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5章
第42話 忘れたくない今
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夏休みまであと半月。毛量にヘアゴムが悲鳴を上げ始めたので、海茅は三カ月ぶりに美容室に行った。
海茅にとって、美容院は歯医者の次に行きたくないところだ。キラキラしたお姉さんとお兄さんばかりの空間にいるだけで、居心地が悪くなって吐きそうになる。
「今日はどのようなカットをご希望でしょうか~?」
これは最もされたくない質問と言っても過言ではない。髪型にこだわりのない海茅にとって、希望のヘアスタイルなんてない。雑誌から選べと言われても、美人のモデルと自分では完成形が違うので全く参考にならない。
とにかくなんでもいいから毛量をどうにかしてくれ、というのが海茅の本音だった。
しかし海茅にそんなことを言えるわけもないので、とりあえず考えているふりをする。長いこと唸っていると、痺れを切らした美容師が「こんなのはどうですか~?」と尋ねてくれるので、それでやっとカットに進むことができる。
海茅はこのテクニックを姉に自慢げに話したことがあるが、「おまかせでって言えばいいだけなのに、なんでそんな無駄な回り道するの?」と一蹴されただけだった。
そして、「カット中の美容師とのおしゃべり」という、喋り下手にとっての地獄の時間を回避するためのアイテムを、今日の海茅は持っていた。
それは、『俺のマブダチ』という小説だ。
海茅はドヤ顔で文庫本を取り出し、しおりを挟んだページを開いた。
(美容院で読書。今日の私、なんかかっこいい……)
あの日から週に三回、海茅と匡史は通話を繋ぎながら『俺のマブダチ』を読んでいる。一度の通話で、二十ページから三十ページが海茅の集中力が続く限界なので、匡史もそれに合わせてゆっくり読んでくれている。
冒頭こそ、人物も設定も分からず物語に入りこめなかった海茅だが、中盤に差し掛かった頃にはぐいぐい引き込まれていった。そこまで夢中になれたのは、主人公に匡史を当てはめて読んでいたからというのが大きな理由の一つだった。
主人公と匡史が必ずしも全く同じ経験をして、同じことを感じたわけではないと、あらかじめ匡史から言われていた。それでも海茅は、『俺のマブダチ』を通して匡史の内側を覗き見ているような気持ちになった。
主人公が悲しいと海茅も悲しく、主人公が嬉しいと海茅も嬉しい。
とても人には言えない、表に出すには恥ずかしく醜い感情も、小説の中では描かれている。自分以外の人がとても綺麗に映っていた海茅は、そういった気持ちが吐露されている主人公に親近感が湧いた。現実の人より、小説の登場人物との方が仲良くなれそうだと思ったほどだった。
美容院に行ったあとは勉強を一時間して、そのあとは匡史と通話しながら読書をする。そしたら一日があっという間に過ぎ、また新しい一日が始まる。
数か月前の海茅は、部活以外にやることがなくて毎日が暇だった。学校から帰るとぼうっとベッドに寝転がったり、それほど興味のない動画配信を暇つぶしにぼんやり観たりするだけ。学校の授業中ですら、先生の言っていることが分からないので心を無にしてなんとかやり過ごしていた。
あまりにやりたいことがなさすぎて、何のために生きているんだろうと考えてしまうこともあった。
だが、今の海茅は正反対だ。勉強、読書、吹奏楽の動画視聴、グループLINEのメッセージ確認……。授業中も置いて行かれないように必死にノートをとっていると、あっという間に終わってしまう。
今ではやりたいことが多すぎて時間が全然足りない。生きている意味なんて考える暇がないほどだ。
(一日ってこんなに短かったんだ)
寝る前、海茅はぼんやりそんなことを思った。
振り返ってみると、海茅が今まで生きてきた十二年間で、くっきり刻み込まれている記憶はあまりない。
きっと大人になっても覚えているだろうと思えるのは、OBのシンバルの音と、海茅が初めてシンバルを持ち帰った日に散らした星空、そして校外学習の日と、優紀に逃げるなと言われたあの日だけ。
全て海茅がクラッシュシンバルと出会った日からの記憶だ。それまでの彼女には、特別な思い出なんて一つもなかった。
それとも未来の海茅は、今の海茅が宝物だと思っている記憶も忘れてしまうのだろうか。中学時代、なんにもなかったなあ、なんて言ってため息をつくのだろうか。
