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8章
第68話 告白
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海茅には、顧問と約束していた点数を取れたら、やろうと決めていたことがあった。
それは、匡史に告白することだ。
コンクール後もパーカッションを続けると決めたあの日、海茅はこれからも自分の気持ちと真っすぐ向き合い、怖くても、誰かに手を引かれない道でも、前に進みたいと思った。
その第一歩は、匡史に自分の気持ちを伝えることにしたい。
フラれるのも、今の関係が壊れるのも怖い。下手をしたら茜と創とも疎遠になってしまうかもしれない。
海茅はそれでもこの気持ちと向き合いたかった。
昨晩、海茅は自分で顔の産毛を剃り、眉毛を整えた。今朝はずっと使っていなかった化粧品で薄く化粧をした。
鏡に映る姿は未だに冴えない女の子だが、四月よりは〝彼方海茅〟としての形がハッキリしているような気がした。
放課後、海茅は匡史に声をかける。
「ま、まさ、ま、ま」
「ん? どうしたのみっちゃん。壊れたおもちゃみたいになってるけど」
ダメだ。緊張しすぎて言葉が出てこない。今から手が震えている。うまくごまかして、やっぱり今日はやめておこうか――
海茅は、余計なことを考える忌まわしい自分の胸を殴った。
「み、みっちゃん、どうしたの……?」
怪訝な目を向ける匡史を、海茅はキッと睨みつける。
「匡史君! 今からちょっと時間大丈夫!?」
「え? うん、大丈夫だよ? でもみっちゃん部活でしょ?」
「五分だけでいいから、ちょっと来て!」
「お、俺、なんかした……?」
匡史の目には海茅が怒っているようにしか見えなかった。彼は狼狽えたまま、足音を踏み鳴らして歩く海茅について行く。
海茅が立ち止まったのは、屋上に続く階段の踊り場だった。そこは人目に付かないところなので、侭白中学校の告白スポットになっている。
匡史も何度かここに呼びだされたことがあるのだろう。その時のことを思い出してか、複雑な表情を浮かべている。
「みっちゃん。どうしたのこんなとこまで来て。俺、みっちゃんの気に障ること何かしちゃったかな……」
しかし、匡史は海茅に告白されるとは微塵も考えていないようだった。
海茅はぶんぶんと首を横に振り、スカートの裾を握りしめる。
「えっと、あの、ま、まさ、ま、ま」
「あ、また壊れた。今日のみっちゃん、どうしたのほんと」
「あの、あの、えっと」
海茅の想いは、喉の入り口まで来ているのに、なかなか言葉として出てこない。先ほど追い払った不安が戻ってきて、奥へ奥へと押し込もうとする。
固まってしまった海茅の顔を匡史が覗き込む。
「あの……みっちゃん?」
「~~……っ。ええい、南無三!!」
不安を一喝し、海茅は匡史を真っすぐ見た。
「匡史君! 私、匡史君のこと、す、す」
「酢?」
「好きです!!」
「すっ……」
今度は匡史が固まる番だ。思ってもみなかったことが起こり、脳の処理能力が追い付かない。
追い打ちをかけるように、海茅がヤケクソ気味に続けた。
「四月からずっと好きでした! はじめはかっこいいから気になって、それから匡史君のこと知るたびにどんどん好きになってました! 特に画家の話をしてるときの匡史君が好きです!」
「ま、待って。待ってみっちゃん。ちょっと、待って」
スイッチが入った海茅には、もう匡史の声は聞こえない。
「優しい匡史くんも好きだし、ちょっと悩んで気弱になってるときの匡史君も好きです! でも一番ときめいたのは、シンバルの音の絵をもらったときでした!!」
「みっちゃん、ちょっと」
「匡史君が好きすぎてもうどうしようもないので、気持ちを伝えることにしましたぁぁっ!!」
「ストップ! みっちゃんストーップ!!」
「もごぁっ」
匡史は海茅の口を手で塞ぎ、強制的に黙らせた。
「ちょっと、気持ちを整理させてくれる?」
ハッと我に返った海茅は小さく頷いた。
海茅にとって、匡史がこんな反応をするのは意外だった。匡史は女の子に何度も告白されているはずだ。断りの文句なんて言い慣れているだろう。
