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2章
第18話 しだれ花火
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◇◇◇
放課後、匡史の友人がおしゃべりをしながら匡史に手招きをした。
「匡史ー! 帰ろ~!」
「ごめん、今日は絵画教室だから先帰ってー」
「あ、そうだったー! お絵かき教室って楽しいの?」
友人の質問に、匡史は苦笑いをして答える。
「絵画教室ね。楽しい……とはちょっと違うかな」
「匡史は画家を目指してるの?」
「画家かあ。なれたらいいなとは思うけど……難しいだろうな」
「どうしてぇ? ピカソでもなれてんだから、誰でもなれるでしょ!」
匡史は、友人の言ったことに眉をひそめた。
「えっ。ピカソ?」
「うん。あんな子どもの落書きみたいなのでも何億の価値がつくんでしょ? すごいよねー。私も画家目指そうかな」
「いや、ピカソはキュビズムっていう絵画様式を生み出した偉大な画家だし。技術力も天才的。十代には素晴らしい写実的な絵画も残してるし――」
突然早口で意味の分からないことを話し始めた匡史に、友人はぽかんと口を上げた。匡史はそれに気付かず、まだ話し続けている。
「――晩年には一見子供の落書きと思われるような難しい絵画をたくさん残してるけど、ピカソの土台は圧倒的な画力でしっかりと固められてるんだ」
「……」
匡史は一息に話したあと、やっとまわりに変な空気が流れていることに気付いた。
「あっ……。ご、ごめん」
「う、ううん……。匡史は物知りなんだねー……。じゃ、じゃあ、私たち先帰るね! ばいばーい、また明日!」
「う、うん。また明日」
逃げるように教室を去った友人を目で追う匡史から、深いため息が漏れる。
「あー……。やっちまったー……」
相手に悪気がないことが分かっていても、好きなものをバカにされて、ついムキになってしまった。
あんなことを話しても分かってもらえるはずがないのに。
きっと友人たちは帰り道に、匡史が言った意味不明なことについて話し、笑うのだろう。
「……好きを隠すのって難しい」
匡史は何気なく、友人が机の上に置いたままにしたティーン雑誌をパラパラとめくった。ドラマ、恋愛指南、モデルの休日ルーティン……匡史にとって、興味のないことばかり載っている。
それでも、この世界に馴染むためには仕入れないといけない知識だ。
「俺もみんなと同じものが好きだったらよかったのにな」
帰りにファミレスに寄ろうと話している生徒、部活に向かう生徒……。
教室からだんだんと人が減っていく。
匡史は、声をかけられたら笑顔で手を振り、クラスメイトを見送った。
誰もいなくなったので、匡史は鞄からスケッチブックを取り出した。
昨晩、海茅と長時間通話をしたので、時間が足りず絵画教室の課題の仕上げができていなかった。レッスンの時間には間に合う程度のやり残しなので、匡史は特段焦ってはいない。
広い教室でたった一人のこの時間が、匡史はわりと好きだった。
体育会系部員の掛け声や、下校する生徒の笑い声、吹奏楽部員が鳴らす楽器の音。
校内が静まりかえっていたら、匡史はきっと寂しさを感じただろう。
だが壁を隔てて聞こえる騒音が、教室の中では一人だが、学校の中では一人じゃないと教えてくれてホッとする。
このくらいの距離感が、匡史にとって一番心地いい。
「……?」
匡史はふと手を止め、顔を上げた。
どこからか、シャァン、シャァン……と、耳あたりの良い音が聞こえる。
「シンバルの音……かな?」
テンポよく鳴っていたかと思えば、しばらく音が止み、またシャァンと一回だけ鳴った。そしてまたテンポよく鳴り続ける。
クリスマスソングで、よくこういうシャンシャン音聞くよなあ、などと考えながら、匡史は筆を水彩画用紙に載せた。
筆洗の水を換えるために教室を出ると、シンバルの音がよく聞こえた。音楽室に近づくにつれ、音の粒がはっきりと耳に届く。匡史は気まぐれにシンバルの音を辿り、ドアが開けっ放しになっている音楽教師控室を覗いた。
そこには一人の女子生徒がいた。ゆっくり羽ばたいているかのようにシンバルを何度も叩く彼女は、目を瞑っているのでこちらに気付いていない。
しだれ花火のようだ、と匡史は思った。
次々といくつも打ち上げられるしだれ花火は、重なり重なり、いつしか真っ暗な空を金色で埋め尽くす。
近くで打ち上げられると鼓膜が破れそうなほどうるさくて、目が開けられないほど眩しい。
それでも耳を傾けずにはいられない。目を離せない。
最後の花火が打ち上げられた。金色の火花が、ゆっくりと闇に溶けていく。
海茅が目を瞑ったまま顔をあげたので、匡史は慌てて廊下に飛び出した。
筆洗に水をいれているときも、しだれ花火が目と耳にこびりついて離れない。
匡史はもぞもぞと体を揺らした。ジェットコースターを乗ったあとのように、心臓が波打っていて気持ち悪かった。
教室に戻った頃には、友だちとのピカソのやりとりは頭の隅に追いやられていた。
匡史はまた鳴り始めたシンバルの音に合わせて、絵にハイライトをちょんと載せる。
