20 / 55
変化していく日常
4
しおりを挟む
次に紅に会う事ができたのは翌日、日曜日だった。
パパは予定があり朝から出かけている。帰ってくるのは夜だという。翠はパパはを送り出した後で早速クローゼットの扉を開いた。
「おはよう紅」
「おはよう翠。昨日はどうだった?」
翠は昨日一日が楽しい一日だったと紅に報告をした。これからは葛とも仲良くなれそうだという事、紅とも様々な場所へ出かけたいという事も伝えた。黙って話を聞いていた紅は楽しそうに話をする翠とは反対に難しい顔をしている。
「紅? どうかした?」
興奮気味に話をしていた翠だったが不意に紅の様子に気が付き口を閉じる。
「ううん、なんでもないんだけど……」
その様子は「なんでもない」ようには見えなかった。
「ごめん、ぼく喋りすぎてた?」
「違う、違うんだけど……」
紅は何かを考え込んでいた。まるで翠の存在など見えていないかのようにじっと何かを考え込んでいる。
「葛さんが家で働き始めたのって、翠が三歳の時よね?」
「そうだと思う。保育園に迎えに来てくれてたのを覚えてるから」
「そうよね……」
紅は葛の事ををあまり知らない筈だ。紅がクローゼットに閉じ込められたのは三歳の時。葛が家に来るようになったのは翠が四歳の時。そして紅は葛に直接会ったことがない筈だ。
「あ、でも葛さんはぼくを避けてたって。ぼくに心当たりはないんだけど」
翠は昨日感じた疑問を紅にも説明した。何故葛が自分を避けていたのかはさっぱりわからないと。
「葛さん、は」
「うん?」
「翠を怖がってたのよね?」
「怖がってたと言うか、苦手だったって。ぼくは避けられてるとは思っていなかったけど……でもなんでぼくを避けていたのかはわからないんだ」
「…………考えすぎじゃないかしら?」
「えっどういうこと?」
「葛さんって子供がいないんでしょう? それなら小さい子供との接し方がわからなくて避けていても不思議じゃないわ」
「そうかなぁ……」
「考えすぎよ。もう過ぎた事だわ。それにこれからは上手くやれそうなら良かったじゃない」
「そっか、そうだよね」
葛は正直に、翠が苦手だったと話してくれたのだ。だというのに翠が歩み寄らなくては意味がない。葛の意図がわからずあれこれ考えてしまったが紅の言う通り、過ぎた事だ。
「もしかしたら葛さんなら紅のこともわかってくれるんじゃない? 昨日だってすごく楽しめたし、これからは仲良くできそうだし、葛さんなら……」
「だめよ。絶対にだめ」
遮るようにぴしゃりと言われ翠は出しかけていた言葉を引っ込めた。しかし翠は意見を曲げずすぐに言葉を続けた。このままではいけないと翠も薄々感じていたのだ。
「でも紅だって、ぼく以外の人と話したくないの? ぼくのフリは無しでさ、紅のままで」
翠にとって昨日の時点で葛は信頼に値する人物になっていた。きっと紅のことも理解してくれると、そう考えたのだ。
「わたしの存在は絶対に知られちゃいけない。万が一パパにばれたらどうなるか。それに……」
強迫的に、紅は翠の存在が見えていないかのように呼吸を荒くして取り乱していた。紅はパパに自身の存在が知られる事を極端に怖がっている。長年クローゼットに押し込められ鍵をかけられていた。もしも勝手にクローゼットから出てあまつさえ翠のフリをしている事が知られてしまったらどうなるか。紅にとってそれはとてつもなく恐ろしいことなのだろう。
「でも葛さんはぼくに謝ったことをパパには内緒にしてって言ったんだ。だからパパに言うようなことは無いと思う」
「違う、あの人は翠を避けていたんじゃない、わたしを怖がっていたんだわ……」
「どういうこと? だって、紅のことはパパしか知らないんでしょ?」
翠が尋ねると紅ははっとした表情で翠を見つめたが一拍置いてゆっくりとため息を吐き出した。