それなのに、目の前にいる匡史には、いつもの柔らかい表情を浮かべる余裕はないようだった。
怒っているわけでもないのに真っ赤にした顔をしかめる彼の視線は、せわしなくあちこちに飛び回っている。
これじゃあまるで、初めて告白されてパニックになっている男子ではないか。
明らかに動揺している匡史を見ていた海茅は、徐々に冷静さを取り戻した。
「ま、匡史君、大丈夫……?」
「大丈夫じゃないよ。びっくりしたよ。突然なんてこと言うの」
「ご、ごめん……?」
匡史はちらっと海茅に視線を送り、ガシガシと頭を掻く。
「そ、そんな様子なかったじゃん。お、俺、全然気付いてなかったよ……」
「そ、そうかな? 優紀ちゃんには一瞬でバレちゃったんだけど……。宮越さんと黒間君にもたぶんバレてると思うし……」
「……じゃあ俺が鈍感なんだな」
大きくため息を吐いた匡史は、俯いたまま小さな声で話した。
「俺、好きとかそういうの、よく分からないんだよね」
「あっ、うん……」
どうやら、今から海茅は匡史にフラれるようだ。覚悟はしていたはずなのに、手足が絶望に蝕まれ感覚がなくなっていく。頭の隅っこで輝きを放っていた期待も、恥ずかしそうにしぼんでいった。
「恋とか愛とか俺には分からない。恋人になっても、どうせすぐ別れるだろうし。結婚しても、子どもができても、きっとうまくいかないことが多いだろうし」
だってさ、と匡史は言葉を続ける。
「みんな俺のことよく知らないもん。外見と外面だけで好かれても、あんまり嬉しくない」
「ご、ごめん……」
項垂れる海茅に、匡史はクスッと笑った。
「みっちゃんは違うよ。ごめん、今のは気にしないで」
匡史は壁にもたれかかり、灯りのついていない天井を見上げた。
「みっちゃん、一緒に川に行ったときのこと覚えてる?」
「うん、覚えてる」
「あのときさ、みっちゃんのシンバルを聴いたときに感じる気持ち悪さが何かなって話をしたでしょ。みっちゃんは〝感動〟なんじゃないかって教えてくれた。でも実はしっくりこなくて、あれからもずっと考えてたんだ。それで、ぼんやりだけど分かってきた」
そう言って、匡史はゆっくりと海茅の目を見た。
「あれはやっぱり〝感動〟じゃない。たぶん、あれが〝好き〟って感情なんだと思う」
それは、匡史に告白することだ。
コンクール後もパーカッションを続けると決めたあの日、海茅はこれからも自分の気持ちと真っすぐ向き合い、怖くても、誰かに手を引かれない道でも、前に進みたいと思った。
その第一歩は、匡史に自分の気持ちを伝えることにしたい。
フラれるのも、今の関係が壊れるのも怖い。下手をしたら茜と創とも疎遠になってしまうかもしれない。
海茅はそれでもこの気持ちと向き合いたかった。
昨晩、海茅は自分で顔の産毛を剃り、眉毛を整えた。今朝はずっと使っていなかった化粧品で薄く化粧をした。
鏡に映る姿は未だに冴えない女の子だが、四月よりは〝彼方海茅〟としての形がハッキリしているような気がした。
放課後、海茅は匡史に声をかける。
「ま、まさ、ま、ま」
「ん? どうしたのみっちゃん。壊れたおもちゃみたいになってるけど」
ダメだ。緊張しすぎて言葉が出てこない。今から手が震えている。うまくごまかして、やっぱり今日はやめておこうか――
海茅は、余計なことを考える忌まわしい自分の胸を殴った。
「み、みっちゃん、どうしたの……?」
怪訝な目を向ける匡史を、海茅はキッと睨みつける。
「匡史君! 今からちょっと時間大丈夫!?」
「え? うん、大丈夫だよ? でもみっちゃん部活でしょ?」
「五分だけでいいから、ちょっと来て!」
「お、俺、なんかした……?」
匡史の目には海茅が怒っているようにしか見えなかった。彼は狼狽えたまま、足音を踏み鳴らして歩く海茅について行く。
海茅が立ち止まったのは、屋上に続く階段の踊り場だった。そこは人目に付かないところなので、侭白中学校の告白スポットになっている。
匡史も何度かここに呼びだされたことがあるのだろう。その時のことを思い出してか、複雑な表情を浮かべている。
「みっちゃん。どうしたのこんなとこまで来て。俺、みっちゃんの気に障ること何かしちゃったかな……」
しかし、匡史は海茅に告白されるとは微塵も考えていないようだった。
