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序章 少女
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夏が近いといっても6時半を過ぎるとさすがにほとんど日は沈み、薄暗い。
学校から既に二十分は歩いただろうか。町の高齢化と共にシャッター街と化した商店街を花たちは早歩きで進んでいた。
校門を出てから何度かあの顔が視界に入ったが、こちら人数が多いせいかいつもより距離は遠く、凜が横を歩いてくれていたおかげでいつもより気は楽だった。
「ここだ」
と前を歩いていた雅也が足を止めた。
そこは周りの建造物から妙に空間の空いた土地に立つ、朽ちた二階建てのアパートだった。ほとんどの塗装がはげ落ち、剥き出しになったコンクリートは更に黒く変色している。
落書きの一つの不気味な人の顔のようなものと目が合ったような気がして、身震いした。
「ちょっと待ってください!」
砕けたコンクリの破片が飛び散る地面を躊躇なく進んで行く雅也と凜を呼び止める。
「ここ、心霊スポット...ですよね...」
「知ってたんだ」
凜が振り返って言った。
横目でちらりと見やった先には、「松風荘」とかろうじて読める看板があった。
松風荘、花はこの名前を知っていた。しかも知ったのはごく最近、図書館で過去の新聞記事を漁っていた時のことだ。
今から約1年前、大学生や高校生が多く利用していたこのアパートでとある住民のが他の住民を無差別に惨殺するという凄惨な事件があった。
犯人は当時まだ16歳の少年。7人の首や胴体を包丁で切りつけ殺害し、8人目を襲い腹部を突き刺した後、ふっと糸が切れたかのように放心状態になり自らの首を切って死亡したという。
唯一生き残った被害者がまだ3歳の児童であったこと。犯行時刻が夜中であったこと。犯人が死亡していること。これらの理由からこの事件の解決は困難を極め、犯行動機すら解明できず未解決の事件として幕を閉じている。
その事件以降、血まみれの少年や包丁の突き立てられた男が何度ももく
「人に会いに行くんですよね。なのになんでこんな場所...」
「いいからいいから」
雅也に言葉を遮られて、花は口ごもる。手を引かれ、結局目的地であろう二回の角部屋の前まで連れられてきてしまった。
表札も剥げ、ポストには大量の新聞やチラシが詰まっている。それもよく見ると5年以上前のものばかりで、とても人の気配は感じられなかった。
コンコンと雅也がノックをする。扉の真横にインターホンが見えたが、壊れているのだろう。
「開いてるよ」
扉の向こうから低い男の声が聞こえた。本当に人がいるのか疑わしかったので少しビクリとする。
そんな花を見向きもせず
「知ってる」
と雅也たちは部屋の奥へ消えていった。
6畳ほどの狭い部屋にいたのは、平均身長ほどの制服姿の少年だった。雅也と同じ学ランということは、春日高校の生徒なのだろう。クッションに腰掛け、くせっけらしい前髪をうっとおしいそうにいじりながら、気だるげにこちらを見つめている。
「見ない顔だな」
「うちに相談に来た子」
雅也に目配せをされ、「はじめまして、一条花です」と頭を下げる。
「こいつは桜。さっきも言った通り、うちのもう一人の部員。あんまり学校来ないから知らなくてもしょうがないけど、同校でタメ。尖ったやつだけど力は本物だよ」
ね?と馴れ馴れしく相槌を求める雅也に対し、桜と呼ばれた男はさも興味なさげに
「うるさい。用があるならさっさと話せ」