「パパが話したのよ、わたしのこと。何かの間違いでわたしがクローゼットから出たら大変だもの……万が一のことがないように話したのよ」
紅の話はあくまで紅の憶測でしかない。
葛の勤務時間は夕方まで。翠がまだ小さい時でさえ十九時までの勤務だった。それなのに幼い翠を苦手とする理由がない。そもそも子供が苦手だというなら小さな子供のいる家で家政婦などしない。小さい子どもが苦手だった、という予想は間違っている事となる。
「翠。葛さんも信頼してはダメ。パパとどう繋がっているかわからないもの。わたしの存在は絶対に知られてはだめなんだから」
紅の目は真剣だった。真剣以上に不気味に、唯一の繋がりである翠にさえも毒の牙を向けるようなそんな生彩。
「わ、わかった」
翠は力強く頷いた。頷く以外の選択肢はここにはない。
紅を守る必要があった。ほんの些細なことでも紅に繋がることを葛に話さない。気がつかれてはいけない。翠は自身の認識の甘さを反省し何があっても誰にも紅の事は話さないよう、紅を守ると決めた。
さながら騎士のような気分だ。
「今日は疲れたからもう休むわ。わたしが次に学校へ行くのは明後日で良い?」
「うん。紅、ごめんね」
「いいの。わたしが無理を言っているんだもの」
その言葉を最後に紅はクローゼットの奥へと消えた。翠にとって紅は大切な存在だ。万が一パパに紅の存在が知られてしまえばもう二度と紅に会えないかもしれない。恐ろしい事だ。せっかく出会う事のできた存在を失ってしまうなど、あってはならない。
紅の存在は、誰にも知られてはいけないのだ。
パパは予定があり朝から出かけている。帰ってくるのは夜だという。翠はパパはを送り出した後で早速クローゼットの扉を開いた。
「おはよう紅」
「おはよう翠。昨日はどうだった?」
翠は昨日一日が楽しい一日だったと紅に報告をした。これからは葛とも仲良くなれそうだという事、紅とも様々な場所へ出かけたいという事も伝えた。黙って話を聞いていた紅は楽しそうに話をする翠とは反対に難しい顔をしている。
「紅? どうかした?」
興奮気味に話をしていた翠だったが不意に紅の様子に気が付き口を閉じる。
「ううん、なんでもないんだけど……」
その様子は「なんでもない」ようには見えなかった。
「ごめん、ぼく喋りすぎてた?」
「違う、違うんだけど……」
紅は何かを考え込んでいた。まるで翠の存在など見えていないかのようにじっと何かを考え込んでいる。
「葛さんが家で働き始めたのって、翠が三歳の時よね?」
「そうだと思う。保育園に迎えに来てくれてたのを覚えてるから」
「そうよね……」
紅は葛の事ををあまり知らない筈だ。紅がクローゼットに閉じ込められたのは三歳の時。葛が家に来るようになったのは翠が四歳の時。そして紅は葛に直接会ったことがない筈だ。
「あ、でも葛さんはぼくを避けてたって。ぼくに心当たりはないんだけど」
翠は昨日感じた疑問を紅にも説明した。何故葛が自分を避けていたのかはさっぱりわからないと。
「葛さん、は」
「うん?」
「翠を怖がってたのよね?」
「怖がってたと言うか、苦手だったって。ぼくは避けられてるとは思っていなかったけど……でもなんでぼくを避けていたのかはわからないんだ」
「…………考えすぎじゃないかしら?」
「えっどういうこと?」
「葛さんって子供がいないんでしょう? それなら小さい子供との接し方がわからなくて避けていても不思議じゃないわ」
「そうかなぁ……」
「考えすぎよ。もう過ぎた事だわ。それにこれからは上手くやれそうなら良かったじゃない」
「そっか、そうだよね」
葛は正直に、翠が苦手だったと話してくれたのだ。だというのに翠が歩み寄らなくては意味がない。葛の意図がわからずあれこれ考えてしまったが紅の言う通り、過ぎた事だ。
