パパには言わない

田中潮太

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少女たちの深まる仲

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 クラブ活動を終えた翠は急いで帰宅した。エレベーターが上へと昇っていくスピードでさえ遅いと感じる程に翠は早く紅にこの『可能性』を確認したかった。
 ドアにカードキーを当てて部屋へ入る。

「紅!」

 大きな声で名前を呼ぶ。しんとしたリビングに翠の声が響く。リビングは依然静寂を保っている。翠の気が付いた『可能性』は気のせいだったのだろう。ほっとしたのもつかの間、自室にランドセルを置いたその時だった。

「翠。おかえりなさい」

 紅だった。紅はにっこりと笑って、佇んでいた。

「べ、紅……」
「どう? 学校は楽しかった?」

 不気味とも感じられる笑みだった。
 紅がクローゼットを出て、翠に話しかけてくる。その状況は翠も望んでいた筈だ。紅がクローゼットを出て一緒に過ごせる日の事を。

「紅、出られるようになったの……?」
「うん。コツを掴めば簡単だったわ」

 紅がクローゼットから出ている。その事実は翠の感じた可能性を確信に近づけるものだった。

「ね、ねぇ紅」
「なに?」
「もしかしてさ……昨日、ぼくの代わりに学校へ行った?」

 翠の感じた可能性。それは紅が翠のフリをして学校に行く事。そうすれば、全ての辻褄が合う。紅が学校へ行けば、翠は水曜日登校していない。紅が教室内で何かをしたなら木曜日に人間関係が変わっていてもおかしくはない。

「ええ。行ったわよ」

 紅はあっさりとそう白状した。
 翠の考えた可能性は正しかったのだ。

「なんで? だって、ぼくに声もかけずに……クローゼットから出られたなら一言、言ってもらえれば」
「違うの。聞いて」

 紅は否定する。そして昨日起きた事を紅は翠へ説明を始めた。

「夜中にわたしはクローゼットから出る事が出来た。翠に呼ばれたの」
「え? ぼく? そんなことしていないけど」
「あなたはきっと無意識だった。翠はクローゼットを開けて、南京錠の鍵まで開けた。そして今度はあなたがクローゼットに入ってきた」

 信じがたいことだった。翠にはそんなことをした記憶はまるで無い。けれど翠がクローゼットを開けた時のように、無意識でやっていたのだとしたら――翠はあまり考えたたくはなかったが、紅を見つけた時のように無意識でやったと言われても完全には否定ができない。

「あなたがクローゼットに入ってしまったらきっとパパはすぐに気が付く。だからわたしは咄嗟にクローゼットを出てあなたのフリをすることにした」
「それで、昨日一日は紅がぼくのフリを?」
「そう。普段からあなたになりきる練習をしておいて良かったわ」

 今朝、パパと少し会話を交わした時もパパの様子に変わりはなかった。紅は昨夜、翠としてパパと対面してる筈だ。もし異変に気が付かれていれば、今朝翠にその話をするに違いない。けれど今朝はいつもと変わらぬ朝だった。つまりはパパは気が付かなかったのだ。

「パパの前ではさすがに緊張したけどね。普段から翠とそれ程距離が近いわけじゃあないみたいだし、助かった」
「そ、そっか……それより……紅、学校で何かあったの?」

 翠を取り巻く環境の変化。昨日一日紅が翠に成り代わっていたのだから、そこで何かが起きていたに決まっている。

「だって翠、仲間外れにされていたでしょ?」
「仲間外れというか……いつもひとりでいたよ」
「まるでいないみたいに扱われていたじゃない。わたし、納得できなくて」

 翠は紅に、教室で孤立していることは伝えていなかった。教室で起きた出来事や授業の話は紅に話していたが、自分が孤立しているというマイナスにも取れる情報を話していなかったのだ。

「それで、何かしたの?」
「玲那って子、いたじゃない」

 翠は一度、交換日記をしていた相手として玲那の事を紅に話したことがあった。

「一日観察していたけど、クラスの中心にいたいのか必死だったのよ。作り笑いをしたり金魚のふんみたいに他の子たちについて行ったり……」

 確かに玲那は翠と疎遠になってから凛子や瑞樹、由愛と行動を共にしていた。けれどそれは単にそちらと気が合うからだと翠は思っていた。クラスの中心にいる為だなんて発想は翠には存在していなかった。

「別に本人たちがそれでいいならわたしには関係ないけど、でも翠の話から察するに玲那って子はクラスの中心にいたいが為に翠を除け者にしたんだと思ったの」
「でも、そんなこと」
「あるわ。隅っこにいるより中心にいって注目されたい、カーストのトップへ行きたいと思う人間はいるもの」

 きっぱりと言い切られ緑は押し黙る。

「だから言ってやったのよ。ぜんぶ」
「全部……って」
「クラスの中心にいたいからってその三人にすり寄って楽しい? って。わたしと仲良くしてたのに急に避けられて悲しかったって」

 自分の知らないところでそんなことが起きていたとは考えたくもなく翠は何も言えなかった。
 紅は饒舌にも続ける。

「最初は反論してきたわ。でもあの三人――凛子と瑞樹と由愛も心当たりがあったのか黙ってたわ。普通、友達がピンチなら加勢するでしょうに」

 その時の教室の空気を想像するだけで翠は気が遠くなる思いだった。ずっと控えめに静かに学校生活を送ってきたのだ。もちろん望んでそうしていた訳ではない。
 しかし結果的に良い方向に傾いたとはいえ目立つ行動を取り、あまつさえ人を陥れるような――その事がパパに知られたらと考えると恐怖だ。

「でも最終的に玲那はわたしに謝った。わたしは許した。玲那が泣きながら帰った後で何人かはわたしに好意的に話しかけてきたわ。その三人も。わたしの予想だと今日の学校は楽しかったんじゃない?」

 楽しくなかった、と言えばそれは嘘になる。好意的に接して貰える事は嬉しい事だった。翠は学校生活をひとりで過ごすこ事になれてはいたが、友人に囲まれ過ごす事が嫌いというわけではない。ただ機会がなかっただけだ。むしろたくさんの友達ができることは嬉しいことだ。

 それでも、今の話の中で一つ引っかかることがある。

「楽しかったけど……でも今度は玲那が一人になってた」

 恐らく教室で見せしめのように非難され最後は泣き帰ったというのだから心の内は辛いものだろうと、翠はかつての友人を憂いた。自分のせいで誰かが辛い思いをする事は翠には納得のいかない事だ。

「いいじゃない? べつに」
「え?」
「だって翠を突き放して自分の立場を選んだ子でしょ? 実際、わたしは本当のことを教えてあげただけだもの」

 場合によっては玲突きつけた言葉も本当のことかもしれない。だからと言って今度は玲那が孤立するというのはおかしいと、翠はそんなように思う。

「でも……」
「翠。あなたがそんなに気にすること? いいじゃない、別に。もし玲那がまだ翠たちと仲良くしたいというのなら土下座をしてでも輪に戻って来るでしょうし、友達が欲しいなら他の子に話しかければいい」

 翠は孤独が好きなわけではなく、できることなら仲の良い友人は欲しいと思っていた。しかし誰かを傷つけてまで友人が欲しかったわけではないのだ。
 土下座云々はともかく言われてみれば今この状況ともなるとあとは玲那の問題かもしれない、自分は気にする事ではないと翠は強引に自分を納得させた。紅を否定するような事もこれ以上言いたくなかった。翠は紅と喧嘩をしたいわけでも、紅自身を否定したい訳でもない。
 翠は直接の現場を見てはいないが紅が言った通りの言葉を玲那にかけたのなら、今更翠が玲那に話しかけるのは傍から見ればおかしな話だろう。

「わかった。ともかく、ありがとう」

 お礼をするのも違和感があったが紅は翠の為に一連の行動を起こしてくれたのだ。方法はともかく、紅が自分の為に動いてくれたという事実は複雑ながら嬉しかった。

「翠のためでもあるし、わたしが気に食わなかったのもあるから」

 紅は今までに見せた事のないうっとりとした顔で微笑んだ。それは外へ出ることができた嬉しさや翠の為に何かを成し遂げたという達成感からの笑みではなく自己満足、恐らく本音は後者なのだろう。残念なことに、翠はここで紅という少女の真意に気が付くことは無かった。

 結果的に翠の小学校生活は最後にして一変し、毎日を友人たちに囲まれて過ごすことができるようになった。玲那の事は気がかりだったがあと数か月もすれば卒業であったし、翠は段々と玲那のことを気にかけるのをやめ友人たちと過ごす楽しさに夢中になっていた。
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