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翠の目下のところの議題は先程柚希が話していた事についてだ。頭の中でぐるぐると考え、テレビの中の面白い話題などは頭に入る余地がない。
翠の記憶、四歳以降の、では保育園や小学校の行事は都合さえあえば葛が来ていた。しかし葛がこの家で仕事を始めたのは母が亡くなった後だと聞いている。なのでこの件を葛に確認をすることはできない。当然、パパに尋ねるのも不可能だ。そうなるともう事実の証明をする方法は無いに等しい。
紅に尋ねる。それしか方法はない。紅が保育園の事を知っているという確信はないけれど今の翠にはそれしか方法が思いつかなかった。
食べ終えた冷やし中華のスープをシンクに捨てて容器を軽く洗ってゴミ箱へと捨ててから、翠はふと考える。
パパの部屋に昔の写真やビデオカメラのようなものが残っていないかと。そして紅を閉じ込めている鉄格子の鍵もそこにないかと。けれどすぐにその考えを打ち消す。パパは部屋に鍵をかけている。仕事の機密情報がたくさん部屋にあるから、と。
「だめかぁ……」
その呟きに反応する者はこの場にはいない。
意を決してクローゼットの前に立つ。そっとドアを引くと、ドアは開いた。制服以外の服を身に纏って対面するのはこれが初めてだった。
「おはよう。時間としてはもうこんにちはかしら?」
いつものようにクローゼットの奥の暗闇から現れた紅はやはりいつもの小学校の制服を身に着けていた。
「どっちでも良いと思う。えーと、今日の気分はどう?」
我ながら意味不明な質問をしたと思った。紅と対峙すると一種の緊張を感じてしまう。
「今日は悪くないかな。翠は?」
「ぼくは少し悪いかな。変な夢を見たんだ」
「変な夢?」
翠は今朝がたみた夢の内容を紅に説明した。紅が優しくなったという部分は流石に省いたが……こうした方が、直接的にママのことを聞くよりも紅がママのことを話してくれるのではないかと考えたからだ。
「ふぅん、ママのこと」
「うん。ぼくはママのことを少しも覚えていないから」
「写真も見たことは無い?」
「うん。ママのことを聞くとパパは怒るから。昔、ママのことを知りたくてパパに聞いたら頬をぶたれたんだ」
幼い翠には衝撃的な出来事だった。ママのことを教えてとせがむと――パパは頬をぶった。そのことがショックで翠は以降、ママの話をするのをやめた。パパは謝って頬を冷やす為の氷を用意してくれたが、パパが感情を露にするのを翠が見たのもそれが最初で最後かもしれない。
「そう。知りたい? ママのこと」
「う、うん……なんで死んじゃったのかも知らないから」
翠を愛していなかった。夢の内容が現実になるのではないかと、翠は身体をこわばらせ、構えた。そんな翠の様子をみて紅はくすりと笑う。
「そんな怖がらなくていいのに。夢の通りにはならないわ」
紅の言葉に翠は安堵した。
「わたしも当時は幼かったから記憶は断片的だけど……優しい女性だった。パパはわたしを毛嫌いしていたけど、ママはわたしにも優しかった。だからきっと、翠のことも大切に思っていたんじゃないかしら」
ママは優しい人だった。翠にとっては救いだった。自分を嫌っていたんじゃないかと、愛されていなかったんじゃないかと、そう思う事が幾度となくあったからだ。
「そうなんだ……じゃあママが亡くなった理由は知ってる?」
「さぁ。そこまでは」
「そっか、ありがとう」
少なくとも、ママは自分のことを愛してくれていた。
それが翠にとってはとても喜ばしいことだった。しばらくはこの事実だけで悪い事を考えずに済むだろう。今日の占いで一位を取った事実は本当だったようだ。
「ねぇ。今度はわたしが翠に質問してもいい? わたしばかり質問されるのも不公平でしょ?」
「え? あ……そうだよね。いいよ」
紅は翠のことをなんでも知っているのものだと、翠は勝手に思っていた。初めて出会った時に紅は妙に落ち着いていたこともあり、後から考えてみればパパに自分のことを聞かされていたかどこかで自分の事を見ていたのかと思っていたのだ。
「わたし、学校へ行ってみたいの。もちろんこの南京錠が外れないと無理だけど……でも例え外れたとしてパパにばれたらだめでしょ? だからその時は翠のフリをさせてほしいの」
「つまり、ぼくのフリをして学校へ行くってこと?」
「わたし達、顔もそっくりだし背も変わらないでしょう?」
「そうだけど……でもそんなことできるの?」
いくら姿形がそっくりでも些細な違い――例えば、話し方や雰囲気で異変を感じる人はいるだろう。現に、紅の雰囲気は大人びていてどこかミステリアス。翠の雰囲気とはかけ離れている。
「練習する。あなたのことを知って、あなたになりきる。パパまでもを騙せるように。お願い、こんな鉄格子の中でずっと過ごすのは嫌なの」
その願いは悲痛だった。翠もまた、八年もこの鉄格子の中で過ごしていた紅を外に出してあげたいと思った。自分が彼女の救世主になるのだ。
「わかった。ぼくのこと、全部教えるよ。それで、ぼくは鍵を探す」
「ありがとう」
鉄格子から差し伸べられた手を翠は握り返した。翠と紅、ふたりの少女の手はまるでパズルのピースが一致したかのようにぴったりと、そしてしっかりとはまるようだった。