一点の光を与えられた絵には命が吹き込まれ、より色鮮やかに輝いた。
放課後、匡史の友人がおしゃべりをしながら匡史に手招きをした。
「匡史ー! 帰ろ~!」
「ごめん、今日は絵画教室だから先帰ってー」
「あ、そうだったー! お絵かき教室って楽しいの?」
友人の質問に、匡史は苦笑いをして答える。
「絵画教室ね。楽しい……とはちょっと違うかな」
「匡史は画家を目指してるの?」
「画家かあ。なれたらいいなとは思うけど……難しいだろうな」
「どうしてぇ? ピカソでもなれてんだから、誰でもなれるでしょ!」
匡史は、友人の言ったことに眉をひそめた。
「えっ。ピカソ?」
「うん。あんな子どもの落書きみたいなのでも何億の価値がつくんでしょ? すごいよねー。私も画家目指そうかな」
「いや、ピカソはキュビズムっていう絵画様式を生み出した偉大な画家だし。技術力も天才的。十代には素晴らしい写実的な絵画も残してるし――」
突然早口で意味の分からないことを話し始めた匡史に、友人はぽかんと口を上げた。匡史はそれに気付かず、まだ話し続けている。
「――晩年には一見子供の落書きと思われるような難しい絵画をたくさん残してるけど、ピカソの土台は圧倒的な画力でしっかりと固められてるんだ」
「……」
匡史は一息に話したあと、やっとまわりに変な空気が流れていることに気付いた。
「あっ……。ご、ごめん」
「う、ううん……。匡史は物知りなんだねー……。じゃ、じゃあ、私たち先帰るね! ばいばーい、また明日!」
「う、うん。また明日」
逃げるように教室を去った友人を目で追う匡史から、深いため息が漏れる。
「あー……。やっちまったー……」
相手に悪気がないことが分かっていても、好きなものをバカにされて、ついムキになってしまった。
あんなことを話しても分かってもらえるはずがないのに。
きっと友人たちは帰り道に、匡史が言った意味不明なことについて話し、笑うのだろう。
「……好きを隠すのって難しい」
匡史は何気なく、友人が机の上に置いたままにしたティーン雑誌をパラパラとめくった。ドラマ、恋愛指南、モデルの休日ルーティン……匡史にとって、興味のないことばかり載っている。
それでも、この世界に馴染むためには仕入れないといけない知識だ。
「俺もみんなと同じものが好きだったらよかったのにな」
帰りにファミレスに寄ろうと話している生徒、部活に向かう生徒……。
教室からだんだんと人が減っていく。
匡史は、声をかけられたら笑顔で手を振り、クラスメイトを見送った。
誰もいなくなったので、匡史は鞄からスケッチブックを取り出した。
昨晩、海茅と長時間通話をしたので、時間が足りず絵画教室の課題の仕上げができていなかった。レッスンの時間には間に合う程度のやり残しなので、匡史は特段焦ってはいない。
広い教室でたった一人のこの時間が、匡史はわりと好きだった。
体育会系部員の掛け声や、下校する生徒の笑い声、吹奏楽部員が鳴らす楽器の音。
校内が静まりかえっていたら、匡史はきっと寂しさを感じただろう。
だが壁を隔てて聞こえる騒音が、教室の中では一人だが、学校の中では一人じゃないと教えてくれてホッとする。
このくらいの距離感が、匡史にとって一番心地いい。
「……?」
匡史はふと手を止め、顔を上げた。
どこからか、シャァン、シャァン……と、耳あたりの良い音が聞こえる。
「シンバルの音……かな?」
テンポよく鳴っていたかと思えば、しばらく音が止み、またシャァンと一回だけ鳴った。そしてまたテンポよく鳴り続ける。
クリスマスソングで、よくこういうシャンシャン音聞くよなあ、などと考えながら、匡史は筆を水彩画用紙に載せた。
筆洗の水を換えるために教室を出ると、シンバルの音がよく聞こえた。音楽室に近づくにつれ、音の粒がはっきりと耳に届く。匡史は気まぐれにシンバルの音を辿り、ドアが開けっ放しになっている音楽教師控室を覗いた。
そこには一人の女子生徒がいた。ゆっくり羽ばたいているかのようにシンバルを何度も叩く彼女は、目を瞑っているのでこちらに気付いていない。
しだれ花火のようだ、と匡史は思った。
次々といくつも打ち上げられるしだれ花火は、重なり重なり、いつしか真っ暗な空を金色で埋め尽くす。
近くで打ち上げられると鼓膜が破れそうなほどうるさくて、目が開けられないほど眩しい。
それでも耳を傾けずにはいられない。目を離せない。
最後の花火が打ち上げられた。金色の火花が、ゆっくりと闇に溶けていく。
海茅が目を瞑ったまま顔をあげたので、匡史は慌てて廊下に飛び出した。
筆洗に水をいれているときも、しだれ花火が目と耳にこびりついて離れない。
匡史はもぞもぞと体を揺らした。ジェットコースターを乗ったあとのように、心臓が波打っていて気持ち悪かった。
教室に戻った頃には、友だちとのピカソのやりとりは頭の隅に追いやられていた。
匡史はまた鳴り始めたシンバルの音に合わせて、絵にハイライトをちょんと載せる。
一点の光を与えられた絵には命が吹き込まれ、より色鮮やかに輝いた。
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