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Prologue
しおりを挟む暗雲がイルミネーション会場の上空をたなびかせ、人々が不安げに視線を揺らしている。やがて雨粒ではなく白雪が静かに舞い散ると、パッとその場に煌々たる色が付いた。
子供たちは驚喜として走り回り、その側をカップルが指を絡めながら心を温め合い、一眼カメラを構えた人が一瞬の幸せを記録に残していた。
ただの通り道なのか煩わしそうに歩く人も中にはいたが、ほとんどの人の表情はネオンのように眩しく、突然の空からの訪問者を歓迎したようだ。
その中で僕は、彼女と思わしき人物と談笑していた。思わしきというのは、それに近い関係だけど想いを告白していないだとか、仲の良い幼馴染の関係でそれを知らない他人からは恋人に見えるだろうだとか、そういうことではない。
まず僕はそれをもう一人の自分として、言い方を変えれば他人として見ていた。その隣にいる女の子も、僕がよく知っている人物だった。
自分という存在は、鏡やカメラを用いることで物理的に客観することは可能だ。もちろんその場合、自分の意志と反した行動をすることは在り得ない。ゆえに、いま僕の目の前で自由に動いているもう一人の自分は、どれだけ姿形がそっくりであっても他人と言うべきなのだろう。
ただそれは、決して非現実的な出来事ではなくて“起こりうる可能性があった“世界線を見ているというべきだった。
夢なら早く醒めてくれ。僕の感情は次第に警戒から嫌悪へと変わる。本当の僕が何よりも欲しかった幸せという名の花びらが、目の前で綿雪と混ざり合い散っていく。
そんな光景を目に映していると、背後から女の声が聞こえた。
「ずいぶんと憎しみを持っているのね」
振り向くと、そこには怪異な黒いローブを羽織った女が静かに僕を見つめていた。けれど、もう一人の自分が現実にいる今、この不可思議な現象を起こした人物だと考えるのが必然であり、さして驚くことではない。
臆することなく僕が目を合わせると、ローブ女は愚弄な笑みを浮かべて言った。
「そうだった、あなた声が出ないんだったわね」
『僕の何を知っている?』
実際に出たのは渇いた空気だけだったのに、ローブ女は演技ったらしく何度も頷いた。
「あなたの全てを知っているわ。大丈夫。私に全てを任せてくれたらきっと上手くいく。もっとも、最後はあなたが勇気を出せるかどうかだけど」
瞑想するように目を閉じたローブ女が何かを呟いた。その瞬間、真っ黒な拳銃が僕の手元に握られていて、僕は短く息を吐く。
「それで撃ち抜きなさい」
ローブ女の冷酷な声が、玩具のように見えた拳銃に重みを増させたような気がした。一気に沸き上がった汗が僕の手に滲む。
『撃ち抜くって誰を……?』
やはり口がわずかに動いただけで音の鳴らない僕の声を、ローブ女は簡単に読み解く。
「一人しかいないでしょう? あなたの未来を邪魔する者に銃口を向けるのよ」
僕の未来を邪魔する者。その時、背後でもう一人の僕の笑い声が聞こえた。それは何よりも偽物の僕である証拠だった。そうか、こいつがいるからあの日から僕はずっと──。
震える手を抑えながらターゲットに標準を合わせた僕は、引き金にかけた指に力を込めた。
♢
きっと、僕はおかしくなってしまったのだと思う。もう一人の自分が見えていることも、拳銃で撃ち抜けと言ってきたローブ女が見えていることも。そしてなにより偽物の拳銃とはいえ、自分とまったく同じ姿をした人間を躊躇いもなく撃とうとしたことが恐ろしい。
いや、実際に撃ったのだ。破裂音と共に白煙が浮遊し、火薬の匂いが鼻をついた。命中しなかったのか、あるいは空砲だったのかターゲットである偽物の僕は無傷で、何事もなかったかのように隣にいる女の子とイルミネーションを背に写真を撮っている。
「もう一度撃たないの?」
端的に見下した目を向けているローブ女が憎い。こっちだって本気で撃とうとは更々思っていない。今度は思考だけの呟きを、やはりローブ女は解読した。
「その割には躊躇いもなく撃ったわね。それも頭を狙って」
『…………』
「そんなに憎い? 少なくとも、あなたと同じ姿をしているのに」
『あんな化け物、僕なんかじゃないさ。君だって自分と同じ姿をした人間がいたら気味が悪いだろう?』
「そうかしら。私ならお友達になるために話しかけるわ。自分が二人いたら色々好都合なこともあるでしょう?」
『とんだ悪趣味だ』
抗うように再び拳銃を構えた僕は、偽物の僕の今度は心臓を狙って発砲した。しかし、派手な音が鳴るだけで何も現実は変わらない。これでは、電子の海で稚拙な言葉を張り上げている人間と同じだ。
『こんなの何の役にも立ちやしない』
拳銃を下ろした僕を見て、ローブ女が滑稽に笑う。
『何がおかしい?』
「あなたは何も分かっていないのよ」
『分かっていない? 何を?』
「私は言ったはずよ。あなたの未来を邪魔する者に銃口を向けるのよって」
こんなふうに誰かと話すのは随分久しぶりだ。実際には、僕は何も声を発していない人形のようなもので、だけどローブ女は僕と問題なくコミュニケーションを取ることができている。
過去にもそんな僕と話せる人が何人かいた。その中でも忘れるはずがない。今、偽物の僕の隣にいる女の子のことを。
今度は鉛のように拳銃が重く感じた。偽物の僕と笑い合う彼女に一瞬でも標準を合わせられない僕を見て、ローブ女が呆れた表情を浮かべる。
本当に彼女は──花咲ユウは僕の未来を邪魔する者か……?
今度は冷静になった頭の中で、記憶の箱がゆっくりと開いた。
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