そんなのいやだ、と海茅は思った。彼女はキュッと目を瞑り、クラッシュシンバルの星空の景色と優紀たち四人と過ごした日々、そして匡史との思い出を、未来の海茅が覚えているよう、何度も何度も反芻して脳みそに焼き付けた。
海茅にとって、美容院は歯医者の次に行きたくないところだ。キラキラしたお姉さんとお兄さんばかりの空間にいるだけで、居心地が悪くなって吐きそうになる。
「今日はどのようなカットをご希望でしょうか~?」
これは最もされたくない質問と言っても過言ではない。髪型にこだわりのない海茅にとって、希望のヘアスタイルなんてない。雑誌から選べと言われても、美人のモデルと自分では完成形が違うので全く参考にならない。
とにかくなんでもいいから毛量をどうにかしてくれ、というのが海茅の本音だった。
しかし海茅にそんなことを言えるわけもないので、とりあえず考えているふりをする。長いこと唸っていると、痺れを切らした美容師が「こんなのはどうですか~?」と尋ねてくれるので、それでやっとカットに進むことができる。
海茅はこのテクニックを姉に自慢げに話したことがあるが、「おまかせでって言えばいいだけなのに、なんでそんな無駄な回り道するの?」と一蹴されただけだった。
そして、「カット中の美容師とのおしゃべり」という、喋り下手にとっての地獄の時間を回避するためのアイテムを、今日の海茅は持っていた。
それは、『俺のマブダチ』という小説だ。
海茅はドヤ顔で文庫本を取り出し、しおりを挟んだページを開いた。
(美容院で読書。今日の私、なんかかっこいい……)
あの日から週に三回、海茅と匡史は通話を繋ぎながら『俺のマブダチ』を読んでいる。一度の通話で、二十ページから三十ページが海茅の集中力が続く限界なので、匡史もそれに合わせてゆっくり読んでくれている。
冒頭こそ、人物も設定も分からず物語に入りこめなかった海茅だが、中盤に差し掛かった頃にはぐいぐい引き込まれていった。そこまで夢中になれたのは、主人公に匡史を当てはめて読んでいたからというのが大きな理由の一つだった。
主人公と匡史が必ずしも全く同じ経験をして、同じことを感じたわけではないと、あらかじめ匡史から言われていた。それでも海茅は、『俺のマブダチ』を通して匡史の内側を覗き見ているような気持ちになった。
主人公が悲しいと海茅も悲しく、主人公が嬉しいと海茅も嬉しい。
とても人には言えない、表に出すには恥ずかしく醜い感情も、小説の中では描かれている。自分以外の人がとても綺麗に映っていた海茅は、そういった気持ちが吐露されている主人公に親近感が湧いた。現実の人より、小説の登場人物との方が仲良くなれそうだと思ったほどだった。
美容院に行ったあとは勉強を一時間して、そのあとは匡史と通話しながら読書をする。そしたら一日があっという間に過ぎ、また新しい一日が始まる。
数か月前の海茅は、部活以外にやることがなくて毎日が暇だった。学校から帰るとぼうっとベッドに寝転がったり、それほど興味のない動画配信を暇つぶしにぼんやり観たりするだけ。学校の授業中ですら、先生の言っていることが分からないので心を無にしてなんとかやり過ごしていた。
あまりにやりたいことがなさすぎて、何のために生きているんだろうと考えてしまうこともあった。
だが、今の海茅は正反対だ。勉強、読書、吹奏楽の動画視聴、グループLINEのメッセージ確認……。授業中も置いて行かれないように必死にノートをとっていると、あっという間に終わってしまう。
今ではやりたいことが多すぎて時間が全然足りない。生きている意味なんて考える暇がないほどだ。
(一日ってこんなに短かったんだ)
寝る前、海茅はぼんやりそんなことを思った。
振り返ってみると、海茅が今まで生きてきた十二年間で、くっきり刻み込まれている記憶はあまりない。
きっと大人になっても覚えているだろうと思えるのは、OBのシンバルの音と、海茅が初めてシンバルを持ち帰った日に散らした星空、そして校外学習の日と、優紀に逃げるなと言われたあの日だけ。
全て海茅がクラッシュシンバルと出会った日からの記憶だ。それまでの彼女には、特別な思い出なんて一つもなかった。
それとも未来の海茅は、今の海茅が宝物だと思っている記憶も忘れてしまうのだろうか。中学時代、なんにもなかったなあ、なんて言ってため息をつくのだろうか。
そんなのいやだ、と海茅は思った。彼女はキュッと目を瞑り、クラッシュシンバルの星空の景色と優紀たち四人と過ごした日々、そして匡史との思い出を、未来の海茅が覚えているよう、何度も何度も反芻して脳みそに焼き付けた。
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