と返事をした。否定しないのか、と思いながらも花は最初から事を話す。
かくかくしかじか話し終わると、桜は「逃げる霊か...」と一言つぶやいた。
顔を見ると、先ほどの表情とは打って変わってにやにやと笑みを浮かべている。
「その話を聞く限り、多分そいつはこの部屋にも居るな。さっきから感じてた変な気はそのせいか」
ぶつぶつと独り言を言っている桜に対し、凜が「で、いけそうなの?」と部屋に入って初めて口を開く。不機嫌そうだ。仲が悪いのだろうか。
「あぁ」
その一言で場に緊張が走る。
今の話を聞いただけで、解決の糸口か何かわかったのだろうか。
「勘違いするな。別に解決策を見つけたとかそういうのじゃない。ただ、そいつの姿ぐらいは、拝めるかもしれないって話だ」
そう言うと桜は、花に向かいこっちへこいという意味の手招きをした。ローテーブルを挟んだ桜の向かい側に座らされる。すると
「二人は部屋から出といてくれ」
と雅也と凜を部屋から追い出してしまった。ガチャンと扉が閉まる音が聞こえ、花と桜のみの空間となる。
「目を閉じてろ。そして何か感じてもいいというまで開くな。視線は、ああいうやつが最も嫌がる」
言われたとおりに目を閉じる。視界が無くなり、気味の悪い気配があたりに充満するような感覚になった。やけに静かに感じる。
「一条、日本史は得意か」
急に脈絡のない質問に驚く。
「得意...だとは思います」
「じゃあ、思いつく単語をひたすら頭の中で読み続けろ。これからいくつかお前に質問もするが、その間も止めたらダメだ。分かったか」
頷く。戸惑いもあったが、なぜか逆らえない空気が花をそうさせた。
とりあえず最近授業で習った室町時代から始める。足利尊氏、足利義満、元弘の乱、太平記
これが終わったら安土桃山だな、と考えていると、正面から声が飛んできた。
「好きな映画はなんだ」
また関係のない質問だ。
「ナウシカ」
単語を繰り返しているので、つい敬語をやめて答えてしまう。小さいころに金曜ロードショーで見てから、飽きることなく放送される度に見ている。
「好きなシーンは」
好きなシーンはもちろん、物語の序盤でナウシカが虫笛で暴走した王蟲を止めるシーンだ。襲われているユパを、空を飛ぶ勇敢な少女が助ける。
グライダーから降りユパに抱き着いた少女に言うのだ
「ナウシカ、見間違えたぞ。良い風使いになったな」
そんなことを言ってくれる人に憧れて、しばらくはナウシカの真似をして過ごしていた。とても懐かしい思い出だ。
文字と映像、その二つを頭の中で繰り返しながら、かすかにであるが自分の周りに何か奇妙なものが寄ってきていることを感じ取っていた。
見えない壁のような、でも輪郭がはっきりとしない靄のようなものが。
『いいと言うまで目を開くな』
そう言われたので瞼に力を入れる。意識はできるだけしない。ひたすらに頭の中で繰り返す、映像と単語。
上手くやれている、そう思っていた。次の言葉を聞くまでは。
「じゃあ、お前の後ろには何がいる」
全身に寒気が走る。『後ろ』「いる』この二つの単語がどれだけ無意識でいようとしても無理だった。
かろうじてナウシカのシーンだけは再生されているが、日本史の方は上手く出てこなくなった。ほとんどの意識が自分の真後ろへ向く。
頼むから、雅也と凜であってほしい。出て行ったのはいたずらで、こっそり部屋に戻ってきて自分の後ろに立っている。そういうことであってほしかった。
ナウシカがテトに噛まれる。背後の気配は消えない。むしろどんどん近づいて.....肩に.......両手を......
