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5章
第43話 ルイボスティーの香り
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◇◇◇
テスト期間を挟み、クラッシュシンバルの音が前よりも悪くなってしまった海茅。叩いても叩いても、以前と同じような響きは鳴らない。
練習しなければ取り戻せないと分かってはいるが、理想とかけ離れた音を自分が鳴らしていると考えると苦痛でしかなく、気を強く持っていないとつい手を止めてしまう。
つい数か月前も、海茅はこんな汚い音を鳴らしていた。だがその時はこんなに苦しくなかった。表現したい響きがなく、どんどん上達していくシンバルの音に楽しみしか感じなかった。
海茅は自習練中、教師控室でこっそり泣いた。
クラッシュシンバルに嫌われたような気持ちになった。
相棒だと思っていたクラッシュシンバルを、叩きたくないと思ってしまうことも辛い。
その時、ノックのあとに明日香が部屋に入ってきた。
「失礼します。先生、ちょっと相談が――」
シンバルを抱きしめたまま体を強張らせる海茅と明日香の目がぴったり合わる。
明日香はすぐに海茅が泣いていることに気付いた。
「彼方さん、どうしたの……?」
「な、なんでもないよ。それより先生は今はいないよ。たぶん職員室だと思う」
顧問の居場所を聞いても、明日香は控室から出ようとしなかった。
「えっと、私……でもいい?」
「な、なにが?」
「話聞くの。それとも誰か……あ、喜田さん呼んでこようか?」
海茅はふるふると首を横に振った。優紀に泣いているところを見せたくない。また弱い人だと思われてしまう。というより、本当は誰にも見られたくなかった。
海茅が首を振るだけで何も言わないので、明日香は気まずそうに頬をかいた。
「ごめん……。大きなお世話だったよね」
「う、ううん。こっちこそごめん。気遣ってくれてありがとう」
明日香は海茅のことが心配で部屋を出られないようだった。
今の海茅には、あの時の明日香の気持ちが分かるような気がした。身近すぎる人には話せない、程よい距離のある人に話したい気持ち。
「如月さん……。ちょっと、話聞いてくれる……?」
海茅のお願いに、明日香は嬉しそうにも泣きそうにも見える顔で頷いた。
シンバルの音が変わってしまったこと。あんなに好きだったシンバル練習が辛いこと。顧問に音が汚いと言われるんじゃないかと考えると、合奏に出るのが不安なこと。部員にシンバルの音が汚いとこっそり思われているんじゃないかと考えてしまうこと――
海茅は、降り始めの雨のように、ぽつぽつとまばらな言葉を明日香に落とした。支離滅裂で分かりづらいところもあっただろう。しかし明日香は、海茅の言葉を遮ることなく耳を傾けた。
「……赤点取った上にこんなシンバルの音じゃ、みんなにどう思われてるか……。きっとパーカッションのみんなも私の音が悪いことに気付いてる。でも何も言わないの。それがまた怖い」
もしこんな気持ちを優紀に話したら、また彼女に「海茅ちゃんの悪いとこ出てるよ」と叱られるに違いない。先輩たちが何も言わないのは、呆れられているからに違いない。
もともと不安になりがちの海茅だが、得意なシンバルが上手くいかなくなってから、余計に悪い方向に考えが止まらなくなってしまっていた。
思っていることを全て吐き出した海茅は、おそるおそる明日香を窺い見た。
明日香は眉間に皺を寄せ、低い声を漏らす。
「彼方さん……」
考えすぎだよ。ネガティブすぎ。そう思うなら練習すれば。……明日香の言葉を先読みして、海茅は項垂れた。
しかし明日香は何度も深く頷き、海茅の手を握った。
「すっっっごく分かる。その気持ち」
テスト期間を挟み、クラッシュシンバルの音が前よりも悪くなってしまった海茅。叩いても叩いても、以前と同じような響きは鳴らない。
練習しなければ取り戻せないと分かってはいるが、理想とかけ離れた音を自分が鳴らしていると考えると苦痛でしかなく、気を強く持っていないとつい手を止めてしまう。
つい数か月前も、海茅はこんな汚い音を鳴らしていた。だがその時はこんなに苦しくなかった。表現したい響きがなく、どんどん上達していくシンバルの音に楽しみしか感じなかった。
海茅は自習練中、教師控室でこっそり泣いた。
クラッシュシンバルに嫌われたような気持ちになった。
相棒だと思っていたクラッシュシンバルを、叩きたくないと思ってしまうことも辛い。
その時、ノックのあとに明日香が部屋に入ってきた。
「失礼します。先生、ちょっと相談が――」
シンバルを抱きしめたまま体を強張らせる海茅と明日香の目がぴったり合わる。
明日香はすぐに海茅が泣いていることに気付いた。
「彼方さん、どうしたの……?」
「な、なんでもないよ。それより先生は今はいないよ。たぶん職員室だと思う」
顧問の居場所を聞いても、明日香は控室から出ようとしなかった。
「えっと、私……でもいい?」
「な、なにが?」
「話聞くの。それとも誰か……あ、喜田さん呼んでこようか?」
海茅はふるふると首を横に振った。優紀に泣いているところを見せたくない。また弱い人だと思われてしまう。というより、本当は誰にも見られたくなかった。
海茅が首を振るだけで何も言わないので、明日香は気まずそうに頬をかいた。
「ごめん……。大きなお世話だったよね」
「う、ううん。こっちこそごめん。気遣ってくれてありがとう」
明日香は海茅のことが心配で部屋を出られないようだった。
今の海茅には、あの時の明日香の気持ちが分かるような気がした。身近すぎる人には話せない、程よい距離のある人に話したい気持ち。
「如月さん……。ちょっと、話聞いてくれる……?」
海茅のお願いに、明日香は嬉しそうにも泣きそうにも見える顔で頷いた。
シンバルの音が変わってしまったこと。あんなに好きだったシンバル練習が辛いこと。顧問に音が汚いと言われるんじゃないかと考えると、合奏に出るのが不安なこと。部員にシンバルの音が汚いとこっそり思われているんじゃないかと考えてしまうこと――
海茅は、降り始めの雨のように、ぽつぽつとまばらな言葉を明日香に落とした。支離滅裂で分かりづらいところもあっただろう。しかし明日香は、海茅の言葉を遮ることなく耳を傾けた。
「……赤点取った上にこんなシンバルの音じゃ、みんなにどう思われてるか……。きっとパーカッションのみんなも私の音が悪いことに気付いてる。でも何も言わないの。それがまた怖い」
もしこんな気持ちを優紀に話したら、また彼女に「海茅ちゃんの悪いとこ出てるよ」と叱られるに違いない。先輩たちが何も言わないのは、呆れられているからに違いない。
もともと不安になりがちの海茅だが、得意なシンバルが上手くいかなくなってから、余計に悪い方向に考えが止まらなくなってしまっていた。
思っていることを全て吐き出した海茅は、おそるおそる明日香を窺い見た。
明日香は眉間に皺を寄せ、低い声を漏らす。
「彼方さん……」
考えすぎだよ。ネガティブすぎ。そう思うなら練習すれば。……明日香の言葉を先読みして、海茅は項垂れた。
しかし明日香は何度も深く頷き、海茅の手を握った。
「すっっっごく分かる。その気持ち」
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