【完結】疫病神がうちに来まして~不幸せにするために、まずはあなたを幸せにします~

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第一章

第7話 トロトロの温泉

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「なんだこのトロトロはぁ~……けしからん……けしからんぞぉ……」

 しかもぬるめのお湯なのでのぼせない。延々入っていられそう。
 湯には、ムミィが殺し文句に使った湯の花がふよふよ漂っている。一見普通の白っぽい湯の花だけど、光が当たるとうっすら虹色に輝いた。

「綺麗な湯の花。キラキラ光ってるよ」

 湯を掬い、うっとり眺めていると、ムミィが良いことを教えてくれた。

「はい。カクリヨではお馴染みの湯の花です。気に入ったのであれば、少名毘古那にお願いしたら湯の花を販売してくれますよ」
「本当に!? うわ、買って帰ろ」

 浴槽がひとつしかない、ずいぶん古くてショボイところだけど、途中から湯が良すぎてそんなこと気にならなくなった。まさか家から徒歩小一時間のところに、こんなに良い温泉があったなんて。これはリピート確定だ。

 私は結構長湯するタイプだ。一緒に温泉に行った友だちが、のぼせて倒れてしまったこともある。それからは友だちに合わせて湯から上がるようにしているから、いつも温泉に行っても物足りなさを感じながら帰ることになる。
 でも、ムミィはのぼせることなく、私が満足するまで付き合ってくれた。

 無言でぼうっと湯に浸かり、思い出したように一言二言、言葉を交わす。
 確かにここは、私が生きている世界と違う場所なのかもしれない。だからこんなにも時間の流れがゆっくりで、騒音や情報に邪魔されずに安らげるのだろう。
 トロトロの濁り湯を満喫した私とムミィは、帰り際に少名毘古那に声をかけた。

「少名毘古那さん、良いお湯、ありがとうございました。最高でした~」
「今日も最高だったよ! お代はどうしようか」

 ベタ褒めされて、少名毘古那は嬉しそうに頭を掻いた。そしてそろばんを弾き、ムミィに手を差し出す。

「それなりに良いモノで二人分だな」
「あ、湯の花も欲しいから、その分も足して!」
「じゃあ、ちょっと良いめのそれなりに良いモノで」

 私が二人のやりとりを不思議そうに眺めていると、ムミィが教えてくれた。

「僕たち神の間では〝お金〟という概念がないんです。だからいつもモノで支払うんですよ。少名毘古那だったらお米とか湯の花で支払うし、僕だったらヒトからもらったモノで支払います」

 そう言って、ムミィは二つの指輪を取り出した。ひとつはハイブランドの指輪で、もうひとつはアクセシブルブランドの指輪。

「どっちがいい?」

 少名毘古那は二つの見比べ、うんうん唸ってからハイブランドの指輪を手に取った。

「今日はオマケしてこっちにしといてやる」
「わっ、ほんとに!? ありがとう~!」

 少名毘古那は、その指輪を空になったたばこの箱に投げ入れ、代わりに湯の花を三袋ムミィに渡した。それを受け取ったムミィが上機嫌に帰ろうとするので、私は慌てて彼の腕を掴んだ。
 いくら良いお湯だったとはいえ、一回の温泉で何百万円もする指輪を取られるなんて、ぼったくりも甚だしい。

「ちょっとムミィ! あんたは知らないかもしれないけど、あの指輪はすっごく高価なやつ! 温泉入っただけであんなもの渡すなんてどうかしてるわ。あんた、騙されてるよ!」

 少名毘古那とムミィはポカンと口を開けたかと思えば、二人同時に大声で笑った。

「あんたの考え方、面白いなあ! ヒトらしいというか、なんというか!」
「真白さん。僕たち神にとって、ヒトが付けた価値なんてあんまり意味がないし興味ないんですよ」

 大口を開けて笑われ、バカにされているように感じてしかめっ面をしていると、少名毘古那が私の手のひらに先ほどの指輪を載せた。同じ手のひらに、ムミィももうひとつの指輪を載せる。

