【完結】またたく星空の下

mazecco

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4章

第41話 読書

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 不安がなくなった海茅は、上機嫌で基礎練習に臨んだ。しかし、テスト期間中一度もスティックを握っていなかった海茅の手首は固くなり、この前まで簡単に叩けていたリズムもままならない。
 こんなに楽しくなかった基礎練習は久しぶりだと考えながら、海茅はクラッシュシンバルを手に教師控室に籠った。
 海茅がクラッシュシンバルを握るのは、スティックと同じく約二週間ぶりだ。
 ずっしりとした重み。使い込まれた、しなしなの持ち手。年季の入った金属の匂い。
 大好きなクラッシュシンバルに再会できて、海茅は鼻の下を伸ばしてシンバルに頬ずりする。

「久しぶり~。改めてよろしくねっ」

 早速海茅はシンバルを軽く鳴らし――
 膝から崩れ落ちた。
 シンバルから生まれたのは、星空ではなくジャリジャリの金属音。毎日練習していたときに比べ、明らかに音質が下がっている。
 三カ月間毎日練習してきたことが、二週間で帳消しにされた気分だ。
 汚い音に耳を塞ぎたくなる。変わり果ててしまった自分のシンバルの音を聞いていたくない。
 耳では分かっているのに、手が忘れてしまっている。何度叩いても星空が散らない。

「……」

 シンバルを叩いていて楽しくないと感じたのは、四月ぶりだった。

 ◇◇◇

 夜、課題を終えた海茅は、この前購入した小説、『俺のマブダチ』を手に取った。
 文庫本の表紙を自分の意志でめくったのは初めてだ。
 きなりの紙に、「これは小難しい本ですよ」と念押ししているような、すましたフォントで文字が書かれている。すでに心が折れそうだ。
 目次のページは見もせずめくると、タイトルだけが書かれた一ページが海茅を出迎えた。
 とうとう小説が始まる。海茅は唾を呑み込み、そろっとページをめくった。
 海茅はホッとしたと同時にがっかりした。
 一ページには挿絵があった。だが、漫画のようなイラストではなく、これまた小難しそうな本を象徴するような、可愛くもなんともない挿絵だ。

 海茅は、小説を読み始めて一分で頭を抱えた。分からない漢字と言葉が多すぎる。それに人物紹介や設定の説明もないので、状況が掴めないし主人公の名前すら分からない。
 海茅は分からない単語をスマホで調べた。その説明の中にも分からない単語が出てくるので調べると、そこにもまた分からない単語が出てくる。
 海茅は未使用のノートをベッドに広げ、調べた単語をメモした。
 一時間ほどそんなことを繰り返していたが、ふと、まだ一ページ目から進んでいないことに気付き、ペンと本を放り投げて仰向けに寝転がる。

「だめだ。こんなんじゃ一生読み終わらない」

 匡史や優紀はこんな難しい本を読んで面白いと思うのか。
 それが海茅の率直な気持ちだった。

《匡史君は、『俺のマブダチ』のどういうところが好きなの?》

 海茅がLINEを送ると、すぐに匡史から返事が来た。

《優しい気持ちになれるところかな。日本語が柔らかくて読んでて心地いいし》

 海茅には「日本語が柔らかい」の意味も、本を読んでいて「心地いい」という気持ちも分からない。
 続けて匡史からメッセージが届く。

《あと、共感できるところかな。『俺のマブダチ』って、シングルマザーに育ててもらった男の子が主人公なんだ。俺も母親しかいないから、主人公の悩みとか葛藤とかがよく分かるんだよね》

『俺のマブダチ』の主人公が匡史に似ていると知り、海茅の興味がぐんと上がった。

《でも、どうして急にそんなこと聞くの?》

 匡史の純粋な質問に、海茅は正直に答えた。

「この前、匡史君と優紀ちゃんが話してるの聞いて、私も読んでみたいなあって思ったの。それで本屋さんで小説買ってみたんだけど、一ページ目で限界を迎えた……」
《えっ、みっちゃん文庫本買ったの!? 俺もちょうど今日喜田さんに本借りたんだよね。一緒に読もうよ》
「でも私、一時間かかっても一ページ読めなかった……」
《一時間!?笑 ちょっとよく分からないけど、とりあえず通話しない?》

 通話でいきさつを聞いた匡史はケタケタ笑った。

《みっちゃん真面目すぎるよ! 読書するのに分からない単語調べてノートにメモって。勉強しちゃってるじゃん》
「読書は勉強でしょ……?」
《読書は趣味だよ。勉強じゃない》
「そうなのぉ!?」

 衝撃の事実を知らされたときかのように大袈裟に驚く海茅に、匡史がまた笑う。

《そうだよ! 分からない単語をそんな律儀に調べてメモしなくていいよ。俺はいつも雰囲気で意味をなんとなく想像するだけで、読み飛ばしてる》
「そんな読み方でいいの!?」
《いいよ! だって勉強じゃないから》
「えぇぇぇっ! そんなこと今まで誰も教えてくれなかったぁぁぁっ!」

 それから海茅と匡史はもう一度始めから小説を読み始めた。
 通話を繋いで読むのは正解だった。分からない単語を尋ねると、匡史が分かる範囲で教えてくれる。時には匡史も分かっていない単語があったので、海茅は少しホッとした。
 なんとか十ページ目まで読み進めた頃には、海茅の集中力が切れていた。

「だめだ……。目がスベッて頭が入ってこない……」
《無理に読まなくてもいいよ。続きは気が向いたときに読めばいいし》
「でも、せっかくだし一章は読み切りたいなあ……」
《じゃあ、音読するのはどう? たぶん黙読よりは頭に入ると思うよ。みっちゃんが読んでもいいし、俺が読んでもいいし》

 お言葉に甘えて、海茅は匡史に音読してもらうことにした。
 国語の授業でも思っていたが、匡史は音読が上手い。詰まることなく滑らかに文章を読む彼の声は、優しくて柔らかい。

「匡史君の声聞いてたら眠くなってきちゃった」
《ごめん、退屈だった?》
「ううん。なんだか落ち着く。優しくてほわほわする」
《ああ、それは俺の声じゃなくて、この小説の文章がそうだからだよ》

 きっと両方だ。そう考えながら、いつの間にか海茅は眠りに落ちていた。
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