翠の記憶、四歳以降の、では保育園や小学校の行事は都合さえあえば葛が来ていた。しかし葛がこの家で仕事を始めたのは母が亡くなった後だと聞いている。なのでこの件を葛に確認をすることはできない。当然、パパに尋ねるのも不可能だ。そうなるともう事実の証明をする方法は無いに等しい。
紅に尋ねる。それしか方法はない。紅が保育園の事を知っているという確信はないけれど今の翠にはそれしか方法が思いつかなかった。
食べ終えた冷やし中華のスープをシンクに捨てて容器を軽く洗ってゴミ箱へと捨ててから、翠はふと考える。
パパの部屋に昔の写真やビデオカメラのようなものが残っていないかと。そして紅を閉じ込めている鉄格子の鍵もそこにないかと。けれどすぐにその考えを打ち消す。パパは部屋に鍵をかけている。仕事の機密情報がたくさん部屋にあるから、と。
「だめかぁ……」
その呟きに反応する者はこの場にはいない。
意を決してクローゼットの前に立つ。そっとドアを引くと、ドアは開いた。制服以外の服を身に纏って対面するのはこれが初めてだった。
「おはよう。時間としてはもうこんにちはかしら?」
いつものようにクローゼットの奥の暗闇から現れた紅はやはりいつもの小学校の制服を身に着けていた。
「どっちでも良いと思う。えーと、今日の気分はどう?」
我ながら意味不明な質問をしたと思った。紅と対峙すると一種の緊張を感じてしまう。
「今日は悪くないかな。翠は?」
「ぼくは少し悪いかな。変な夢を見たんだ」
「変な夢?」
翠は今朝がたみた夢の内容を紅に説明した。紅が優しくなったという部分は流石に省いたが……こうした方が、直接的にママのことを聞くよりも紅がママのことを話してくれるのではないかと考えたからだ。
「ふぅん、ママのこと」
「うん。ぼくはママのことを少しも覚えていないから」
「写真も見たことは無い?」
「うん。ママのことを聞くとパパは怒るから。昔、ママのことを知りたくてパパに聞いたら頬をぶたれたんだ」
幼い翠には衝撃的な出来事だった。ママのことを教えてとせがむと――パパは頬をぶった。そのことがショックで翠は以降、ママの話をするのをやめた。パパは謝って頬を冷やす為の氷を用意してくれたが、パパが感情を露にするのを翠が見たのもそれが最初で最後かもしれない。
「そう。知りたい? ママのこと」
「う、うん……なんで死んじゃったのかも知らないから」
翠を愛していなかった。夢の内容が現実になるのではないかと、翠は身体をこわばらせ、構えた。そんな翠の様子をみて紅はくすりと笑う。
「そんな怖がらなくていいのに。夢の通りにはならないわ」
紅の言葉に翠は安堵した。
「わたしも当時は幼かったから記憶は断片的だけど……優しい女性だった。パパはわたしを毛嫌いしていたけど、ママはわたしにも優しかった。だからきっと、翠のことも大切に思っていたんじゃないかしら」
ママは優しい人だった。翠にとっては救いだった。自分を嫌っていたんじゃないかと、愛されていなかったんじゃないかと、そう思う事が幾度となくあったからだ。
「そうなんだ……じゃあママが亡くなった理由は知ってる?」
「さぁ。そこまでは」
「そっか、ありがとう」
少なくとも、ママは自分のことを愛してくれていた。
それが翠にとってはとても喜ばしいことだった。しばらくはこの事実だけで悪い事を考えずに済むだろう。今日の占いで一位を取った事実は本当だったようだ。
「ねぇ。今度はわたしが翠に質問してもいい? わたしばかり質問されるのも不公平でしょ?」
「え? あ……そうだよね。いいよ」
紅は翠のことをなんでも知っているのものだと、翠は勝手に思っていた。初めて出会った時に紅は妙に落ち着いていたこともあり、後から考えてみればパパに自分のことを聞かされていたかどこかで自分の事を見ていたのかと思っていたのだ。
「わたし、学校へ行ってみたいの。もちろんこの南京錠が外れないと無理だけど……でも例え外れたとしてパパにばれたらだめでしょ? だからその時は翠のフリをさせてほしいの」
「つまり、ぼくのフリをして学校へ行くってこと?」
「わたし達、顔もそっくりだし背も変わらないでしょう?」
「そうだけど……でもそんなことできるの?」
いくら姿形がそっくりでも些細な違い――例えば、話し方や雰囲気で異変を感じる人はいるだろう。現に、紅の雰囲気は大人びていてどこかミステリアス。翠の雰囲気とはかけ離れている。
「練習する。あなたのことを知って、あなたになりきる。パパまでもを騙せるように。お願い、こんな鉄格子の中でずっと過ごすのは嫌なの」
その願いは悲痛だった。翠もまた、八年もこの鉄格子の中で過ごしていた紅を外に出してあげたいと思った。自分が彼女の救世主になるのだ。
「わかった。ぼくのこと、全部教えるよ。それで、ぼくは鍵を探す」
「ありがとう」
鉄格子から差し伸べられた手を翠は握り返した。翠と紅、ふたりの少女の手はまるでパズルのピースが一致したかのようにぴったりと、そしてしっかりとはまるようだった。
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