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現実、日常を見る

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「あ」
「よす」

 昼休み。いつものように自分で作ったお弁当を食堂の隅でつついていると見知った顔に出会った。

「ここいい?」
「あぁ、うん。いいよ」

 渡瀬くんはミートソースパスタが乗ったお盆を手にしてわたしの隣に座った。

「弁当なんだ」
「うん。毎回買ったらそれなりに出費がかさむし……」

 学食は安いけど、それでも毎回買っていたらお金はどんどん無くなる。家にある食材はパパから受け取っている食費で買っているし、それでお弁当を作れば安く済む。

「てことは手作り?」
「うん。ママは料理しないから」
「え。てことは毎食三屋が作ってんの?」
「あ、ううん。朝はわたしだけど夜はパパが」

 パパは基本的に定時で上がって帰って来る。不安定なママの傍にいる為なのか、理由はわからないけど。だから夕食はパパが作っている。

「へぇ、お父さんも変な人って言ってたけどそこらへんはちゃんとしてるんだ」
「あ……ええと」

 ちゃんとしてる、というと少し違う気がしてわたしは言葉に詰まった。しかし正直に、こんな話をして良いものか。

「過剰にママとわたしを心配してるから。過保護、なのかな」
「なるほど。あーそういやさ……」

 食堂は時間が経つにつれて騒がしさが増す。その喧騒がわたしは苦手でいつもはお弁当を食べ終えたら食堂を出て人気のない場所で時間をつぶす。だけど今日は、渡瀬くんとお喋りを続けていた。

「ねぇ、渡瀬くんって話すのも上手だし気さくなのに……その、なんでいつも一人なの? どちらかといえば友達も多そうなのに」

 以前から気になっていたことを口にした。少し失礼かな、と思ったけど素直にそう思っているのだから仕方がない。
 事実、その通りだ。喋るのも上手で話も面白い。バイトも大学も家のことまで頑張ってるのに一人で行動してるなんて。

「そんなふうに見える?」
「うん。すっごく」
「あはは、そっか。ありがと。あー、なんつーか。俺の学年? 同じ入学年の奴らってなんか特殊でさ」
「特殊?」
「まぁ大人しいというか、オタク気質の奴らが多くて。俺アニメとか漫画とか観ねぇから話についていけなくて」

 そういえば高校の時に「一つ上の学年は不良が多いけどこの学年は真面目で良かった」と授業に来るたび言っている先生がいた。
 たまたま、偶然。一か所に同じ性質の人が集まるというのは十分あり得ることなのだろう。

「それだったらわたしもついていけなさそう。アニメも漫画もわかんないし」
「だよなー。無理してアニメとか漫画とかみて話合わせようとかも思わねぇし、別に大学だけが全てじゃねぇから」
「そうだよね、わたしもアルバイト始めようかな……」

 わたしの人間関係は家と大学、それからとーまお兄さんだけ。いずれは誰も知らない海の見える町へと引っ越す予定ではあるけど、それでもアルバイトを始めればそれ以上に誰かと楽しく過ごせることが出来るだろうか? そんな考えが浮かぶ。
 とーまお兄さん以外はいらないと、夏休みに決めたはずだったのに、それを破ろうとしているわたしは悪い子なんじゃないのかな。

「へぇ、親は大丈夫そうなの?」
「それは説得しなきゃなんだけど……お金もためておきたいし」

 なんだか暗い感情がぐるぐると渦巻く。

「そっか、卒業したら遠いとこ引っ越すんだっけ」
「うん。ママやパパには内緒」
「下手に居場所バレるとだるいよな。そりゃ金もいるだろうし。でも、ピンク髪ならバイト先も限られるな」
「あ……そっか、そうだよね」

 ここに来て気が付いた。この髪色ではアルバイト先も限られてしまうと。自立への一歩がいきなり絶たれようとしている。
 でもこのピンク色は失いたくない。とーまお兄さんがわたしに似合うと、そう言ってくれた色だ。

「あのね、実はこの髪色……大切な人がわたしに似合うって言ってくれた色なの」

 青よりピンク。リボンの騎士。もしかするととーまお兄さんは深い意味を持たずにそう言ったかもしれない。だけどそれでも、似合うと言ってくれたから。みゃうはそれを忠実に守りたかった。

「彼氏?」
「えーと、ではないんだけど……」

 説明が難しい。
 わたしたちは互いが唯一無二だと知っているけど客観的に表した関係性はわからない。恋人でも友達でもない、そういう存在はなんと呼ぶのかな? 

「ふーん、人に言われたなら変えにくいか」

 その関係性をどう解釈されたのかはわからないけど、あっさりとそれは飲み込んでくれたみたいだ。
 話題が途切れたタイミングでわたしは壁にかかった時計を確認する。次の講義が始まるまであと三十分程ある。いつもなら暇な昼休みは図書館へ行ったりスマホとにらめっこして過ごしているけど……。

「煙草吸いに行くけど、行く?」

 煙草。あまり好きじゃない。
 だけどわたしはここに一人残るのも、その誘いを断るのもなんだか嫌に思ってしまって、ただ「行く」とだけ返事をした。


「おー、佑丞くん」
「うぃっす」

 渡瀬くんの後ろを着いて行く。大学の敷地を出て住宅街の方へ真っすぐ進むと小さな新聞屋さんの前で渡瀬くんは立ち止まった。昔ながらの赤い灰皿が店前に置かれている。

「彼女かい?」
「まさか。友達っすよ」
「なーんだ残念だな」

 新聞屋さんのおじさんは大きく口をあけて笑っている。わざわざここに煙草を吸いにくるなんて、何か関係がある人なのかな。現状、どうしていいかわからなくて周囲を観察していると、とんとんと肩を叩かれる。

「いる?」
「あ……ありがとう」

 渡瀬くんが差し出してくれたのはキャンディだった。それを受け取る。渡瀬くんは左手にもった煙草の箱から煙草を一本取り出すと口に咥えて火をつけた。ライターのカチッと鳴る音が妙に耳障りが良い。その一連の仕草がわたしの目にはとてもきれいに映って、手の中のキャンディを口に放り込むことも忘れてわたしはずっと渡瀬くんの姿に釘付けになってしまった。

「それ、嫌いだった?」
「え?」

 指摘されてハッとした。キャンディが嫌いだと思われたのか、そんなことないよの意味を込めてわたしはキャンディを口に含む。

「ううん。ただ、かっこいいなって」

 苦手なはずの煙草も渡瀬くんが吸っていると様になるな、とそう思った。

「……周りに喫煙者いないの?」
「ママが昔吸ってたけど今はもう吸ってない。あんまり良い思い出じゃないから煙草も好きじゃなかったけど、でも渡瀬くんが吸ってるのは嫌じゃないかも。様になってる? って言うのかな」

 思ったことを正直に伝えた。
 一日中、薄暗い部屋の中で紫煙が燻っていたことを思い出す。わたしはその苦い煙が嫌いだった。ママは一日中、その煙を吐き出し続けて。学校で、わたしまでその煙と同じにおいだと指摘されてとても嫌だった。
 嫌な煙だった。わたしを、おかしくしてしまうような悪い魔法の煙だとそう思っていた。

「そりゃどーも。三屋は煙草よりキャンディが似合うよ」
「うん。甘いのが好き」

 元々お菓子をたくさん食べるほうじゃないけど。よく食べるのはグミくらいだと思う。でも苦いものと甘いものなら断然甘いものが好きだ。口の中で転がるキャンディはグレープ味だ。このチープなぶどうの味がとても可愛くて、おいしい。

「二年の終わりまでここで新聞配達のバイトやっててさ。でもたまにこうして煙草だけ吸いに来て良いって言ってくれてるから甘えてんの。ね、鈴木さん」

 渡瀬くんが振り向いて唐突に同意を求めると鈴木さんは広げていたか新聞から顔を覗かせて片手でグーサインをした。

「すごい」

 それは新聞配達のバイトをしていたこともそうだし、こうして人との良好な関係を築くことができる渡瀬くんに対してもそうだった。

「ふぅ、そろそろ戻るか」

 短くなった煙草が灰皿に押し付けられてオレンジ色の火は消える。それを見届けながら、きれいなのに勿体ないなぁとわたしは不思議なことを思ったり、した。
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