「目を開けろ!」
急な大声。花は決死の思いで勢いよく瞼を開く。電気のついた室内。すぐに後ろを振り向かなければ。
前方の視界はクリアに.......ならなかった。
目の前。あと数センチ近ければ触れてしまいそうな位置に、少女の顔があった。
全身は黒く顔だけが白い。ローテーブルに腰掛けた体は霧のようにうねうねと動き、顔のみがぴたりと止まり満面の笑みを浮かべてこちらを見つめている。
息を飲む。震えは止まらない。一瞬で脳内の二重奏が途切れてしまった。その瞬間、少女の顔は砂のように崩れ去り、空気中に散らばって消えてしまった。
同時に嫌な気配も感じられなくなる。花は息を切らせながらも、下を向くことはできなかった。もしもう一度視界を狭めてしまったら、またあの霊が現れそうだと思ってしまったから。
「なんなんですか...今の...」
「ちゃんと見えたみたいだな」
口元に手を当ててにやつく桜に、花はもう一度身を震わせた。
学校から既に二十分は歩いただろうか。町の高齢化と共にシャッター街と化した商店街を花たちは早歩きで進んでいた。
校門を出てから何度かあの顔が視界に入ったが、こちら人数が多いせいかいつもより距離は遠く、凜が横を歩いてくれていたおかげでいつもより気は楽だった。
「ここだ」
と前を歩いていた雅也が足を止めた。
そこは周りの建造物から妙に空間の空いた土地に立つ、朽ちた二階建てのアパートだった。ほとんどの塗装がはげ落ち、剥き出しになったコンクリートは更に黒く変色している。
落書きの一つの不気味な人の顔のようなものと目が合ったような気がして、身震いした。
「ちょっと待ってください!」
砕けたコンクリの破片が飛び散る地面を躊躇なく進んで行く雅也と凜を呼び止める。
「ここ、心霊スポット...ですよね...」
「知ってたんだ」
凜が振り返って言った。
横目でちらりと見やった先には、「松風荘」とかろうじて読める看板があった。
松風荘、花はこの名前を知っていた。しかも知ったのはごく最近、図書館で過去の新聞記事を漁っていた時のことだ。
今から約1年前、大学生や高校生が多く利用していたこのアパートでとある住民のが他の住民を無差別に惨殺するという凄惨な事件があった。
犯人は当時まだ16歳の少年。7人の首や胴体を包丁で切りつけ殺害し、8人目を襲い腹部を突き刺した後、ふっと糸が切れたかのように放心状態になり自らの首を切って死亡したという。
唯一生き残った被害者がまだ3歳の児童であったこと。犯行時刻が夜中であったこと。犯人が死亡していること。これらの理由からこの事件の解決は困難を極め、犯行動機すら解明できず未解決の事件として幕を閉じている。
その事件以降、血まみれの少年や包丁の突き立てられた男が何度ももく
「人に会いに行くんですよね。なのになんでこんな場所...」
「いいからいいから」
雅也に言葉を遮られて、花は口ごもる。手を引かれ、結局目的地であろう二回の角部屋の前まで連れられてきてしまった。
表札も剥げ、ポストには大量の新聞やチラシが詰まっている。それもよく見ると5年以上前のものばかりで、とても人の気配は感じられなかった。
コンコンと雅也がノックをする。扉の真横にインターホンが見えたが、壊れているのだろう。
「開いてるよ」
扉の向こうから低い男の声が聞こえた。本当に人がいるのか疑わしかったので少しビクリとする。
そんな花を見向きもせず
「知ってる」
と雅也たちは部屋の奥へ消えていった。
6畳ほどの狭い部屋にいたのは、平均身長ほどの制服姿の少年だった。雅也と同じ学ランということは、春日高校の生徒なのだろう。クッションに腰掛け、くせっけらしい前髪をうっとおしいそうにいじりながら、気だるげにこちらを見つめている。
「見ない顔だな」
「うちに相談に来た子」
雅也に目配せをされ、「はじめまして、一条花です」と頭を下げる。
「こいつは桜。さっきも言った通り、うちのもう一人の部員。あんまり学校来ないから知らなくてもしょうがないけど、同校でタメ。尖ったやつだけど力は本物だよ」
ね?と馴れ馴れしく相槌を求める雅也に対し、桜と呼ばれた男はさも興味なさげに
「うるさい。用があるならさっさと話せ」
と返事をした。否定しないのか、と思いながらも花は最初から事を話す。
かくかくしかじか話し終わると、桜は「逃げる霊か...」と一言つぶやいた。
