると演奏が始まった。
自分が書いた歌詞を歌われるというのは想像以上にむず痒いものだった。しかし、それも無理はない。
結局僕は自分自身をモデルベースとして歌詞のストーリーを作り、本心を変換しないまま言葉を紡いでいった。実質、ユウの声を介して自分の思いを伝えているようなものだ。ふとそれは、文化祭当日のステージでユウの弾き語りに耳を澄ます生徒全員に、僕の本心を聴かれるということでもあるのでは……? と気付くと、途端に身震いしそうになった。
ただそれを含んだとしても、ユウの持つ力は偉大だった。分厚い灰色の雨雲から太陽が顔を覗かせるような、嵐が去った後も物ともせず咲き続けている花のような、どんな逆境もユウがいるだけでハッピーエンドを迎えられる曙光が僕の目には映った。
今日が初披露とは思えないユウの完璧な演奏が終わり、僕は最大限の拍手で称賛を送る。ユウは少し照れながら「ありがとう」と言うと、相棒のギターを労うように撫でた。
「誰かの前で弾くなんて久しぶりだから緊張しちゃった」
「感動したよ。僕の書いた歌詞がこんな素敵な音楽に変わるなんて」
この頃になると、僕の声は確かな音として沸き上がり、一切の形を変えることなく届けられるようになっていた。もっともそれは『相手がユウであること』と限られた条件ではあったが、僕にとってそれ以上の願いは必要なかった。
しかしながら、新たな問題に直面した時、僕はとても頭を悩ませた。
「ううん、コウタくんの書いた歌詞が私の音楽に色を付けてくれたの。いつも何かが足りなくて、私にはそれを見つけることができなかった。でもね、コウタくんがそれを作ってくれたんだよ」
そう言いながら、ユウはひとつの歌詞を指さした。
“世界の闇を光に変えられなくても 夜に佇む君を導く月になれたら”
「私、ここの歌詞が好き。忘れていた大事な何かを思い出す気がして」
甘く溶けるような笑みを浮かべたユウの表情が、哀しみを隠すため瞬時に変換した偽りであると確信した時、僕は悲しい気持ちにはならなかった。自身の経験上、自分を偽って演じるとき、それを相手に見抜かれるなんて絶対にあってはならなかったからだ。
過去の僕で言えば、最初は両親の仲を修復するためという理由だったが、いつしかそれは他者と円満な関係を築くためと変わり、『自らの感情や意思は表に出してはいけない』というのが正しいコミュニケーションであると誤認していった。
中学生の時の部活事件を機に、自分を犠牲にしてまで得られる価値を見出せなくなった僕は自ら声を断ち、とうとう先日は両親に対しても反抗の姿勢を見せた。もしユウと出会っていなければ、僕はそのうち声の出し方さえも忘れてしまっていたかもしれない。
そんなユウは、僕を文化祭のステージ披露に誘い、終いには一緒にグループからの独立を選択した。『私のように、自分に自分を奪われないで』と告げられたあの日の答えはまだ見つけられていない。しかしそれが、唯一の助けを求めるユウの本心であると方程式まで立てた。
そして今、僕がユウの演技に気付いているということは──。
「大切な人に向けた歌詞なんだ」
「そうなんだ。それならもっと気持ちを込めて歌わないとね。コウタくんの大切な人に伝わるように」
この時、僕が言う大切な人が自分のことであるとユウが気付いていたかは分からない。けれど、好きだと言ってくれた歌詞の部分をユウは繰り返し弾き続けて歌った。それは歌詞の世界に存在する主人公になりきり気持ちを込めているように見えたし、弾き語りをする自分自身に言い聞かせているようにも聴こえた。
ただ一つ確かなのは、ギターを弾いている時のユウは、心から自分を曝け出して命を削り歌っていた。それは紛れもなく真の姿だと確信できる。いつの日か、幼き頃から音楽と関わる機会が多かったと話してくれたこともあった。きっと、音楽に触れている時がユウにとって唯一自分らしくいられる瞬間なのだろう。
どうかこの時だけは誰にも奪われないように、そして大切にしてほしいと願いながら、この美しさと儚さを混ぜたような世界に僕は名前を付けた。
『イキワズライ』
最後のピースがはまったその瞬間、命名された曲が音を上げて力強く芽吹いた。
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