「もしかしたら葛さんなら紅のこともわかってくれるんじゃない? 昨日だってすごく楽しめたし、これからは仲良くできそうだし、葛さんなら……」
「だめよ。絶対にだめ」
遮るようにぴしゃりと言われ翠は出しかけていた言葉を引っ込めた。しかし翠は意見を曲げずすぐに言葉を続けた。このままではいけないと翠も薄々感じていたのだ。
「でも紅だって、ぼく以外の人と話したくないの? ぼくのフリは無しでさ、紅のままで」
翠にとって昨日の時点で葛は信頼に値する人物になっていた。きっと紅のことも理解してくれると、そう考えたのだ。
「わたしの存在は絶対に知られちゃいけない。万が一パパにばれたらどうなるか。それに……」
強迫的に、紅は翠の存在が見えていないかのように呼吸を荒くして取り乱していた。紅はパパに自身の存在が知られる事を極端に怖がっている。長年クローゼットに押し込められ鍵をかけられていた。もしも勝手にクローゼットから出てあまつさえ翠のフリをしている事が知られてしまったらどうなるか。紅にとってそれはとてつもなく恐ろしいことなのだろう。
「でも葛さんはぼくに謝ったことをパパには内緒にしてって言ったんだ。だからパパに言うようなことは無いと思う」
「違う、あの人は翠を避けていたんじゃない、わたしを怖がっていたんだわ……」
「どういうこと? だって、紅のことはパパしか知らないんでしょ?」
翠が尋ねると紅ははっとした表情で翠を見つめたが一拍置いてゆっくりとため息を吐き出した。
「パパが話したのよ、わたしのこと。何かの間違いでわたしがクローゼットから出たら大変だもの……万が一のことがないように話したのよ」
紅の話はあくまで紅の憶測でしかない。
葛の勤務時間は夕方まで。翠がまだ小さい時でさえ十九時までの勤務だった。それなのに幼い翠を苦手とする理由がない。そもそも子供が苦手だというなら小さな子供のいる家で家政婦などしない。小さい子どもが苦手だった、という予想は間違っている事となる。
「翠。葛さんも信頼してはダメ。パパとどう繋がっているかわからないもの。わたしの存在は絶対に知られてはだめなんだから」
紅の目は真剣だった。真剣以上に不気味に、唯一の繋がりである翠にさえも毒の牙を向けるようなそんな生彩。
「わ、わかった」
翠は力強く頷いた。頷く以外の選択肢はここにはない。
紅を守る必要があった。ほんの些細なことでも紅に繋がることを葛に話さない。気がつかれてはいけない。翠は自身の認識の甘さを反省し何があっても誰にも紅の事は話さないよう、紅を守ると決めた。
さながら騎士のような気分だ。
「今日は疲れたからもう休むわ。わたしが次に学校へ行くのは明後日で良い?」
「うん。紅、ごめんね」
「いいの。わたしが無理を言っているんだもの」
その言葉を最後に紅はクローゼットの奥へと消えた。翠にとって紅は大切な存在だ。万が一パパに紅の存在が知られてしまえばもう二度と紅に会えないかもしれない。恐ろしい事だ。せっかく出会う事のできた存在を失ってしまうなど、あってはならない。
紅の存在は、誰にも知られてはいけないのだ。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
忘れられし被害者・二見華子 その人生と殺人事件について
須崎正太郎
ミステリー
用水路で発見された、若き女性の惨殺死体。
その身体には中学校の卒業写真が、画びょうで刺されて貼りつけられていた。
写真にうつっていた女の名前は、二見華子(ふたみはなこ)。
用水路沿いにある古アパートの一室で暮らしていた華子の人生は、いかようなものだったのか。なぜこのような遺体と化したのか。
地方紙の記者は、華子の人生と深く関わってきた六人の人物を見つけだし、彼女の人となりを取材する。
その実態は。
惨殺事件の真相は――