「この指輪はどっちも僕がヒトからもらったもの」

 ムミィが言った言葉に、少名毘古那はピクッと眉を上げる。

「盗った、だろ」
「仕事の報酬さ」

 ジト目を向ける私に、ムミィはごまかすように笑い、言葉を続けた。

「さっき僕が少名毘古那に渡した指輪の持ち主は、宝石がゴロゴロついた指輪を他にもたくさん持っていました。だから僕がこれをもらっても、持ち主に気付かれもしなかった。この指輪の価値は、その程度のものなんです」

 次にムミィは、アクセシブルブランドの指輪を撫でる。

「これの持ち主は、一生もののつもりでこの指輪を買いました。金属アレルギーのせいで身につけられなくなってからも、とても大切にしていました」

 ムミィはその時のことに思いを馳せ、うっとりした。

「持ち主はこの指輪を失くしたとすぐ気付き、何日も探してグスグス泣いていましたよ」

 ドン引きしている私と少名毘古那の視線を感じハッとしたムミィは、慌てて咳ばらいをした。

「と、まあこんな感じで、僕たちにとったら、そのモノの価値とはどのくらい持ち主に愛されていたかが基準なんです! つまり、少名毘古那は僕を騙そうとなんてしていませんよ! ご安心ください、真白さん!」

 目の前にいる人畜無害そうな少年が人の物を盗むような存在だと知って、安心できるわけないでしょうが。
 私はムミィから一歩距離を取り、おそるおそる尋ねる。

「え……。もしかしてあんた、私の物も盗んだりした……?」
「いえいえ! まだ真白さんには報酬をいただいていませんよ!」
「まだ、ねえ……」

 そういやこの子疫病神だった。良い神なわけがない。
 少名毘古那が私を手招きする。

「神に大切な物を盗られないための方法を教えてやる。憑かれてる間は定期的に貢物をすることだ」
「貢物……。それって料理でも大丈夫ですかね?」
「ああ、いいじゃないか! ムミィはウツシヨの食べ物が好きだから、大概のことはそれで済ましてくれるだろうな」

 私たちの内緒話にしっかり聞き耳を立てていたのか、ムミィはパッと顔を輝かせた。

「それ、いいー! 美味しい料理を食べられる僕、大切なものを盗られない真白さん! これぞウィンウィンの関係ですね!!」
「ウィンウィンと呼ぶには私が不利すぎるのよ」

 上機嫌で私の腕に抱きついたムミィは、スキップしながら少名毘古那のたばこ屋をあとにした。

 昨日から思っていたけれど、ムミィは家主を自分だと思っているような気がする。晩ごはんを食べたら一番風呂に入り、勝手にクローゼットを開けて私のパジャマを身につける。そして迷うことなくベッドにダイブ。最後に笑顔で「おやすみなさい、真白さん!」と言う。

「ねえ! 今日もあんたがベッドで寝るの!? 私もベッドで寝たいんですけど!」
「ごめんなさい。隣に誰かいると眠れないから……」
「ベッド以外で寝る気ないわこの人!!」

 私は力ずくでベッドを奪い返そうと、ムミィの足を引っ張った。でも、ヘッドボードに掴まる彼を引きはがすことができずに断念。せめて布団だけでもと思ったのに、ムミィはそれすらも手放さなかった。
 体力の限界を迎え、息を荒げてうずくまる私の傍で、ムミィは満足げに伸びをする。

「ああ~。寝る前に良い運動ができました! それでは、今度こそおやすみなさい!」

 ムミィは布団に潜るなり寝息を立て始めた。もうすでに涎を垂らし、枕にシミを作っている。
 ムミィが寝ている間にベッドから引きずり出そうと画策したけれど、寝ぼけた彼にアゴに蹴りを入れられて、私は泣く泣くソファで眠った。
 私は、明日や将来の不安を考えてしまって寝つきが悪い。でも温泉のおかげか、この日は夢も見ずにぐっすり眠れた。ソファだったけど。ベッドで眠りたかったけど。
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