海茅はぶんぶんと首を横に振り、スカートの裾を握りしめる。
「えっと、あの、ま、まさ、ま、ま」
「あ、また壊れた。今日のみっちゃん、どうしたのほんと」
「あの、あの、えっと」
海茅の想いは、喉の入り口まで来ているのに、なかなか言葉として出てこない。先ほど追い払った不安が戻ってきて、奥へ奥へと押し込もうとする。
固まってしまった海茅の顔を匡史が覗き込む。
「あの……みっちゃん?」
「~~……っ。ええい、南無三!!」
不安を一喝し、海茅は匡史を真っすぐ見た。
「匡史君! 私、匡史君のこと、す、す」
「酢?」
「好きです!!」
「すっ……」
今度は匡史が固まる番だ。思ってもみなかったことが起こり、脳の処理能力が追い付かない。
追い打ちをかけるように、海茅がヤケクソ気味に続けた。
「四月からずっと好きでした! はじめはかっこいいから気になって、それから匡史君のこと知るたびにどんどん好きになってました! 特に画家の話をしてるときの匡史君が好きです!」
「ま、待って。待ってみっちゃん。ちょっと、待って」
スイッチが入った海茅には、もう匡史の声は聞こえない。
「優しい匡史くんも好きだし、ちょっと悩んで気弱になってるときの匡史君も好きです! でも一番ときめいたのは、シンバルの音の絵をもらったときでした!!」
「みっちゃん、ちょっと」
「匡史君が好きすぎてもうどうしようもないので、気持ちを伝えることにしましたぁぁっ!!」
「ストップ! みっちゃんストーップ!!」
「もごぁっ」
匡史は海茅の口を手で塞ぎ、強制的に黙らせた。
「ちょっと、気持ちを整理させてくれる?」
ハッと我に返った海茅は小さく頷いた。
海茅にとって、匡史がこんな反応をするのは意外だった。匡史は女の子に何度も告白されているはずだ。断りの文句なんて言い慣れているだろう。
それなのに、目の前にいる匡史には、いつもの柔らかい表情を浮かべる余裕はないようだった。
怒っているわけでもないのに真っ赤にした顔をしかめる彼の視線は、せわしなくあちこちに飛び回っている。
これじゃあまるで、初めて告白されてパニックになっている男子ではないか。
明らかに動揺している匡史を見ていた海茅は、徐々に冷静さを取り戻した。
「ま、匡史君、大丈夫……?」
「大丈夫じゃないよ。びっくりしたよ。突然なんてこと言うの」
「ご、ごめん……?」
匡史はちらっと海茅に視線を送り、ガシガシと頭を掻く。
「そ、そんな様子なかったじゃん。お、俺、全然気付いてなかったよ……」
「そ、そうかな? 優紀ちゃんには一瞬でバレちゃったんだけど……。宮越さんと黒間君にもたぶんバレてると思うし……」
「……じゃあ俺が鈍感なんだな」
大きくため息を吐いた匡史は、俯いたまま小さな声で話した。
「俺、好きとかそういうの、よく分からないんだよね」
「あっ、うん……」
どうやら、今から海茅は匡史にフラれるようだ。覚悟はしていたはずなのに、手足が絶望に蝕まれ感覚がなくなっていく。頭の隅っこで輝きを放っていた期待も、恥ずかしそうにしぼんでいった。
「恋とか愛とか俺には分からない。恋人になっても、どうせすぐ別れるだろうし。結婚しても、子どもができても、きっとうまくいかないことが多いだろうし」
だってさ、と匡史は言葉を続ける。
「みんな俺のことよく知らないもん。外見と外面だけで好かれても、あんまり嬉しくない」
「ご、ごめん……」
項垂れる海茅に、匡史はクスッと笑った。
「みっちゃんは違うよ。ごめん、今のは気にしないで」
匡史は壁にもたれかかり、灯りのついていない天井を見上げた。
「みっちゃん、一緒に川に行ったときのこと覚えてる?」
「うん、覚えてる」
「あのときさ、みっちゃんのシンバルを聴いたときに感じる気持ち悪さが何かなって話をしたでしょ。みっちゃんは〝感動〟なんじゃないかって教えてくれた。でも実はしっくりこなくて、あれからもずっと考えてたんだ。それで、ぼんやりだけど分かってきた」
そう言って、匡史はゆっくりと海茅の目を見た。
「あれはやっぱり〝感動〟じゃない。たぶん、あれが〝好き〟って感情なんだと思う」
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