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6章
第58話 本番
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前の学校の演奏が終わった。パーカッション部員は急いで打楽器を搬入し、配置する。
そうしているうちに管楽器も席につき、緞帳が上がった。
太陽よりも眩しい照明で目が眩む。
大勢の観客がこちらを見ている。
囁き声。スマホの着信音。バッグをまさぐる音。ハイヒールが歩く音。
いつもと違う環境音が耳に入り、海茅の頭が真っ白になった。
客席に礼をした、燕尾服を身につける顧問。振り返った彼は優しい笑みを浮かべている。
海茅だけでなく、一年部員全員が顧問の顔を二度見した。いつもの顧問は、ギョロ目で、しかめっ面に近い無表情だ。
そんな彼が今、部員に向かって笑いかけているではないか。驚きを通り越して面白い。緊張でガチガチに固まっていた部員たちの肩からふっと余計な力が抜け、笑いを堪えるために俯いた。
顧問が指揮棒を構えると時間が止まる。
優紀のマレットを持つ手は、震えを通り越して揺れている。
顧問は優紀に視線を送り、演奏を始めた。
指揮棒を一振りしただけで、閉塞感のある舞台が静かな夜の森に一変した。
残夜に灯る、星のかけら。
空が明るむにつれ徐々に加わる楽器の音色と共に、星のかけらは姿を隠す。
無事グロッケンの演奏を終えた優紀に、顧問が労うように頷いた。
太陽が顔を覗かせると、樋暮先輩のスネアドラムが、みんな起きて、楽しい夢を見たんだ聞いてと、元気に森を駆け回る。
今の彼女は仲間を置いてけぼりにしない。背中に乗せ、あるいは手を引き、代わりに荷台を引いてみんなを連れていく。
樋暮先輩の頭上を小鳥が飛ぶ。明日香たちフルートパートが、スネアドラムのリズムに合わせ可愛い声で歌を口ずさむ。
そして訪れる嵐。雷鳴を轟かせる低音楽器が、不協和音で不安を煽る。
逃げまどう女の子と動物たち。彼女たちを追いかける、嵐と狂暴な動物。
海茅はシンバルスタンドの前に立った。
クラッシュシンバルを手に持つと、じわっと手汗が持ち手に沁み込む。
自分の震えている手をまじまじと見てしまった海茅は、一瞬にして森から舞台に引き戻された。
(こんな震えた手じゃ、シンバルがちゃんと当たるかどうか……。失敗したら……)
一人森からあぶれた海茅は、真っ暗な場所で佇んだ。
ここがどこか分からない。誰もいない。何も見えない。
その時、段原先輩のティンパニロールが海茅の耳に響いた。
クラッシュシンバルを導く、ティンパニロールのクレッシェンド。
《ここだよ》
まだ楽譜を覚えていないとき、どこを演奏しているのか見失ってばかりだった海茅に、いつも段原先輩が場所を教えてくれていた。
コンクール本番でも、海茅に道を教えてくれたのは彼だった。
海茅は目を瞑り、ふわりと口元を緩める。
(みつけました、先輩)
段原先輩の背中を追いかけ、海茅は走る。
肩で扉を押し開けた先は、顧問と部員が待っている森に繋がっていた。
海茅の手はまだ震えている。でも、もう大丈夫。海茅はひとりではない。
隣にはパーカッションの仲間たちがいる。舞台には、音楽を共に作り上げる顧問と部員がいる。客席には、海茅たちが紡ぐ演奏に耳を傾ける人たち――彼女たちが感動させる人がいる。
海茅は丁寧に折った手紙を封筒に差し込み、封をした。言葉では表すことのできない、誰にも言えない気持ちを書いた手紙。
海茅が合わせたばかりのフラップを広げると――
クラッシュシンバルから、またたく星空が広がった。
舞台に、客席に、海茅のひとつまみの大切なものが、チョウのように飛び立った。広がり落ちる星たちは会場にいる人たちの指に止まり、すぅっと胸の中に溶けていく。
観客のほとんどの目はシンバルに向いていない。旋律を奏でるフルートなど、管楽器に釘付けだ。しかし、海茅の想いはちゃんと彼らの胸に沁み込み、柔らかい光を灯した。
そんな中、頬にぽろりと涙を伝わせる男の子がいた。
シンバルの響きにしだれ花火を見つけた、海茅にとっての特別な人。
茜と創と一緒にコンクールを鑑賞していた匡史は、シンバルをスタンドに戻す海茅に目が釘付けのまま茫然としていた。
匡史は海茅のシンバルの響きに海茅そのものを感じ、しっかりと受け取った。
匡史の胸で、泡がしゅわしゅわと膨らんでは消える。
「あれ……」
匡史は首を傾げ、胸に手を当てる。
海茅のものではない気持ちが、とくとくと淡い音を立てて波打っている。
自分のものでもないと匡史は思った。なぜなら匡史は、こんな気持ちを知らなかったから。
そうしているうちに管楽器も席につき、緞帳が上がった。
太陽よりも眩しい照明で目が眩む。
大勢の観客がこちらを見ている。
囁き声。スマホの着信音。バッグをまさぐる音。ハイヒールが歩く音。
いつもと違う環境音が耳に入り、海茅の頭が真っ白になった。
客席に礼をした、燕尾服を身につける顧問。振り返った彼は優しい笑みを浮かべている。
海茅だけでなく、一年部員全員が顧問の顔を二度見した。いつもの顧問は、ギョロ目で、しかめっ面に近い無表情だ。
そんな彼が今、部員に向かって笑いかけているではないか。驚きを通り越して面白い。緊張でガチガチに固まっていた部員たちの肩からふっと余計な力が抜け、笑いを堪えるために俯いた。
顧問が指揮棒を構えると時間が止まる。
優紀のマレットを持つ手は、震えを通り越して揺れている。
顧問は優紀に視線を送り、演奏を始めた。
指揮棒を一振りしただけで、閉塞感のある舞台が静かな夜の森に一変した。
残夜に灯る、星のかけら。
空が明るむにつれ徐々に加わる楽器の音色と共に、星のかけらは姿を隠す。
無事グロッケンの演奏を終えた優紀に、顧問が労うように頷いた。
太陽が顔を覗かせると、樋暮先輩のスネアドラムが、みんな起きて、楽しい夢を見たんだ聞いてと、元気に森を駆け回る。
今の彼女は仲間を置いてけぼりにしない。背中に乗せ、あるいは手を引き、代わりに荷台を引いてみんなを連れていく。
樋暮先輩の頭上を小鳥が飛ぶ。明日香たちフルートパートが、スネアドラムのリズムに合わせ可愛い声で歌を口ずさむ。
そして訪れる嵐。雷鳴を轟かせる低音楽器が、不協和音で不安を煽る。
逃げまどう女の子と動物たち。彼女たちを追いかける、嵐と狂暴な動物。
海茅はシンバルスタンドの前に立った。
クラッシュシンバルを手に持つと、じわっと手汗が持ち手に沁み込む。
自分の震えている手をまじまじと見てしまった海茅は、一瞬にして森から舞台に引き戻された。
(こんな震えた手じゃ、シンバルがちゃんと当たるかどうか……。失敗したら……)
一人森からあぶれた海茅は、真っ暗な場所で佇んだ。
ここがどこか分からない。誰もいない。何も見えない。
その時、段原先輩のティンパニロールが海茅の耳に響いた。
クラッシュシンバルを導く、ティンパニロールのクレッシェンド。
《ここだよ》
まだ楽譜を覚えていないとき、どこを演奏しているのか見失ってばかりだった海茅に、いつも段原先輩が場所を教えてくれていた。
コンクール本番でも、海茅に道を教えてくれたのは彼だった。
海茅は目を瞑り、ふわりと口元を緩める。
(みつけました、先輩)
段原先輩の背中を追いかけ、海茅は走る。
肩で扉を押し開けた先は、顧問と部員が待っている森に繋がっていた。
海茅の手はまだ震えている。でも、もう大丈夫。海茅はひとりではない。
隣にはパーカッションの仲間たちがいる。舞台には、音楽を共に作り上げる顧問と部員がいる。客席には、海茅たちが紡ぐ演奏に耳を傾ける人たち――彼女たちが感動させる人がいる。
海茅は丁寧に折った手紙を封筒に差し込み、封をした。言葉では表すことのできない、誰にも言えない気持ちを書いた手紙。
海茅が合わせたばかりのフラップを広げると――
クラッシュシンバルから、またたく星空が広がった。
舞台に、客席に、海茅のひとつまみの大切なものが、チョウのように飛び立った。広がり落ちる星たちは会場にいる人たちの指に止まり、すぅっと胸の中に溶けていく。
観客のほとんどの目はシンバルに向いていない。旋律を奏でるフルートなど、管楽器に釘付けだ。しかし、海茅の想いはちゃんと彼らの胸に沁み込み、柔らかい光を灯した。
そんな中、頬にぽろりと涙を伝わせる男の子がいた。
シンバルの響きにしだれ花火を見つけた、海茅にとっての特別な人。
茜と創と一緒にコンクールを鑑賞していた匡史は、シンバルをスタンドに戻す海茅に目が釘付けのまま茫然としていた。
匡史は海茅のシンバルの響きに海茅そのものを感じ、しっかりと受け取った。
匡史の胸で、泡がしゅわしゅわと膨らんでは消える。
「あれ……」
匡史は首を傾げ、胸に手を当てる。
海茅のものではない気持ちが、とくとくと淡い音を立てて波打っている。
自分のものでもないと匡史は思った。なぜなら匡史は、こんな気持ちを知らなかったから。
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