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6章
第57話 震える歯車
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◇◇◇
雲ひとつない空は、ゼニスブルーの絵の具を溶け込ませた水のように、単一に青い。
その中でぽつんとひとりぼっちで佇む白い太陽は、焼け付くほどの光を放ち人の目を拒む。
三階から校庭までを何度も往復するパーカッション部員。彼女たちは重い打楽器を数人がかりで持ち上げて、だらだらと汗を流しながらトラックに積み込んだ。
日陰から出た海茅は、眩しさと暑さで顔をしかめる。
見ないでと言われたら見たくなる。海茅は目を細めて空を見上げた。
空の端っこで背中を丸めている太陽。自信なさそうにしているくせに、眩しいほどに輝いて、誰よりも熱いんだからタチが悪い。
とうとうコンクールの日がやってきた。緊張でかちこちになっている吹奏楽部員は、バスの中で一言も喋らない。その代わり、耳にイヤホンを挿してコンクール曲を聴いていた。
海茅はフルスコアを膝の上に載せ、みんなと同じようにイヤホンを耳に挿した。楽譜はもう見なくても覚えている。だが、このボロボロになったフルスコアが傍にあると落ち着く。この五カ月間の全てがフルスコアに詰まっているような気がするのだ。
悔いがないと言えば嘘になる。部員たちがひとつにまとまるほど、顧問と心が通じ合うほど、至らない部分が目に映るようになった。どうしてもっと練習しなかったんだろうと、部員全員が悔やんだが、時間はどうやったって巻き戻せない。
せめて今の精一杯を、舞台の上でやるしかない。
本番前のパーカッションは忙しい。会場に到着すると管楽器と別行動になり、打楽器の積み下ろしをしないといけない。急いで、しかし慎重に、打楽器を丁寧に降ろしていく。
待機時間が一番辛い。体を動かしていたときは気が紛れていたが、こうして突っ立っていると、胸から緊張の泡がしゅわしゅわ噴きこぼれる。
冷房が効いているのか、手足が寒く、感覚がなくなってきた。
海茅は不安そうに優紀を見た。彼女と目が合った優紀は、平然な顔をしている。
「どうしたの?」
「き、緊張する……」
「ねー……。こっわー……」
「優紀ちゃんも緊張してるの?」
「してるよー。吐きそうだもん」
そう言って、優紀は吐く真似をして海茅を笑わせた。
「見て、海茅ちゃん」
優紀が広げた両手は、小刻みに震えている。
「さっきからずっとこの調子。足だってガクガク。……グロッケンやばいかも……」
一曲目の演奏は、優紀のグロッケンから始まる。無音の中、ピアニッシモ(ごく弱く)で奏でるグロッケン。
優紀はこのグロッケンに苦手意識を持っていた。合奏練習でも彼女が一番失敗していたのがここだ。
グロッケンのピアニッシモは非常に難易度が高い。少しでも力加減を間違えると大きな音が鳴ってしまうし、変に力が入ると綺麗に響かない。小さな音を意識しすぎて、マレットが鍵盤に当たらない時もあった。
もし海茅がこのパートを任されていたら、今頃トイレに駆け込んでいただろう。
それにしても意外だった。本番に強そうな優紀がここまで緊張するなんて。
「成功させたいって思えば思うほど、怖くなってくるの……。ああ、こわ」
大袈裟に震えて白目をむく優紀にクスッと笑い、海茅は彼女の手を握る。
カタカタ震える二人の手が、歯車のようにぴったり重なる。
「大丈夫」
全く大丈夫そうでない海茅の上ずった声。しかし、気持ちはしっかり籠っていた。
優紀は頷き、海茅の手を握り返す。
「大丈夫」
雲ひとつない空は、ゼニスブルーの絵の具を溶け込ませた水のように、単一に青い。
その中でぽつんとひとりぼっちで佇む白い太陽は、焼け付くほどの光を放ち人の目を拒む。
三階から校庭までを何度も往復するパーカッション部員。彼女たちは重い打楽器を数人がかりで持ち上げて、だらだらと汗を流しながらトラックに積み込んだ。
日陰から出た海茅は、眩しさと暑さで顔をしかめる。
見ないでと言われたら見たくなる。海茅は目を細めて空を見上げた。
空の端っこで背中を丸めている太陽。自信なさそうにしているくせに、眩しいほどに輝いて、誰よりも熱いんだからタチが悪い。
とうとうコンクールの日がやってきた。緊張でかちこちになっている吹奏楽部員は、バスの中で一言も喋らない。その代わり、耳にイヤホンを挿してコンクール曲を聴いていた。
海茅はフルスコアを膝の上に載せ、みんなと同じようにイヤホンを耳に挿した。楽譜はもう見なくても覚えている。だが、このボロボロになったフルスコアが傍にあると落ち着く。この五カ月間の全てがフルスコアに詰まっているような気がするのだ。
悔いがないと言えば嘘になる。部員たちがひとつにまとまるほど、顧問と心が通じ合うほど、至らない部分が目に映るようになった。どうしてもっと練習しなかったんだろうと、部員全員が悔やんだが、時間はどうやったって巻き戻せない。
せめて今の精一杯を、舞台の上でやるしかない。
本番前のパーカッションは忙しい。会場に到着すると管楽器と別行動になり、打楽器の積み下ろしをしないといけない。急いで、しかし慎重に、打楽器を丁寧に降ろしていく。
待機時間が一番辛い。体を動かしていたときは気が紛れていたが、こうして突っ立っていると、胸から緊張の泡がしゅわしゅわ噴きこぼれる。
冷房が効いているのか、手足が寒く、感覚がなくなってきた。
海茅は不安そうに優紀を見た。彼女と目が合った優紀は、平然な顔をしている。
「どうしたの?」
「き、緊張する……」
「ねー……。こっわー……」
「優紀ちゃんも緊張してるの?」
「してるよー。吐きそうだもん」
そう言って、優紀は吐く真似をして海茅を笑わせた。
「見て、海茅ちゃん」
優紀が広げた両手は、小刻みに震えている。
「さっきからずっとこの調子。足だってガクガク。……グロッケンやばいかも……」
一曲目の演奏は、優紀のグロッケンから始まる。無音の中、ピアニッシモ(ごく弱く)で奏でるグロッケン。
優紀はこのグロッケンに苦手意識を持っていた。合奏練習でも彼女が一番失敗していたのがここだ。
グロッケンのピアニッシモは非常に難易度が高い。少しでも力加減を間違えると大きな音が鳴ってしまうし、変に力が入ると綺麗に響かない。小さな音を意識しすぎて、マレットが鍵盤に当たらない時もあった。
もし海茅がこのパートを任されていたら、今頃トイレに駆け込んでいただろう。
それにしても意外だった。本番に強そうな優紀がここまで緊張するなんて。
「成功させたいって思えば思うほど、怖くなってくるの……。ああ、こわ」
大袈裟に震えて白目をむく優紀にクスッと笑い、海茅は彼女の手を握る。
カタカタ震える二人の手が、歯車のようにぴったり重なる。
「大丈夫」
全く大丈夫そうでない海茅の上ずった声。しかし、気持ちはしっかり籠っていた。
優紀は頷き、海茅の手を握り返す。
「大丈夫」
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