若月骨董店若旦那の事件簿~水晶盤の宵~
七瀬京
ミステリー
秋。若月骨董店に、骨董鑑定の仕事が舞い込んできた。持ち込まれた品を見て、骨董屋の息子である春宵(しゅんゆう)は驚愕する。
依頼人はその依頼の品を『鬼の剥製』だという。
依頼人は高浜祥子。そして持ち主は、高浜祥子の遠縁に当たるという橿原京香(かしはらみやこ)という女だった。
橿原家は、水産業を営みそれなりの財産もあるという家だった。しかし、水産業で繁盛していると言うだけではなく、橿原京香が嫁いできてから、ろくな事がおきた事が無いという事でも、有名な家だった。
そして、春宵は、『鬼の剥製』を一目見たときから、ある事実に気が付いていた。この『鬼の剥製』が、本物の人間を使っているという事実だった………。
秋を舞台にした『鬼の剥製』と一人の女の物語。
声を聞いた
江木 三十四
ミステリー
地方都市で起きた殺人事件。偶然事件に巻き込まれた女性占い師みさと。犯人を追う益子君と福田君という幼なじみの刑事コンビ。みさとは自分の占いに導かれ、2人の刑事は職務と正義感に従い犯人を追いつめていく。
この満ち足りた匣庭の中で 一章―Demon of miniature garden―
至堂文斗
ミステリー
――鬼の伝承に準えた、血も凍る連続殺人事件の謎を追え。
『満ち足りた暮らし』をコンセプトとして発展を遂げてきたニュータウン、満生台。
巨大な医療センターの設立を機に人口は増加していき、世間からの注目も集まり始めていた。
更なる発展を目指し、電波塔建設の計画が進められていくが、一部の地元住民からは反対の声も上がる。
曰く、満生台には古くより三匹の鬼が住み、悪事を働いた者は祟られるという。
医療センターの闇、三鬼村の伝承、赤い眼の少女。
月面反射通信、電磁波問題、ゼロ磁場。
ストロベリームーン、バイオタイド理論、ルナティック……。
ささやかな箱庭は、少しずつ、けれど確実に壊れていく。
伝承にある満月の日は、もうすぐそこまで迫っていた――。
出題篇PV:https://www.youtube.com/watch?v=1mjjf9TY6Io
この満ち足りた匣庭の中で 二章―Moon of miniature garden―
至堂文斗
ミステリー
それこそが、赤い満月へと至るのだろうか――
『満ち足りた暮らし』をコンセプトとして発展を遂げてきたニュータウン、満生台。
更なる発展を掲げ、電波塔計画が進められ……そして二〇一二年の八月、地図から消えた街。
鬼の伝承に浸食されていく混沌の街で、再び二週間の物語は幕を開ける。
古くより伝えられてきた、赤い満月が昇るその夜まで。
オートマティスム、鬼封じの池、『八〇二』の数字。
ムーンスパロー、周波数帯、デリンジャー現象。
ブラッドムーン、潮汐力、盈虧院……。
ほら、また頭の中に響いてくる鬼の声。
逃れられない惨劇へ向けて、私たちはただ日々を重ねていく――。
出題篇PV:https://www.youtube.com/watch?v=1mjjf9TY6Io
仏眼探偵 ~樹海ホテル~
菱沼あゆ
ミステリー
『推理できる助手、募集中。
仏眼探偵事務所』
あるとき芽生えた特殊な仏眼相により、手を握った相手が犯人かどうかわかるようになった晴比古。
だが、最近では推理は、助手、深鈴に丸投げしていた。
そんな晴比古の許に、樹海にあるホテルへの招待状が届く。
「これから起きる殺人事件を止めてみろ」という手紙とともに。
だが、死体はホテルに着く前に自分からやってくるし。
目撃者の女たちは、美貌の刑事、日下部志貴に会いたいばかりに、嘘をつきまくる。
果たして、晴比古は真実にたどり着けるのか――?
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる