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現実、日常を見る

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 九月と言ってもまだ少し蒸し暑い。
 大学に向かう電車内は涼しくて快適。大学内も涼しい。だけど駅から大学へ向かう十五分の道のりは歩くだけで暑くて

「うーん?」

 わたしは大学の中でちょっぴり迷子になっていた。
 普段限られた講義室間でしか移動しないわたしは一年以上この大学に通っているのに大学構内を全然把握していない。特に渡り廊下を渡って東側はさっぱり。
 そんなふうに迷子になっていると既に指定された時間を迎えようとしていた。

「旧福祉教室って何……?」

 サークルの参加者に届いたメールを見返す。
 そこには『十五時に東棟旧福祉教室』とが指定されている。
 そもそもわたしの知っている講義室の名前は『Aなんとか教室』とか『Bなんとか教室』とかいうアルファベットで大体の場所がわかるようになっているから。

 構内マップを見てもイマイチぴんと来ない。
 仕方なく、わたしはひたすらに廊下を歩き始めた。
 
その教室を見つけたのは十五時を二分程過ぎた頃だった。東棟一階の一番奥にある教室。こんな変な場所にあるんじゃ辿り着けるわけがない。

「すみません、遅れました……」

 ノックをしてからドアを開けて顔を覗かせるとそこには十人程が会議室のように机を四角く配置して座っていた。
 ぎょろりとたくさんの目に注目されて固まる。遅れて入ってきたから、というのもあると思う。だけどその視線には好奇の意味が含まれているように思う。
 だってわたしの髪、ピンクだし。
 この真面目な教育大学ではそう見ない色。軽音サークルにでも入っていないとこんな色にはしないと思う。

「あぁ、それじゃあそこに座って。名前は?」

 ぽっちゃりした中年ぐらいに見える講師。メールをくれた「黒田先生」かな。

「三屋です。三屋うさぎ」
「三屋さんね」

 多分黒田先生は手元の紙に何かを記入している。
 指定された通りこの出入口に近いイスに座る。見たことない人ばかりだ。そもそもディベートサークルなんてわたしは存在も知らなかったし、何かサークルに入ることを検討するときに候補にはあまりあがらないんじゃないかな、失礼ながら。

「うん、あと一人来ていないけど始めようか。後期から参加してくれている人は初めまして、顧問の黒田です。このサークルでは……」

 黒田先生はこのサークルで何が行われるのか、その例をあげて説明し始めた。わたしはあんまりそれを聞かずにぼんやりと教室内を観察していた。
 本当に見たことない人ばかり。学年が違うのか、学科が違うのか。あまり社交的じゃないわたしにとってなかなか緊張する場面でもある。それにディベートをするなら絶対に話をして関りあいにならないといけないし。

「それじゃ心機一転自己紹介でもしようか。一人一分で。佐藤くんから時計回りでいこう」

 黒田先生は自分のすぐ横に座る男子を指し示す。そこから行けば私の発言は八番目。
 でも一分を喋ることが思いつかない、七人分の自己紹介を聞いて参考に……うーん、参考にできるかな。

「三年の佐藤です。僕は一年からこのサークルに所属していて……」

 いかにも真面目そう、と冷静に人間観察をしてみる。
 一分も何を話すのかと思ったけど四人目まで進んで共通しているのはみんな自分の専攻や趣味、将来の目標について話している。
 次でわたしの順番。
 未だに何を話すか決めかねてドキドキしていると背後でバンッと大きな音が鳴る。驚いて振り返るとひとり、男の子が不機嫌そうな顔でドアノブを握っていた。

「……ディベートサークル、ここっすよね?」
「あぁ、そうだよ。えーと、君は渡瀬くんかな?」
「っす」
「待っていたよ。そこに座って。今は自己紹介中だから」

 わたしの隣の席に渡瀬くんと呼ばれた男の子が座る。座るなりテーブルの下でスマホを触り始める。この匂いは香水だろうか。なんだか甘い匂い。
 正直、苦手なタイプだと思った。それにこの場ではアウェイだ。ピンク髪のわたしが言えたことではないけど。 
教室内のバランスがわたしと、この突然現れた渡瀬くんのせいでおかしなことになっている。
 途中で自己紹介を止められた隣の人が自己紹介を再開する。趣味のゲームについて話していて、体感少し長めに話してから頭を下げて席に座る。拍手がやんだタイミングでわたしは立ち上がる。視線が再びわたしの方へ向いてわたしの中にピリッとした緊張が走った。

「二年の三屋うさぎです。わたしは……」

 七人の自己紹介の間に考えていたこと、まずパパが教師でその影響で自分自身も教師を目指していることを述べた。それから得意教科。
 しかしそれを述べたところで思いのほか時間が経っていないことに気が付く。

「……ええと、それから……わたしは海が好きで、特にクジラが好きで……将来は海の見える町に住みたいです。これで、終わります」

 ぎこちなく、全く話す予定じゃなかったことを述べた。ぺこりとお辞儀をすると拍手が鳴った。そのまま下を向いて着席する。
 緊張した。話すのは嫌いじゃないはずなのにどうしてもその緊張は消えてくれない。たくさんの視線や意識がわたしに向いていた。その感覚はぞっとする。
 バクバクと鼓動が止まらなくてわたしは胸を押さえた。
 ふぅ、大丈夫、大丈夫……。

「三年の渡瀬佑丞 わたせゆうすけ。まぁ、頭それなりに良かったんでこの学校に来ました。別に教師にはなりたいとか思ってないんで――このサークルも無理矢理入れられたような感じです」

 意外にもわたしの心臓の鼓動はそんなやる気のない自己紹介によって抑えられた。
 拍子抜けだった。予想通りと言えば予想通りだけど、予想を上回るやる気のなさ。そして何より、わたしはその自己紹介の内容にどことなく親近感を感じていた。
 わたしも勉強には不自由していなくて、今でこそ教師を志しているけどそれだって夏休み前までは思っていなかったことだ。このサークルにも担任の先生に言われたから来たのであって。

「ここ来ないと単位くれないって担任が言ってるんで。それだけです」

 その言葉に黒田先生と一部のメンバーが軽く笑った。
 拍手が起こり、止んで最後の人に自己紹介の順番が移動する。
 わたしはそれとなく隣に座る渡瀬くんを気にしていた。この真面目な場所にもこんな人がいるものかと過ぎた感心を覚えていた。
 普段受けている講義にもこんな人いないもん、だって。
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