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7章
第64話 気持ち悪い
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「みっちゃん」
匡史の柔らかい声は、自然の音と馴染み違和感ひとつない。
「コンクール、お疲れさま」
「ありがとう」
「みっちゃんのシンバル聴いて、俺泣いちゃった」
その言葉に、海茅の目にじんわり涙が浮かんだ。海茅の大切なものが匡史にも届いたようだ。
匡史は鞄をまさぐりながら言葉を続ける。
「あのあと無性に絵を描きたくなってさ。課題も放ったらかしで描いたんだよね」
そして匡史は、丸めた水彩画用紙を海茅に渡した。
画用紙には、無数の小さな白い粒が散る、一面に滲む深い青が広がっていた。それは星空にも、夜の海にも、宝石にも見える。
「きれい……」
うっとりと吐息を漏らす海茅に、匡史がはにかむ。
「これが、俺が聴いたみっちゃんのシンバルの音」
「こ、こんなきれいな絵が、私の……?」
「うん。本当はもっときれいだったんだけど、これが俺の精一杯」
海茅は絵を見つめたまま首を横に振った。彼女にとって、この絵は理想のシンバルの音であり、海茅の中の匡史そのものだった。
大切なもの二つが混じり合ったその絵を見ていると、OBのシンバルを初めて聴いたあの時のように胸がしゅわしゅわした。
匡史は、独り言のように言葉を漏らす。
「俺さ、最近、絵描くのあんまり楽しくなったんだ。受験で受かる絵を描かなきゃって考えちゃって。いつの間にか、自分の描きたい絵が何か分からなくなってた」
でも、と匡史が絵をつつく。
「この絵を描いてるとき、楽しかった。久しぶりに寝食を忘れて絵を描いたよ。描き終わったときは魂をごっそり抜かれたみたいに疲れ切って、そのあと死んだように寝た」
彼のその感覚が少し分かり、海茅はクスクス笑った。
「ありがとう、みっちゃん。俺に絵を描く楽しさを思い出させてくれて」
「う、ううん。私こそ、私のシンバルをこんな素敵な絵にしてくれてありがとう」
匡史は目尻を下げ、絵に視線を落とした。
「みっちゃんのシンバルは芸術だ。今でもあの音を思い出したら、鳥肌が立って、体が震える。それにちょっと気持ち悪くなる」
「え……っ」
ショックを受けて青ざめている海茅に、匡史は慌ててかぶりを振る。
「あっ! 違う、気持ち悪くなるってそういう意味じゃなくて! なんかこう……自分でも分からない気持ちが沸き上がって来て、戸惑うんだ。この感情はなに? みっちゃん知ってる?」
頭を抱えて考え込む匡史と一緒に、海茅もその感情が何かを考えた。そして、ひとつの答えに辿り着く。
「もしかしてそれってさ……」
匡史は唾を呑み込み、続きを待った。
「感動、じゃない?」
「感動か。今までも感動はしたことあったけど、その中でも一番感動したのかな、俺」
「うぅ。私のシンバル、そんな大それたものではないんだけどなあ……」
海茅が絵を返そうとすると、匡史に押し返される。
「これ、みっちゃんのために描いたんだ。よかったらもらってくれる?」
「えっ!? いいの!? 悪いよ、こんなすごい絵……」
「もらってほしくて、今日持ってきたんだ。迷惑じゃなければ……」
「迷惑じゃない! えええ、本当にいいの? うわぁぁ……すごぉ……。家宝だ、家宝」
「みっちゃんはいつも大げさだなあ」
そう言って笑う匡史は、他の何を褒められたよりも嬉しそうだった。
家に帰った海茅は、うざったい化粧を洗い落としてから、早速匡史の絵を壁に飾った。
結局この日、匡史が女の子に告白されていることについては、お互い話題に出さなかった。
絵をもらった今、そんなことはもう気にならなかった。
それよりも深いところにある、匡史の大切な想いが、この絵に込められている。
海茅の不安を消し去るには充分すぎるものだった。
匡史の柔らかい声は、自然の音と馴染み違和感ひとつない。
「コンクール、お疲れさま」
「ありがとう」
「みっちゃんのシンバル聴いて、俺泣いちゃった」
その言葉に、海茅の目にじんわり涙が浮かんだ。海茅の大切なものが匡史にも届いたようだ。
匡史は鞄をまさぐりながら言葉を続ける。
「あのあと無性に絵を描きたくなってさ。課題も放ったらかしで描いたんだよね」
そして匡史は、丸めた水彩画用紙を海茅に渡した。
画用紙には、無数の小さな白い粒が散る、一面に滲む深い青が広がっていた。それは星空にも、夜の海にも、宝石にも見える。
「きれい……」
うっとりと吐息を漏らす海茅に、匡史がはにかむ。
「これが、俺が聴いたみっちゃんのシンバルの音」
「こ、こんなきれいな絵が、私の……?」
「うん。本当はもっときれいだったんだけど、これが俺の精一杯」
海茅は絵を見つめたまま首を横に振った。彼女にとって、この絵は理想のシンバルの音であり、海茅の中の匡史そのものだった。
大切なもの二つが混じり合ったその絵を見ていると、OBのシンバルを初めて聴いたあの時のように胸がしゅわしゅわした。
匡史は、独り言のように言葉を漏らす。
「俺さ、最近、絵描くのあんまり楽しくなったんだ。受験で受かる絵を描かなきゃって考えちゃって。いつの間にか、自分の描きたい絵が何か分からなくなってた」
でも、と匡史が絵をつつく。
「この絵を描いてるとき、楽しかった。久しぶりに寝食を忘れて絵を描いたよ。描き終わったときは魂をごっそり抜かれたみたいに疲れ切って、そのあと死んだように寝た」
彼のその感覚が少し分かり、海茅はクスクス笑った。
「ありがとう、みっちゃん。俺に絵を描く楽しさを思い出させてくれて」
「う、ううん。私こそ、私のシンバルをこんな素敵な絵にしてくれてありがとう」
匡史は目尻を下げ、絵に視線を落とした。
「みっちゃんのシンバルは芸術だ。今でもあの音を思い出したら、鳥肌が立って、体が震える。それにちょっと気持ち悪くなる」
「え……っ」
ショックを受けて青ざめている海茅に、匡史は慌ててかぶりを振る。
「あっ! 違う、気持ち悪くなるってそういう意味じゃなくて! なんかこう……自分でも分からない気持ちが沸き上がって来て、戸惑うんだ。この感情はなに? みっちゃん知ってる?」
頭を抱えて考え込む匡史と一緒に、海茅もその感情が何かを考えた。そして、ひとつの答えに辿り着く。
「もしかしてそれってさ……」
匡史は唾を呑み込み、続きを待った。
「感動、じゃない?」
「感動か。今までも感動はしたことあったけど、その中でも一番感動したのかな、俺」
「うぅ。私のシンバル、そんな大それたものではないんだけどなあ……」
海茅が絵を返そうとすると、匡史に押し返される。
「これ、みっちゃんのために描いたんだ。よかったらもらってくれる?」
「えっ!? いいの!? 悪いよ、こんなすごい絵……」
「もらってほしくて、今日持ってきたんだ。迷惑じゃなければ……」
「迷惑じゃない! えええ、本当にいいの? うわぁぁ……すごぉ……。家宝だ、家宝」
「みっちゃんはいつも大げさだなあ」
そう言って笑う匡史は、他の何を褒められたよりも嬉しそうだった。
家に帰った海茅は、うざったい化粧を洗い落としてから、早速匡史の絵を壁に飾った。
結局この日、匡史が女の子に告白されていることについては、お互い話題に出さなかった。
絵をもらった今、そんなことはもう気にならなかった。
それよりも深いところにある、匡史の大切な想いが、この絵に込められている。
海茅の不安を消し去るには充分すぎるものだった。
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