顔を見ると、先ほどの表情とは打って変わってにやにやと笑みを浮かべている。
「その話を聞く限り、多分そいつはこの部屋にも居るな。さっきから感じてた変な気はそのせいか」
ぶつぶつと独り言を言っている桜に対し、凜が「で、いけそうなの?」と部屋に入って初めて口を開く。不機嫌そうだ。仲が悪いのだろうか。
「あぁ」
その一言で場に緊張が走る。
今の話を聞いただけで、解決の糸口か何かわかったのだろうか。
「勘違いするな。別に解決策を見つけたとかそういうのじゃない。ただ、そいつの姿ぐらいは、拝めるかもしれないって話だ」
そう言うと桜は、花に向かいこっちへこいという意味の手招きをした。ローテーブルを挟んだ桜の向かい側に座らされる。すると
「二人は部屋から出といてくれ」
と雅也と凜を部屋から追い出してしまった。ガチャンと扉が閉まる音が聞こえ、花と桜のみの空間となる。
「目を閉じてろ。そして何か感じてもいいというまで開くな。視線は、ああいうやつが最も嫌がる」
言われたとおりに目を閉じる。視界が無くなり、気味の悪い気配があたりに充満するような感覚になった。やけに静かに感じる。
「一条、日本史は得意か」
急に脈絡のない質問に驚く。
「得意...だとは思います」
「じゃあ、思いつく単語をひたすら頭の中で読み続けろ。これからいくつかお前に質問もするが、その間も止めたらダメだ。分かったか」
頷く。戸惑いもあったが、なぜか逆らえない空気が花をそうさせた。
とりあえず最近授業で習った室町時代から始める。足利尊氏、足利義満、元弘の乱、太平記
これが終わったら安土桃山だな、と考えていると、正面から声が飛んできた。
「好きな映画はなんだ」
また関係のない質問だ。
「ナウシカ」
単語を繰り返しているので、つい敬語をやめて答えてしまう。小さいころに金曜ロードショーで見てから、飽きることなく放送される度に見ている。
「好きなシーンは」
好きなシーンはもちろん、物語の序盤でナウシカが虫笛で暴走した王蟲を止めるシーンだ。襲われているユパを、空を飛ぶ勇敢な少女が助ける。
グライダーから降りユパに抱き着いた少女に言うのだ
「ナウシカ、見間違えたぞ。良い風使いになったな」
そんなことを言ってくれる人に憧れて、しばらくはナウシカの真似をして過ごしていた。とても懐かしい思い出だ。
文字と映像、その二つを頭の中で繰り返しながら、かすかにであるが自分の周りに何か奇妙なものが寄ってきていることを感じ取っていた。
見えない壁のような、でも輪郭がはっきりとしない靄のようなものが。
『いいと言うまで目を開くな』
そう言われたので瞼に力を入れる。意識はできるだけしない。ひたすらに頭の中で繰り返す、映像と単語。
上手くやれている、そう思っていた。次の言葉を聞くまでは。
「じゃあ、お前の後ろには何がいる」
全身に寒気が走る。『後ろ』「いる』この二つの単語がどれだけ無意識でいようとしても無理だった。
かろうじてナウシカのシーンだけは再生されているが、日本史の方は上手く出てこなくなった。ほとんどの意識が自分の真後ろへ向く。
頼むから、雅也と凜であってほしい。出て行ったのはいたずらで、こっそり部屋に戻ってきて自分の後ろに立っている。そういうことであってほしかった。
ナウシカがテトに噛まれる。背後の気配は消えない。むしろどんどん近づいて.....肩に.......両手を......
「目を開けろ!」
急な大声。花は決死の思いで勢いよく瞼を開く。電気のついた室内。すぐに後ろを振り向かなければ。
前方の視界はクリアに.......ならなかった。
目の前。あと数センチ近ければ触れてしまいそうな位置に、少女の顔があった。
全身は黒く顔だけが白い。ローテーブルに腰掛けた体は霧のようにうねうねと動き、顔のみがぴたりと止まり満面の笑みを浮かべてこちらを見つめている。
息を飲む。震えは止まらない。一瞬で脳内の二重奏が途切れてしまった。その瞬間、少女の顔は砂のように崩れ去り、空気中に散らばって消えてしまった。
同時に嫌な気配も感じられなくなる。花は息を切らせながらも、下を向くことはできなかった。もしもう一度視界を狭めてしまったら、またあの霊が現れそうだと思ってしまったから。
「なんなんですか...今の...」
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